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#96 断片情報に踊らず、文脈から「語」の意味を判断することが今、必要ではないだろうかー。

本コラムは、音声配信プラットフォーム・Voicyでお届けした内容をテキスト用に整形しています。AIによる編集・校正が入ってます。最後にVoicyリンクもあります。テキストでサクッと読みたい方に。

能登半島地震により、現在も困難な状況に直面している方々がいらっしゃいます。テレビでその様子を目にし、心苦しいですね。僕はこたつに入りながら温かいカフェオレを飲み、Voicyを収録しています…。自分の力のなさを痛感するばかりです。同様の思いを抱えていらっしゃる方もたくさんいるでしょう。

その一方で、SNSなどで見かける意見について考えます。「自衛隊の初動が遅い」「政府は民間のヘリコプターを買い取り、能登へ飛ばすべきだ」といった声が散見されます。これらの意見には共感できる部分もあります。現地の映像を目の当たりにすると、状況の深刻さを改めて感じざるを得ません。

震災から10日が経過し、避難所での生活を余儀なくされている方々の苦悩を目にすると、気持ちはよく理解できます。何か自分にできること、声を上げられることはないかと考えるのは自然なことです。

しかし、このような混乱の中で、自らの正義感をただ振りかざしたい、声を出したいというだけの人も存在するのではないかと、Xなどを見ていると感じることがあります。

自衛隊の動きが遅い!?

例えば、自衛隊の支援活動に関する動きについて、僕も初めはある程度のもどかしさを感じました。「なぜもっと早く対応しないのだろう」と考えたこともあります。しかし、感情だけでこの問題を片付けることなく、その理由を探すと、木原防衛大臣の説明にもあったとおり、能登半島の地理的特性が大きな要因であることが分かります。

「陸の孤島」とも呼ばれる能登半島は、専門家によれば「もっとも起きては困る場所で大地震が発生した」とのことです。

地理的に見て、海岸線は険しく、海からの支援が容易ではありません。陸地は山地が大部分を占め、その間に点在する集落へのアクセスも困難です。また、道路も寸断されており、特に半島の中心部である七尾市から北部への主要道路は一本しか確保できていない(らしい)状況です。そのため、自衛隊は最初に1000人、次に2000人、その後3000人と部隊を順次増員していったようです。

僕が見聞きし、知る限りでは、自衛隊の対応は致し方ないものであり、可能な限りのことを行っていたと考えられます。そのため、僕は自衛隊の対応について肯定的な印象を持っています。

しかし、僕も全ての事情を把握しているわけではなく、現地に足を運び、被災地の状況を直接目で見たわけではありません。政府や自衛隊の対応について、良くないのではないか、あるいは逆に称賛に値するのではないかというような、どちらかの立場を取るつもりはありません。むしろ、言葉を発したくない…。

断片的な情報に基づいて、「こうあるべきだ」「国や政府の対応が悪い」「自衛隊は何をしているのか」と断定する人がいるのは事実です。

”炎上”のメカニズム

YouTubeなどで見られるいわゆる「切り取り」は、こうした誤解を生む原因となり得ます。このような構造が炎上を引き起こす要因となっているのかもしれません。

自衛隊の逐次的な部隊投入という、ある意味で致し方ない対策についても、その背景を理解していれば、異なる見方ができるでしょう。例えば、こんな意見を見かけました。「戦争が起こっても道が分断されているから現地に行けない、とか言うのか?」というXの投稿です。

断片的な情報に自身の正義感を重ね合わせ、極端な意見を述べた一例でしょう。「戦争」と「災害」は根本的に異なるものであり、同じ土俵で論じること自体に無理があります。木を見て森を語るような、そのような考え方には、どうしてそこまで自信を持てるのか‐、と理解しがたいです。

僕は新聞記者でした。「情報を扱う」ことについて、より多面的な視点を持つことが必要でした。Aについて取材すれば、Bの意見も聞き、Bの話の中でCが出てきたらCにも取材を行う。このように多くの情報を集め、それをどのように扱うか、どのように記事にするかが新聞制作の基本的なアプローチです。そのため、Aの話だけを聞いて全体を語る人の心境は、僕にはなかなか理解できないのです。

松ちゃんが悪い? 女性が悪い?

ダウンタウンの松ちゃんも大変なことになってますね…。このような芸能人のスキャンダルについて騒ぎ立てる人々に対しても、できる限り距離を置きたいマンです。”あなたの人生に1ミリも影響がない芸能スキャンダルに熱を上げる”理由がわかりません。

松ちゃんに関しては、僕も関西出身ですし、たくさん笑わせてもらいました。いなくなることは寂しいですが、それが僕の生活や人生に決定的な喪失感をもたらすとは思いません。

しかし、「どうでもいい」と片付けたら”どうでもいいこと”で終わってしまうので、何らかの意見は載せたいなと。実際のところ、真実は当事者である松本さん、その場にいた芸人、関係した女性しか知ることができません。

文春の報道も女性側の主張に基づいたものであり、松本さんや吉本興業からの主張も同様に一方的です。こうした情報を元に、「松本さんが悪い」「その場にいた女性が悪い」といったさまざまな意見が飛び交っていますが、真実を知らずにどちらかの側に立つことには疑問を感じます。

松本さんのファンとして彼を応援したい気持ちは理解できますが、事実に白黒をつけようとする態度は、僕には適切ではないように思えます。”内々に思っている”分には全然いいですが、意見を表明することは、違うんじゃない? と思います。

「言語哲学」で解析する

「切り取り情報からの自分正義の振りかざし」といった現象の背景には、言語哲学の分野が答えのヒントを提供してくれます。哲学者の野矢茂樹氏が著した『言語哲学がはじまる』という書籍には、「要素主義」と「文脈原理」という二つの重要な概念が取り上げられています。

「要素主義」とは、

「語の意味は文の意味以前に、個々の語だけで確定する」

という考え方です。
一方で、「文脈原理」とは、

「語の意味は、文の意味との関係においてのみ決まる」

という考え方です。
一見難解かもしれませんが、その意味を理解することは重要です。「要素主義」は、一本の木を見て森全体を語るような方法で、個々の単語の意味を理解し、それに基づいて文全体を理解するというアプローチです。

一方、「文脈原理」は、ドイツの哲学者フレーゲによって提唱された考え方で、語の意味は”文という脈絡の中でのみ決まる”という原則に基づいています。フレーゲは「言葉の意味を孤立して問うてはならない。言葉の意味は文脈において問われなくてはならない」と述べます。

例えば机を想像してみましょう。

要素主義的に考えると、机の各部分(天板、幕板、脚など)はそれぞれ単独で意味を持ちます。しかし、例えば脚だけを考えると、それは単なる「棒」に過ぎません。同様に、天板や幕板も単なる「板」です。要素主義的には、これらはそれぞれ単なる板や木に過ぎません。

「言語哲学がはじまる」より引用

この考え方を「文脈原理」にはめてみると、机全体が「机」という意味を持つため、その棒は「脚」という意味を持ち、その板は「天板」や「幕板」といった意味を持ちます。これが文脈原理に基づくアプローチです。

まとめると、語の意味は「文全体との関係においてのみ決まる」ということです。この考え方が「文脈原理」と呼ばれるものです。少し難解な論理かもですが、この文脈原理に基づく方が、健全であることは感覚レベルで理解してもらえると思います。

文脈原理のアプローチ

”切り取り”だけで物事の全体を判断することは危険です。文脈原理の考え方を基に、全体を捉えた上で持論を展開することが大切だと感じます。

ただ、しかし!


身もフタもない話として、センシティブな事柄にあまり言及しない方がいいですね笑。「そもそも論」です。能登半島地震の件や政府の対応、自衛隊の問題についても、個人が”全体を100%理解する”なんて不可能です。

そのため言及には必ず綻びが生じ、不誠実であり、カッコわりぃものになります。専門家でない限り、そもそも口を出すべきではない、のです。

松本さんの件についても、”俗っぽい”ニュースですし、飲みの席での話題になることは理解できます。しかし、善悪がのちに明らかになる場合において、SNSなど公開の場所で断片的な情報に基づき、自分の思想や正義、主観を展開するのは適切ではない‐。これが僕の考えです。

「口は災いのもと」とはよく言ったものですね…。


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