考えてみれば、怖くないことだった
たまにTwitterで思ったことをつぶやく。フォロワーさんはそこそこいて、大昔からの知り合いのほか、何かのはずみにわたしのツイートを気に入ってくれた人たち。
最近、オリンピックがらみのこと(森会長の暴言)で、ちょっとぶち切れそうになった。それがもう、何かを書きたいとか叫びたいという気持ちのレベルをはるかに突破して「ニュースであの顔を見たくない」状態にまでなった。会見ももちろん文字起こしで、時間を少し遅らせてから読む。声を聞きながら生放送で顔を見たら、どうにかなってしまいそうだったからだ。
そして、できるだけ落ちついた気持ちになってから、ぼそっと「もううんざり」とか、「涙が出てくるほど」とツイートしていたわたしに、まったく知らない人たちが、そっといいねを押して去っていくことがあった。
関連する内容で発したツイートは、数はたいしたことがなかったが、自分で読んでいて暗さがわかるほどだった。おそらくは見かねた方が、励ましの意味で通りすがりのいいねを押してくださったのかと、いまになって思う。
何回か「今日もまた暗いこと書くのかと思われていたらどうしよう」という考えも、浮かばなかったわけではない。だがもしわたしが周囲に遠慮して、まったく別のことばかりつづけて書くより、数は少なくとも正直なことを書いて、それが問題だろうか。もしそれが迷惑となるのであれば、そういった方々とは最初からご縁がなかったのだろうと、思うことにした。
結果として、とくに誰も、森会長の件でわたしから離れていかなかった。
そろそろ、暗さを抜け出して、何かちゃんとした意見を書きたいと思っているし、今後についてまじめに書いている人がいたらコメントもしたい。いつまでも暗い状態でとどまっているわけにはいかない。
前を向きたい。
だが、あの顔はまだ見たくない。
家にいることの多い人間ですが、ちょっとしたことでも手を抜かず、現地を見たり、取材のようなことをしたいと思っています。よろしくお願いします。