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いつか、ガラスを落とす日

 10年ほど前、現在の家に引っ越してからのことである。

 先日こちらに書いた「40年ぶりの、ただいま」とは、ある意味で逆だ。あのときは、落ちる途中でなくなったお手玉が、そのうち落ちながら現れるのだろうかと思いつつも、いつのまにか40年が経過した話だった。

 だがこちらは、身に覚えのないものが目の前に落ちてきて、いまだに心当たりがない。

 そのときは夕方か夜で、わたしは台所にいた。おそらく食器を洗っていたか、あるいは水切りのために重ねてある食器をおろして、棚にしまおうとしていた。

 2段重ねの水切りかごで、上の段にあったものを手にとったときだ。上の段か、下の段か、いくら思い出そうとしてもはっきりしなかったが、左端のどこかから、光るものが落ちてくるのが見えた。

 ——なんだろう、このまま落ちると割れるぞ?

 そう思ったのもつかのま、そのガラスのような何かはゆっくりと、しかもまだ落ちていないのにまるで拡散するかのように広がって、わたしの足もとに落ちた。

 音はそれほど大きくなかったが、わたしは驚きのあまり、数秒のあいだ硬直した。

 かがんで、ガラスを見た。

 粉々になっているが厚みのある素材で、装飾がある。花瓶か、あるいはインテリアなどにありそうなものだ。けして普段使いのガラス食器ではない。

 素材に厚みがあり、粉々になっているのに、落ちた音は大きくなかった。しかも、まとまって落ちていた。周囲に飛び散っていない。

 そんな落ち方が、あるだろうか。

 そして何より、わたしはそんな物体がそれまで水切りかごにあったはずはないと断言できた。なにせ日々の食器を洗っては半日くらいそこに放置してから下ろし、しまうか、あるいは次の食事に使うだけの水切りかごだ。割れる前には中サイズのガラス花瓶くらいありそうだったその物体は、ぜったいにそこにあったはずがなかった。

 不思議すぎて、片付けを終える前に夫を呼んで現物を見てもらったが、やはり心当たりがないという。

 そのとき「家にあって、こういう装飾がありそうなガラス製品といえば、しばらく使っていない花瓶だけだが、どこに置いているかも覚えていないのに、それが目の前で落ちて割れるはずがない」とも考えた。

 首をかしげながらガラスを捨てたが、その後しばらくして、わたしが考えていたガラスの花瓶は家の別の場所から発見され、無事だった。やはりあの割れたガラスの意味がわからない。

 お手玉のときとは逆で「いつかわたしがまだこの家に住んでいるあいだに、ガラスの花瓶を台所で落として、それがあの時代で割れるのだろうか」などと、考えているところだ。

 こんなことをしょっちゅう考えているせいか、わたしは小説では時間SFが好きである。

(わが家のガラスの花瓶には、いま花がはいっているため、見出し画像は写真ACさんからダウンロードしてきた)

家にいることの多い人間ですが、ちょっとしたことでも手を抜かず、現地を見たり、取材のようなことをしたいと思っています。よろしくお願いします。