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けっきょくは「人」を見てる

 ネットの投稿で、自分が使わない漢字変換を見た。
 わたしならば漢字にしないか、あるいは別の変換を選ぶだろうと考えた。
 ひとつめを見たときは、「誤変換かな」とすら感じた。だがそれは、文中に何回も出てきた。

 そこでようやく「自分は使わないけれど、この人がここまで何回も使うのだから、正式な使い方なのだろう」と思い直し、検索してみた。それはたしかに正確で、辞書によれば、わたしが使うかもしれない漢字より、意味が原義に近かった。

 けっきょく、わたしは文字を見ているつもりで、書いている人を見ているんだろうなと、こんなときに考える。

 ネットでの文章は、実際にお目にかかったことがある人のものを読む機会は少なく、こちらが一方的に読み慣れている人に、「ちゃんとしたことを書く人」と信頼度のランクを上げている状態だ。お顔はもちろん、名前も知らない。こちらが思い描く「こんな感じの人」という像があるだけだ。

 ただ、ときおりその「像」は、実際よりも強いものになっていることがある。これはネットの面白味でもあり、危うさでもある。

 ここで、ちょっと考えてみる。

 もし、初めての人の文章でその漢字を見たら、信頼ランクが高い人の文章で遭遇した場合よりも、検索をはじめるまでに何秒も余計にかかっていたに違いない。
 こういう先入観は、パソコンの前であれば誰かに知れてしまうことはないだろうが、似たようなことを実生活でも態度に出している可能性は、おそらくあるだろう。

 いつも、謙虚に。いつでも、どこでも「学ぶ」姿勢で、日々を過ごしていきたいというのが、今日の思い。


家にいることの多い人間ですが、ちょっとしたことでも手を抜かず、現地を見たり、取材のようなことをしたいと思っています。よろしくお願いします。