見出し画像

【エッセイ書こ!】カラオケ

ラジオやポッドキャストの遠くの誰かが話してくれるようなお便りコーナー、長年過ごしていたはずなのに知らなかったぽろりと出る友人の聞いたことのないエピソード。
そういうのが大好物だし、意外性があってもっと聞きたい!!
ということで、そういうエピソードをとにかく収集したいと思って企画しました。
とにかく、普段文章を書いている人、いない人、久しぶりに書く人、誰でも文章力、文章作法などにとらわれず自由に書いて欲しいです。

そんな、拙い誘い文句でカラオケに関するエッセイを募集させていただきました!
すると、優しい人達が数名、書いてくれました。他人の思い出、エピソード。やっぱり聞くと楽しい! やってよかった! と思うばかり。
(集まらなかったらどうしようと、友人に強制的に書かせたりもしましたが…)
というわけで、早速集まったエッセイという名の思い出に触れて行きましょ~!
寄稿してくださった皆さん、本当に、素敵なエピソードたちをありがとうございます!
読んでて、ほんとうに楽しかったです。

あ、お名前のほうは敬称略させていただきますね。
あと、せっかくなので、左手さん(@hidari10z)にロゴを作ってもらいました。
書くぞ〜という、やる気が随所から伝わってきて、かわいい!!

足らない言葉で生きていく/正しい街(椎名林檎)

あおきひび(@hibiki_livelife)

 私がひとりカラオケ(ヒトカラ)を覚えたのは高校二年の頃。ちょうど友人関係や進路に悩んでいた時のことです。
 あがり症や吃音に苦しんでいた高校生の頃の私は、ある時「歌ならどもることがない」ことに気づきました。今でもときどき一人でカラオケに行っては、思う存分自分の好きな曲を歌い、それを日々の楽しみにしています。
 カラオケにまつわるエピソードとしては、これも高校時代のものが一つありました。
 高校の部活は軽音楽部をしていて、たまにバンドメンバーの同級生とカラオケに行くことがありました。東京事変が部内で人気だったので、私は事変や椎名林檎の曲を歌うことが多かったです。
 友達の少なかった私は、この軽音楽部を居場所のように思っていました。普段話さないような人とも、楽器や歌を介して仲を深められる。特にバンドメンバーとはよく話しましたし、共に演奏に向かう仲間でもありました。この場所なら、言葉の足りない私でも受け入れてもらえる。そんな安心感がありました。
  卒業式の日、同級生と別れてからひとりカラオケに行きました。椎名林檎の「正しい街」を歌ったことを覚えています。バンドメンバーと演奏したこともあった、切ないバラードです。 『足らない言葉よりも近い距離を好み理解できていた様に思うが』
 このフレーズを歌ったとき、なぜだか「これは私のことだ」と感じました。気づけば涙が出ていて、高校生活の終わりを強く実感しました。 『もう我が儘など云えないことは分かっているから 明日の空港に最後でも来てなんてとても云えない』
 「正しい街」は上京と別れの歌ですが、私にとっては友情と後悔の歌です。
 苦い思い出ではありますが、カラオケにまつわる思い出の曲として、この曲が一番に思い浮かびました。当時の思いを精算する意味も込めて、こちらに投稿させていただきます。

・あとがき
 普段エッセイをあまり書かないのですが、大好きな「カラオケ」がテーマだったので、ついつい寄稿してしまいました。よろしくお願いします。

・コメント
どこにも書いていないのに後悔の歌詞と相まって、青さと寂しさをひどく感じて、自分もその年頃のことを思い出してしまいました。
歌詞とリンクすることはあれど、ここまでドンピシャのタイミングでの選曲、人生でなかなか無いだろうな、としみじみ…
随所に、曲や音楽への強い思いと人生への結びつきを感じました。私はドラムの入りがとても好きです。


恋だったかもしれない日々に/sprinter(Kalafina)

雨希(@6pp1e)

 私の生まれ育った町はど田舎で、カラオケと言えばスナックや宴会場にしかないような環境だった。だから、高校を卒業して地方都市に移り住むまで、友人とカラオケに行くことは一度もなかった。アニメでよく見るような「放課後にみんなで歌って騒ぐ」というシチュエーションにはずっと憧れていた。けれど私は交友関係が狭く、大学生になってから三度、家族以外とカラオケに行ったが、どれも相手と二人きりだった。
 その三回の中で特に想い出深いのが、F君という学友と共に行った夏のカラオケである。
 当時、私たちは医学部の三年生だった。六年間の大学生活の半分が終わってしまい、これまでに費やした金と努力を思うと退学なんてできるはずもなく、逃げることも戻ることもできなくなる時期だった。
 私は大学に入ってすぐの時期から既に中退することばかり考えていたので、とうとうここまで来てしまったことに後悔とも感慨ともつかない複雑な感情を抱くと共に、まだあと半分もあることに空虚さと不安、途方もなさを感じていた。
 医学には学問として全く興味を持てない。ドラマや漫画に出て来る医師はみんな自分を削って誰かに尽くす人ばかりで、とてもじゃないけれど私にそんなことができるはずがない。
 私はどうしてこんな所にいるのだろう、と常に考えていた。
 その日も、どうしようもない落ち着かなさを抱えながら、一つ年下のF君に誘われてカラオケにいた。大学のレポートが終わらなくて根を詰めていた私を、彼が気分転換に連れ出してくれたのである。
 この子と知り合ったきっかけは、どうにも思い出せない。気が付いたら、何故か大学の講義室で隣同士の席に座る関係になっていた。私は彼が自分のことを好いているのだと思っていた。つまり、恋愛対象として見ているのだと。私もまんざらではなかった。
 だから、私はKalafinaの「sprinter」やRADWIMPSの「前前前世」など、自分なりに「あなたと出会えて良かった」と伝えるつもりの曲選をしていた。男の人と恋なんてしたことがなかったのだ、許せ。
 歌っているうちに、F君がぴったりと体を寄せてきた。私は別にドキドキもしなかったが、一旦喉を休めることにした。 「F君はどうして医者になりたいんですか?」
 私が聞くと、F君は大口を開けてケラケラと笑った。 「金儲けのためです。僕は美味しいお酒と美味しいご飯が毎日食べられればそれで幸せですから。そのためのお金を稼ぐんです」 「なんですか、それ」 「先輩は違うんですか?」 「私は……ちょっとは人の役に立ちたいと思ってるけど」 「ご立派ですね」
 その口調は、皮肉でも冗談でもない、本心のように聞こえた。
 その後、F君には別の恋人ができた。私の留年などなんやかんや色々あったが、彼との縁が切れることはなかった。
 あれから五年が経った。研修医になったF君は県外の市中病院に就職し、大学病院に残った私とはほとんど会えなくなった。
 人の役に立ちたいなんて言っていた私は、自分にやる気も根性も向上心もないことを自覚し、できる限り負担の少ない仕事をやれないものかと怠惰なことばかり考えながら生活している。九時から五時まで働くことすら、体力のない私には難しかった。医学を学問として突き詰めることに興味はないし、研修医の九ヶ月間で、自分は人の役に立つどころかできる限り他人の邪魔にならないようにすることにすら努力が必要だと知った。ただ毎日出勤するだけで辛かった。休日は勉強もせずにだらだらと遊んでいた。
 F君は元気だろうか、とたまに考える。市中病院の給料は大学病院より良いはずだが、忙しくて毎日お酒を呑むことはできないのではないだろうか。
 しかし、彼はアル中一歩手前だったので毎日呑んでいるのかもしれないが。
 お正月に、久しぶりにF君からLINEのメッセージが来た。新年の挨拶と共に、近況も書かれていた。研修医の二年間、彼はほとんど休みも取らずに病院で働き、医師三年目からは救急救命センターに勤めることにしたらしい。 「人、救ってるじゃん」  彼の二年間に何があったのかは知らない。けれど、金儲けのためだけにできる仕事でないことは分かる。
 私はどうしようもなく自分を恥じて、そして、頑張ろうと思ったのだ。  遠い町に赴任したF君と会うことはもうないかもしれないが、私は私のできることをやる。
 そう言えば、Kalafinaのsprinterは別れと決意の歌だった。

・あとがき

これは実話ですが、F君は「葬送のフリーレン」の登場人物であるハイターに外見も中身もめちゃくちゃ似てる子でした。それはそれとして、kalafinaが解散したのは本当に悲しいです。

・コメント
恋になるかも~というスパイスにドキドキさせられつつも、その後もなんだかんだと続いていて安心しました。
ちょっと、ジンと来たのに、まさかのハイターに似てるというあとがきに、アル中一歩手前エピソードも含め笑ってしまいました。
職業(僧侶は治癒魔法使えるしね)もちょっと似てる! いろんな思いを抱えながらも、前を向いて人を救ってる二人にささやかながら感謝です…!


彼女はどこかでいきている/愛のかたまり(KinKi Kids)

七穂(@nanaho59)

 社会人になってから、またカラオケに行くようになったきっかけは大学の同級生、Iの影響だった。
 大学時代はアルバイトの職場で開かれる飲み会の二次会は必ずカラオケだったし、ヒトカラもよく行っていた。しかし、社会人として新生活をスタートさせてからは、カラオケに呼ばれることも無くなり、いつしかカラオケに自発的に行こうという気持ちすらすっかり無くなっていた。
 大学時代の同級生、Iからいきなり連絡があったのは社会人一年目の秋頃。聞くと、お互い住んでいる所はそう遠くなく、酒好きだったのもあり、早速飲みに行こう、という話になる。
 いざ会ってみると、大学時代から変わらないこざっぱりとしていて明るい性格は変わっておらず、打ち解けるのにそう時間はかからなかった。
 気付けば彼女とはよく会うようになっていて、月1、2回は一緒に飲み歩くようになる。大学時代からお互いのことは良く知っているので、互いに隠すことや飾り立てることなどなく、互いに抱えているままならぬ仕事や私生活を酒の勢いで吐露し合い、「そんなことあったんだ。でもまあ、しょうがないよね。お互いがんばろ」と傷を舐め合う日々を送っていた。彼女も私も元来メンタルが強い方ではなく、色々な壁にぶち当たるのだが、彼女は悩んだ末、最後はきっちりポジティブな方向に進んでいこうとする力があったのが、毎回見習わなければいけないと思わされる所だった。
 思えば、この頃は大学時代よりも仲が深まっていたように感じる。大学時代も勿論それなりに仲が良かったが、彼女は陽キャグループ、私は冴えない陰キャオタクグループにいたので、いつも一緒にいるという訳でも無かったのだ。
 あの頃抱いていた彼女に対するイメージよりも彼女はずっと弱いということを知って、もっと彼女を大事にしていこう、一緒の時間を大切にしていこう、と重ねていく時間に比例するように強く思うようになった。
 私も彼女も音楽が好きで、大学時代から一緒にライブに何度か行ったこともある。少しだけ彼女との思い出話をさせてほしい。彼女と一緒に行った2019年の『BAYCAMP』(川崎市南扇島で開催された屋外のオールナイトフェス)、Tempalayのライブで『革命前夜』を聴いていたらいきなり大雨が降ってきて一晩中止まず、始発のバスを待ちながら外で雨に打たれながら彼女と3時間しりとりを続けたのをよく覚えている。土砂降りの中、夜中に一緒に踊りまくったthe telephonesが本当に最高だった!  と、まあ話は逸れに逸れたが、音楽好きな彼女と私なので、飲み会の最後(大体はしご酒をした後なので三次会か四次会)は決まってカラオケだったのだ。彼女は邦楽ロックが好きで、大抵決まって歌うアーティストや決まった歌が何曲かあった。
 まずクリープハイプの『ラブホテル』で始まり、私が毎回歌詞を見て「うわー、ひどい奴だね」と言い、My hair is bad、yonige、マカロニえんぴつ辺りのアーティストを歌う。そして決まってindigo la Endの『通り恋』を歌うと、彼女から「お前もゲスばっかり聴いてないでインディゴも聴け」と言われる(最近やっと聴くようになった)。次にAwesome city Clubの『涙の上海ナイト』というぜんぜんPORINが歌ってない初期曲を歌う。
 そして次が彼女の十八番である、KinKi Kidsの『愛のかたまり』だ。彼女自身がジャニオタという認識はなく、私も最初はいきなりジャニーズが来るので驚きはしたが、聞くと「高校の頃の友達が好きで、自分も良く聴いていたから」とのこと。
 この曲だけは本当に毎回歌っていた。ジャニーズの曲を普段から聴かない、ましてや少し世代が外れたアーティストなので初めて聴く曲だったのだが、これがまたなかなか良い曲で、毎回毎回歌うものだから流石に所々私も口ずさめるようになり、(そんなテンションの曲では決してないが)途中からサビは一緒に歌っていた。
 彼女曰く、作詞作曲をKinKi Kidsの二人がしている曲らしく、多彩ぶりに驚いた覚えがある。楽曲の話をすると、愛に溢れている筈の男女のラブソングなのだが、どこか男女で想いのすれ違いがあるようにも思え、歌詞がとても切なく感じる曲で、特にサビの『クリスマス』の使い方が独特で面白い。
『クリスマス』を『恋人達の特別な日』とただ捉えるのではなく、『クリスマスのような特別な日などなくても、日常が愛に溢れている』という使われ方は中々無いように思える。かくして、彼女とのカラオケというとこの曲のイメージがあるくらい、彼女とこの曲は今も私の中で強く結びついている。
 ここ数年のコロナ禍で、しばらく彼女と飲みに行くことは叶わなかったが、それでも折を見て飲みに行き、カラオケに何度か行っていた。最後に一緒に飲みに行った時は、彼女が会社の同僚に影響され藤井風のファンになり、「来年の目標は、藤井風のライブに行くことなんだ!」と力強く宣言していた。
 カラオケでは『何なんw』を一緒に歌った。あの曲は思ったよりも結構難しくて、彼女がいっぱいいっぱいになりながら歌い、私もサビで一緒に『何なん』と言うのが最高に楽しかったのをよく覚えている。
 昨年夏、大学の同級生Eに会いに一緒に名古屋に旅行にも行った。辛くて仕方ないと言っていた仕事も辞め、念願だった彼氏もでき、彼女が旅先でビール片手に幸せそうに笑う姿が印象的だったのを覚えている。
 しかし、幸せがそう長くは続かないようで、その後に連絡を取ると、転職活動が思うようにうまくいかないようで、相当参っていた様子を見受けられた。
 一人暮らしの家を引き払い、実家で療養していたようで、いつもなら毎回長文で返してくれるメッセージが連絡をする度に言葉少なくなっていく様子に心配になる。景気づけに都内でお茶でも飲みに行かないか、と提案したらドタキャンをされてしまい、普段ではこんなことは絶対に無いしっかりした人間だったので、彼女の衰弱ぶりを察した。
 お正月に送ったあけおめLINEは既読無視された。もう私にできることは無いと思った。
 事態が動いたのは今年の六月、私、I、名古屋に住むEの大学の同級生3人のグループLINEにEが久しぶりにメッセージを送ってきたことがきっかけだった。『久々に東京に来るから、たまには3人で会わないか?』という内容。私もIに対して既読無視をされてからメッセージを送っていなかったので、どんな返信が来るか期待をしていた所だった。
 返信は程なくしてやってくる。内容は次のようなものだった。 『Iの母です。こういった形で大変申し訳ございませんがIは3月●日に亡くなりました。今まで一緒に遊んでくれてありがとう』
 その一言が信じられなくて、私は何度も何度も、その文章を読み返した。血の気が引いた。
 突然すぎる連絡。しかも、3ヶ月も前に全てがもう、終わっていたなんて。
 私とEは茫然とした。私もEもお悔やみを申し上げたが、それ以上のことを聞く事ができなかったし、彼女の母と称する人物も余計なことを私達に伝えなかった。
 突然知らされた現実に、私は自分に何かできなかったのかと、ある種の自意識過剰に苛まれる。もし、あの時、私がもっと連絡を取っていたら――。
 その直後、全く別件で悲しい出来事が起きたというのもあり、幾重にも重なる悲しみはしばらく私の心を蝕んでいた。
 今でもたまに、彼女がカラオケでよく歌っていた曲を聴く。その度に、悲しいような、懐かしいような、昔から大切に持っていたガラス細工を取り出して、陽に透かして見ているような、どこか暖かな感覚を覚える。
 彼女のLINEアカウントはまだ残っている。人生をリセットして、好きな音楽でも聴きながら、世界の何処かで暮らしていることを私は願わずにはいられない。

・あとがき

カラオケ誰か誘ってください!! 楽しく聴きます!! 聴かせてください!!!

・コメント
音楽談義に盛り上がる二人の情景が、本当に目に浮かぶようで、私までもキラキラとしたビー玉を透かしながら思い出しているような感覚に陥りました。三時間のしりとりなんて、一生忘れられなさそう。
私も、当時はゲス派でしたね(そこじゃない)
人が、自分の言葉は届かないと思う瞬間が、情景豊かに描かれすぎていて、泣きました。その後の、もしも、と考えてしまうことも含めて。
クリスマスソングじゃないのに、クリスマスが使われているなんて、たしかに不思議だ…!


マドンナ/学園天国(フィンガー5)

桜栄結稀(@sakurae_yuki)

 社会人三年目の頃、大学のサークルの同窓会をすることになった。することになったというより、俺が言い出しっぺで人を集めた。
 遠方に就職した先輩が東京に来るというのが発端だった。 適度に人懐っこい性格だという自己評価が自分にはあった。
 上手に後輩をやり、ほどほどに尊敬される先輩になったと思う。だから人集めは苦手ではなかったし、むしろ組み合わせを考えるのは楽しかった。
 その日は俺の同回生に加え、ひとつふたつ上の先輩たちも誘った。その中の一人、K先輩と三次会のカラオケでした会話がやけに記憶に残っている。
 盆は過ぎたがまだ残暑厳しい夏の日のことだった。
 まずはK先輩というその女性が何者かから説明したい。 巷では3男マジックという言葉があるのを最近知った。
 入学したての女子が活動に奮闘する3年の先輩男子にクラっとくるとかこないとか、そういう現象らしい。性別に関わらずその感覚は理解できる。ふたつ上の先輩は事実以上に立派で偉大に思えるものだ。
 だからというわけではないが、とんでもなく可愛い先輩がいることに入部した当時は大層驚いたものである。顔が整っていて美人だという程度の話ではなかった。
 声や話し方、低めの身長、そしてお淑やかな性格など、彼女の持つ要素の全てがあまりにもアイドル的だったのだ。物静かでお嬢様のような品の良さもあった。
 彼女が大学祭で飲食ブースの売り子になればそれはもう飛ぶように売れ、サークルに巨額の裏金をもたらし、新歓でビラを配らせれば入部希望者が殺到した。
 結局裏金は横領されて闇に消え、入部希望の男たちは夏が来る前に退部していったのだが、ともかくそういうエピソードの数々が彼女のアイドル性を証明していた。 同窓会と言っておきながら、実質的にはこの集まりはK先輩の結婚祝いであった。
 さっきは自分の性分を人当たりは無難なほうと評してみたが、突き詰めれば消極的になるところがあるとも思う。深刻な悩みを打ち明け合うことも激しい喧嘩をしたことも、生まれてから一度としてない。俺の人間関係のほとんどにはどこか一歩引いたような遠慮が漂っている。
 K先輩ともなればその人気に気後れしないはずがなく、当時何を話したのかなど一つとして覚えていなかった。もっともK先輩こそ俺をどれだけ認識していただろうか。お互いの人生にとって我々は重要な人間ではなく「サークルの先輩後輩」というラベルの貼り付けられた、ちょうどビジネスメール冒頭の「お疲れ様です」という文言のような、いてもいなくても差し障りない存在なのだろうと感じていた。
 かといって無関心ということもなく、門出を祝福する気持ちに嘘はない。メッセージ入りのケーキを予約時に手配するくらいには俺は良き後輩なのだ。なんかそのくらいの気持ちでK先輩と関わっていたわけで、今も昔も込み入った感情を持つことはなかった。
 アイドル、高嶺の花、いや、「マドンナ」というのがK先輩を表すのにちょうどぴったりの言葉だった。彼女に対する印象は、知り合ってから六年以上経っても消極的な憧憬の中にすっぽりと収まっていた。
 同窓会が二次会の終わり頃になると、帰るの帰らないのという曖昧な雰囲気になった。店前の邪魔にならなそうな道端でたむろするうち、俺はなんとなく帰りたくなくなっていた。 懐かしい気持ちに浸り過ぎて寂しくなっていたのか、日付も変わらないうちに帰ろうというみんなの根性のなさに腹が立っていたのか、しかし中途半端に酔っていたのでモヤモヤする気持ちの正体に答えは出なかった。文化系サークルらしいお上品な態度をその時の俺は許すことができず、キショい義憤に駆られ行動を起こした。 まずK先輩に尋ねた。 「この後どうします?」 K先輩は言った。 「みんなはどうするの?」 K先輩がそう言ったのであれば、これはもはや錦の御旗である。 「ちょっと聞いてきますね」 少々好意的に曲解すれば三次会にみんなを攫う権力を得たようなものだった。眠そうな顔した連中に俺は「三次会どうすか? K先輩来ますけど」と嘯(うそぶ)いて回った。
 順序がややこしくなるが、こう尋ねてNOと答える人はいないわけで、十分な人数のYESをかき集めたらK先輩の元に戻ってこう伝えた。 「みんな来るって言ってます」 三次会はカラオケになった。 俺はカラオケが大好きだ。
 歌うのが好きなのもあるが、カラオケそのものが好きなのだ。酔い潰れた連中が死屍累々と積み重なったこのカラオケルームさえも愛おしいと思える。
 なんというか、俺は人にダメになって欲しいらしい。飲み会では知り合いが吐くところを見たい。泣き上戸などはもう最高で、自分はどれだけ迷惑をかけられても構わない。介抱したいのでも弱みを握りたいのでもなく、ダメになっている人間を見ると嬉しくなるのだ。可愛らしい生き物を見たときの気持ちに近い。いいもん見たなと思う。深夜のカラオケは俺の欲望の終着点だった。
 いつかこの仄暗い欲望を抑えきれなくなったとき、きっと俺はアルハラおじさんになってしまうのだろうなあ。 酔った人々は疲れ果てるまで歌い踊った。
 はじめこそマイクを奪い合うかの如き闘志に燃えていた歌唱欲も、三時を回る頃には睡魔に軒並み征服されてしまう。誰もがソファに寄りかかるか寝転がるかして眠っていて、画面には知らないアーティストのインタビューが延々と流れている。薄暗い部屋で回るスターボールのカラフルな灯りが彼らの蒼白な顔を照らした。
 「みんな寝ちゃったね」 K先輩が呟くように言った。 幹事であまり飲んでいなかった俺はともかくとして、なぜK先輩はここまで平然としているのだろうか。
 もしかしてあまり飲んでいなかったのか。いや、俺は幾度となくビールを注いだしグラスも替えた。ワインにカクテル、日本酒も飲んでいたはずだから結構ちゃんぽんしている。俺はK先輩がべらぼうに酒に強いことを初めて知った。
 「次なに歌います?」 デンモクを渡しながら俺は聞いた。K先輩は「う〜ん、なに歌おうかなあ〜」などと言いながら曲を選んでいた。 この人はなんなのだろう。俺はこの人のことを何も知らない。好物も趣味も仕事も悩みも、さっぱりだった。したはずの雑談を一つ残らず覚えていない。俺はK先輩と部室で会うたびに、天気の話だけしていたというのだろうか。 「K先輩と俺ってあんまり話したことないですよね」 ふと思ったことが言葉になっていた。
 「ええ〜!」 K先輩は大袈裟に驚いてみせた。「ショックだな〜」と言っているのが本心なのかわからなかった。 「だって、K先輩のこと何も知らないなって。なんとなく慕ってはいますけど」 実際、俺はK先輩がこれから歌おうとしている曲でさえちっとも見当がつかない。K先輩とはマドンナである。どうしたってそれ以上にも以下にも思わなかった。
 「そうかなあ。いろいろ話したと思うけどなあ」 瞬間、激しいギターのイントロが静かなカラオケルームに響き渡った。 いや、ヘヴィメタルやん。みんなが起きている時はアニソンとかJ-POPとか歌ってたやん。というか、しっかり上手いんかい。K先輩の喉からデスボイスがぶっ放されている。でも朗らかに歌う横顔があまりにも美人で、もはや面白かった。
 ああ、そうか、この人は面白い人だ。まさか「みんなはどうするの?」なんて聞かれるとは思わないじゃないか。ましてK先輩は新婚で、どう考えても答えは「帰ろうかな」であるべきなのに。お酒に強いのもノリがいいのも、同回生の悪友だったらなんかムカつくだけだ。 K先輩は歌い終えると俺に言った。 「じゃあもっと仲良くなれるね」
 そのとき俺は帰りたくなかった理由に思い至った。もっとK先輩のことを知りたくなったからだ。きっとそうだ。今日の集まりはせっかくの結婚祝いだったのだから。
 つまるところ俺は「マドンナ」というレッテルの前にたじろぐばかりで、彼女のことを何も知ろうしていなかったらしい。K先輩はK先輩であることに変わりないのに、遠慮気味に距離を置いていた。俺は人気者になったことがないのではっきりとはわからないが、そういうのは切ない気持ちになりそうだ。それにK先輩の方は、俺が思うより心を許してくれていたかもしれないじゃないか。 どんな人と結婚したんだろう。どういう結婚式にするんだろう。この人はどんな人生を歩むのだろう。芽吹いた興味を言葉にする機は既に逸していたが、幸いにも、ここはカラオケだった。
 俺たちは始発が動く時間まで歌い合った。そうすることが俺にできるK先輩を知るための唯一の方法だと思った。「あなたのことを何も知らないです」という言葉を引っ込めることはできないが、精一杯歌うことならできる。喉はガサガサで、もう歌う気力も尽きかけていて、最後にどうにか『学園天国』を歌い上げた。
 K先輩は実は破天荒な人なんだぞと、学生時代の俺に教えてやりたくなった。 ちなみにK先輩はいつまでも歌っていた。底知れぬバイタリティを目の当たりにすると、そろそろ面白いを通り越して恐かった。
 朝焼けの匂いの中に、まだひんやりと夜の体温が混じっていた。ビルの隙間から顔をのぞかせる太陽が目に突き刺さる。叩き起こされたばかりで正気のない顔の連中を誘導しながら、駅に向かって歩いた。もはやアンデットの行進そのもので、太陽光を浴びて灰に変わるのではないかとも思われた。
 改札での別れ際、K先輩に「末長くお幸せに」と伝えたとき、なんとも晴れやかな気持ちになったのを今でも覚えている。

・あとがき

人がカラオケに足を運ぶまでには何かしらのドラマが必ずあって、歌った曲は染みついた匂いのように思い起こされます。思い出を文にしていると、無性に懐かしい気持ちになりました。

・コメント
憧れの人を憧れとしつつも、距離を詰めない感じのもどかしさに現実感をものすごく感じました。心当たりが、あり過ぎる…! 最終的に恐怖にかわっているけれども笑
個人的に、人にダメになって欲しいらしいのくだりがとても好きでした。
深夜、明け方で、誰かが寝静まってから交わした会話ってなんでこんなに覚えているんだろうか、と自分にも身に覚えがある感覚で、脳内再生が余裕過ぎました。


苦しみの箱

水畠聖子(@wakuwakuwahhoi)

 私はカラオケが大好きだ。音が詰まった箱。誰もがその空間ではアーティストになれる。
 素人の自己満をいくら垂れ流しても誰にも何も文句を言われず、採点のコメントはやや贔屓気味に褒めてくれる。
 気心知れた友人と歌って騒ぐのもまた一興。一人でじっくり歌唱に耽るのもまた一興。恋人とデュエットするのも乙だろう。楽しいカラオケ。楽しいイメージがこびりつくカラオケ。イメージ。笑顔のイメージ。 ここでは語られ尽くされた楽しさの話はもうやめにする。
 本当の苦しさの話をしよう。
 笑顔溢れるカラオケのイメージに押しつぶされ、ひしゃげた苦しさの話。 カラオケが苦痛なとき、あなた方はどうして苦痛を感じているのか。どんな時、どのように苦痛なのか。カラオケが好きなのに、帰りたくて仕方がない時、あなたはどうして帰らないのか。
 私は、「あまり親しくない知人」とのカラオケが異常に苦手だ。普段友達や一人で利用しているあのカラオケの空間の時間感覚が、著しく歪んでいるように感じる。精神と時の部屋にでもいるような。何回スマホの時計を見てもせいぜい十五分ほどしか進んでいない、あの密やかな絶望感。いつまでも鳴らない退室十分前の電話。
 板に挟まれた「フリータイム」と印字された感熱紙。 大体、大して親しくもない人はなぜ「もっと仲良くなりたい」からとカラオケに誘うのか。あの空間が恐ろしくないのか。恐ろしがっているのはどうせ私だけなのだが・・。
 しかし、そもそも人間と友好関係を深めたいというのならまずは映画なり美術館なり互いに「共通言語」があるものを計画立てた方が絶対にいいと思うのだが、どうだろうか。
 映画なら鑑賞時間無言でいいし、上映後映画の感想なりで話すことができる。美術館もあまり相手に意識を向けなくていいし、話しかけられたらところどころ絵の感想を言い合えばいい。美術館はうるさくすることがそもそもマナー違反なので、何か喋らなければ、と焦る必要もない。
 そういう「感想」を言い合えるところにしてくれればいいのに、カラオケときたら最悪だ。まず密室で、共通言語がゼロの中スタートする。選曲もあまり親しくない知人となればほとほと気を遣う。
 相手の好きなアーティストの曲を知らなければ乗ることもできないし、逆に相手側が知らない曲を間違えて入れてしまって「この曲知らないけどなんかいいね〜ふ〜ん〜・・」と微妙なフォローとその後の歌唱中のより微妙な空気が体に刺さりまくって辛い。
 一番から二番にかかる間奏中無言なのが気まずくて疲れてしまうし、無理くり明るいキャラを装って間奏中も喋るとそれはそれで時間が足りなくてすぐ歌が始まってしまう。
 逆に相手側が歌っている時も現実逃避にスマホを触っていいのか(友達とカラオケに行く時は普通に触る)わからず、かといって歌っているあいだ下だけ見てるのも失礼なのかもしれないなと思い、結局画面を凝視して明るすぎる光に網膜を焼き、ニコニコしながら首を曖昧に振って今楽しいですよ〜と全身を使って訴えることに従事している。
 途中で笑顔を形作る筋肉がピクピク痛みを訴えてきても我慢する他ない。接待なのだから。親しくない人と行くカラオケは接待なのだ。
 ドリンクバーにおかわりを汲みに行く時、トイレに行く時が唯一の安心できる時間だ。この時間を極力増やすため、ドリンクバーはバレない程度に少なめに注ぐし、膀胱にできるだけ力を込めて「トイレに行きたいかもしれない」という信号を脳に送るよう努力している。
 したくないけど嘘ついてトイレ行けばいいじゃないか、と思うかもしれないが、あまりにも嘘すぎる嘘をつくと失礼な気がしてくるので、嘘すぎない範囲で嘘をつけるように膀胱に力を込めて「排尿、したいかも・・」と脳を騙しているのだ。自分を騙してまでこの場から一時的にでも脱出したいという大袈裟すぎるほど逼迫した思いがあなた方にわかるだろうか?哀れに思うかもしれない。好きなだけ思うといい。私が哀れなのではない。あなた方がこの細やかな苦しい情報を拾うセンサーが退化しているだけなのだ。遅れているのはあなた方だ。それは冗談だ、劣等なのはこの私だ。さっさとこのセンサーが退化してくれることを祈る。
 途中で帰る口実を何回も考え、脳内でシミュレートしてみる。親が急に来たから、水道管が壊れたから、バイトがあるから、荷物の受け取りがあるから・・。そんなことを考えているときに限って相手側は盛り上がって来ており、帰るに帰れない状況が作られていく。
 しかし、終わらない日はないし、やまない雨もない。カラオケがじきに終わる。終わった、と達成感と同時に、金銭も発生しないのになぜ私はこう労働じみたことをしているのだろうかとふと徒労感に襲われる。それはとりあえず考えることをやめる。
 解散して一人になった時歩く、薄暗い道がとても好きだ。本屋に入ってみたり、思い思いの寄り道をしながら歩を進める。親しい人と行動するのもそれなりに疲れるのに、親しくない人との行動はより消耗する。体力戦だ。
 そんな戦いを終えた自分に、ささやかな褒美と称して贅沢をすることが許されることが、唯一のいいポイントかもしれない。 そんなに苦痛なら誘われても行かなきゃいいじゃないかと思われているやもしれない。そう思うのは山々だし、実際私もそういったイベントをなるべく避けて生きてきているのだが、全て避けられて生きてこれたならそう苦労はそもそもしていない。
 物には成り行きというものがある。外堀を埋められて身動きが取れないことだってある。そこそこの年齢の方々なら総じて同意してくれることだろう。
 私はまだピチピチの二十歳だが、そこのところを完全に理解している。と同時に、そんなしがらみに諦めて従属するものか、嫌なものは嫌だ!という子供じみた反抗心も少しながら持ち合わせている。二十歳という年齢は現代ではまだまだモラトリアムといっても大丈夫といえば大丈夫な気がするので、もう少しばかりは反抗心を生かしておきたいなと思う。
 同僚と仲良くなりたくてカラオケに誘うのが大人なら、それを断る子供側でいたいものだ、いつまでも。

・あとがき

書き上げたものをあらためて読み返すと、こんなに社交性がないのによくまあ誘ってくれるというか、わざわざ誘ってくれる人たちに悪いなあという気がしてきますね。勇気を出してなるべく断ります。一人カラオケ大好きです!

・コメント
ドリンクバーのくだりが秀逸すぎて好きです!! 嘘を付くのが嫌という、すごく良心的な葛藤…! 絶妙…!
この葛藤、社会に触れたことがある人なら多少なりとも共感できるだろうなと思いますね。
お酒を飲める年になったので、お酒という特効薬はどうなんだろうかと思ったり思わなかったり。


出来すぎた話./Everything (MISIA)

ミラヤギコ(@mirayagico)

 突然ですが,みなさんカラオケってどこでしたことありますか? 大体の方はカラオケボックスかと思います,私もそうです.
 が,たった一度だけ,カラオケボックス以外での経験がありまして…
 某所にあるライブハウスのステージ上でカラオケをしたことがありました.
 それも客席には友人…どころか顔見知りは一人もおらず,知らない人が数十人居る状況で.
 …それはカラオケと言えるのか?そもそもあなたの職業って歌手だったりします? いえいえ,私は歌手ではないですし,あれはれっきとしたカラオケでした.
 ということで皆さん初めまして,とちさんの友人のミラヤギコと申します. 普段はSEしながらコミティアなどで同人誌を出しています. とちさんがカラオケエッセイを募集していたので,少し昔ですが思い出深い話をひとつ寄稿することにしました.
 ちなみに普段のカラオケスタイルはみんなが知ってる曲やネタ曲を多めにしながら,高いスコアを出すことを目標にしたカラオケです. まあ高いスコアと言っても得点ではなく消費カロリーの方ですが…なおMAXはタイトルにある歌で27.3kcalは叩き出したことがあります.
 閑話休題,話は戻りますが,そもそもなぜ冒頭のような状況になっていたかと言うことですが….
 あるとき,私の大好きな某グループがライブすることになったのですが,その前日に予定していた別グループがキャンセルに.そこで穴を埋めるためその方たちが急遽トークショーを実施することになりました.めったになり珍しい機会ということで私も参加することに.
 トークショーはいろいろな話題が出つつ時折観客席側に話を振っていくスタイルで進行し,まあ程よく全体が温まったところで話題が「カラオケ」になりました.
 「みんなさ,カラオケの十八番ってなに?」 今までちょこちょこ話は振られていたものの,挙手だったり頷きだったりと簡単なリアクションを求められるのみ.ここまで具体的な,それもかなりプライベートな質問はなかったので,観客全体は様子をうかがいながら尻込みする空気に.
 私ですか?私は様子を見つつ,こういう所で誰も行かなかったら率先するタイプなので,辺りを見回して一呼吸置いてから手を上げて,こう答えました. 「MISIAのEverythingです!」 ――私をある程度知っている人に十八番を伝えると,みんな謎の笑いが起きていたのですが,今回もご多分に漏れず,でした. あんまりそういう曲を歌うイメージがなさそうなので不意打ち感やギャップがあるんですかね,まあいいや.
 ということで,わたしの解答を聞いたその歌手はにっこーという顔になり,ホンマに!?と答えた後,こう口走りました.
 「前に出て歌ってみてや!」 ――今,なんと?というかここがどこで状況分かってます? 今ライブハウスで,周りに居る人はあなたたちをトークを聞きに来た観客で,その人たちに対して一観客の歌を聞かせようとしてます…?本気?ですか? 歌手の方が笑顔で手を伸ばしてますし,周りの観客はノリノリで拍手をしてくれてます. ええんかそれで.
 …ええようなので拍手に押されるようにステージ上へ上がっていきました.
 すっげーこれがライブハウスの舞台からの眺めかよー.めっちゃ観客の顔見えるやんけー.
 あーあの辺りに座ってたなさっきまでー.もう緊張とかそんな次元ちゃうわー.
 …背後から聞こえてきたEverythingのイントロで一瞬にして正気に戻されました. もうここまで来たらハラ括るしかない.全力でいったれ! 歌い出しの直後から観客席と舞台袖から笑い声が聞こえた後の,観客の皆さんが手をゆっくり左右に振っていた光景は今でも覚えています.あれで暗闇の中ペンライト持ってたら完全に武道館でしたね.
 あのときは本当にライブハウスでライブしている歌手の気分でした. めちゃめちゃ気分は上がるしノドの調子もめっちゃいい.ええぞ,もうすぐサビや,思いっきり息を吸い込んで――!
 突然なんですが,関西人の言動にはオチというものが往々にしてありまして. この時の歌手の方も関西の方で,わりと…だいぶお茶目な方でした. その方が何もしないわけはなくてですね…. 某お昼に鉦の鳴る番組のごとく,サビの直前でぶっつり音源が停止,私のカラオケはそこで終わりました. 完全にオチのような終わり方になってしまいましたが,めっちゃ笑いは取れたので,割と満足はしていますね,ええ.
 ――という,レアすぎるカラオケ体験のお話でしたが,みなさんこのエッセイのタイトル覚えてます? 「出来すぎた話.」なんですが,出来すぎた話は実はこれじゃなくて,この後でして….
 このライブの後,最寄り駅まで帰った後途中でコンビニに寄ったんですよ. そしたら,店内のBGMでまさかのEverythingが流れていたんですよ!
 いや,これ本当なんですが,ここまで言うと「それは話を盛りすぎ」と言われるんですよね….
 分かります.ライブハウスの話だけでもだいぶ特異なのに,そのエピソードは蛇足感強くないか, 無理やりなオチ付けてないかと.
 …分かるんですが事実なんですよ,なにせ自分が一番信じられないし,出来すぎてるやろ,と耳を疑いましたから.

・あとがき

とちさんのカラオケエッセイ募集のツイートを見たとき,真っ先に思い浮かんだのがこの話でした.そしてエッセイ的な,仕事以外で誰かに寄稿する文章もひっさびさに書いた気がします.エッセイなんで完全にノリで書きましたが,これが小説とかになるともっと難しいだろうな…と思うと物書きの人は本当にすごいですね….

・コメント
めっっっっっちゃ面白かった。文字書きじゃないゆえの、なんだこれ、落語か。落ち含め的な爽快感にグイグイ引き込まれていきました。
っていうか、Everythingってバラードで失恋?心が離れていく様を歌った曲なのに、こんなエピソードと絡めて語られることあるんだ…
今度、カラオケ是非いきましょ~!


チキンな私/スノースマイル(Bump of Chicken)

匿名希望

 今も私はカラオケが苦手です。聞くだけのライブが好きです。だって、カラオケにいい思い出があまりないから。
 私のカラオケの黒歴史を紹介します。
 初めてカラオケに行ったのは中学生の時で、お世話になった部活の顧問の先生の送迎会のカラオケでした。
 カラオケってなんなのかわからず、好きな曲を歌える場所ということだけ知ってました。
 当時私には好きな人がいました。
 相手は幼稚園からの幼馴染で、小学校・中学校とずっと気になってました。
 そんな中、好きな人を含めて送別会の2次会でカラオケに行く予定になってました。
 当時の私は中二病全開の時期で、好きな人にいいところを見せたい!っていう気持ちが強くなってました。
 どんな曲を歌えば振り向いてもらえるかな?って考えた結果、当時好きだったBUMP OF CHICKENのスノースマイルを歌おうということになりました。今考えたら選曲ミスですね。
 ただ、私はあまり歌が上手くありません。なので前日の夜に自室で練習してました。何度も何度も。
 そしたら、父親にうるさいと怒られた挙句、寝坊して一次会に遅刻し、練習しすぎて声が枯れてました。
 結局そのあとは、8年も片思いしていたにもかかわらず行動できなかったです。

・あとがき

今から考えたら甘酸っぱいどころか中二病を拗らせただけですね。
それ以降、私はカラオケで数多くの黒歴史を積み重ねてきました。詳しくはまた機会があれば書こうと思います。カラオケに誘われるのはすごく嬉しいです。知人の方は誘ってあげてください。

・コメント
タイトルとアーティスト名を掛けている訳ですね!
聞いたら、そんな甘酸っぱいエピソードに拍車がかかりました。次こそは勇気を持って行動してください!(うるさい)


歌う悦び/ETERNAL BLAZE(水樹奈々)

柊とち(@tochi2go)

 カラオケといえば、私が思い出すのは大学一年生の頃だ。
 私が入学した大学は、小規模の大学でサークルの数が少なかった。漫画や文芸関係のサークルにでも入ろうと考えていたが当てが外れ、なぜか合唱サークルに入ることになった。理由は単純明快。元手がかからずにできると踏んだからだ。
 合唱をするのは初めてで、高校時代にカラオケで友達がリップサービスで「歌上手いね〜」と言ってくれた程度では足りないどころか、歌い方そのものが違うし、ピッチを安定させるのにも苦労をしたし、息も続かなかった。
 一緒に入った同級生は中学生の頃からやっていてとても上手で、親切な彼女はパートも同じだということで色々教えてくれたし、授業でも休みの日でも仲が良く彼女の家に入り浸っていたけれど、その時はとても複雑な気持ちを抱いていた。
 そんな気持ちでも、大学生活の合間になんだかんだと合唱にのめり込み、練習は日常の一部となっていった。
 そして、冬の定期演奏会に向けて日々練習を重ねた。おそらく、授業より頑張っていたと思う。
 定期演奏会と言っても、ほとんど見にくるのは身内ながらも、ガチガチに緊張していた。
 結果は、練習の甲斐あって成功。細かい部分はあれど、大きな失敗はなく、終わることができた。
 打ち上げで本番のことや大変だった練習のことを語りながら、上級生は酒を交えながら食事を終え、ほとんどのメンバーが二次会のカラオケへと移動する。もちろん、夜を明かす気満々だ。
 そこで、あらゆる曲を歌った。普段は合唱曲に真剣に向かい合っていながらも、それぞれアイドルソングやアニソン、POPS、ロック等様々な曲たちが入り乱れる。本当に楽しかった。このために、日々苦しい思いをしながら、練習してきたんじゃないかと思うほどに!
 どちらかといえば、好きだと思った曲を延々と聴いているタイプだったので、世界がぐっと広がった。

 私は、ずっと好きで、サークル内でも好きだと公言していた推しである水樹奈々ちゃんの代表曲「ETERNAL BLAZE」を入れた。入れたというより、先輩たちがあるよ、これなら私も分かる! と言ってくれたのだ。
 そして、順番が来て、映像と音が流れて、みんな口々に歌ってくれる。大合唱だった。ハモって、ユニゾンして。ずっとこの時間が続けばいいのに。
 朝からリハーサルをやって、歌い詰めだったのに、誰も歌うのを止めようとしなかった。
 四時だか五時になって、夜のフリータイムが終わり、残ったメンバーで始発を待つためにファミレスへと流れ込んだ。
 そこで、とある先輩にふと言われたのだ。その先輩は、優しかったけれど、クオリティに関してはとても厳しい、パートは違ったけれど師匠みたいな人だった。
 「とちちゃんがあんなに楽しそうに歌うの初めて見た。歌うの好きだったんだね」
 そう。歌うのは好きだった。だから、なんだかんだでこのサークルに入ろうと思ったし、続けてこれた。
 でも、さっきまで、楽しそうには歌えていなかったんだ、と自分で驚いた。
 ピッチを気にして、ブレスの位置を気にして。周りの音と調和しているか。いつも顰めっ面になっていたのだろう。いつも指揮者に「笑顔が足りていない」と言われていた。
 でも、歌うのに大事なのは、何より笑顔だったり、楽しそうに見えることだったりしたのだと、ようやく気付かされた。
 なんて答えたかは覚えていない。それでも、先輩のその言葉はやたらと鮮明に覚えている。
 みんなで歌った「ETERNAL BLAZE」を聴くたびに、曲は思い出を重ねて成長していく、と、推しがどこかのインタビューで言っていたことと、あの戻らない青い日々を思い出して、歌うことの楽しさと喜びを噛み締めている。

・あとがき

なにを書くか、話題を振っておいて自分の話題は決まってない、そんな感じでしたが、やっぱり頼るは推し曲。思い出がありすぎる。
先輩の言葉も、あの冬の寒い明けていない朝の気だるさや空気感も、ひたすら楽しかったことも、なにもかもをはっきり覚えていて、でも、もう一生そういうところにはいけないんだな、と思いながら書いていました。


以上となります。
楽しんで読んでいただけましたよね!!

もし、興味のある方は、次回「深夜」というテーマで募集しているので、そちらに投稿していただければと思います。
それでは~!!!


今後も企画を続けていきたいので、よかったらコーヒー飲ませてください!!


ここから先は

19字

¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?