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十年後どうしとく?

#何かあった未来

これからの十年を思う。
二つの道がある
ひとつは輝き切ること。
置かれた場所で咲き散る道。

もうひとつは新たに
自分の道をゆく。

職業人としてのカウント次第。
60歳とするとあと十年。
体力気力を含め70歳まで
とするとあと二十年。

十年でできること
二十年でできること
同じではない。

十年でやれること

権限と責任を増やし収入を安定させる。を考えそうだけどこれは不足があればの話。最大では無いが現在足らないとは思わない。収入は多くはないけど、それに合わせた暮らし方を選べばいいい。権限と責任=役職や地位と思われがちですがわたしには違います。これは発言権誰が言うと考えています。この人が言うならば。と周囲を巻き込める力と思います。その人数が上司部下同僚含めてどれだけ多いかです。わたしは役職や地位に関係なく発言権を持たせてもらえてると思います。それは支援者スポンサー理解者パートナー協力者サポーターを持てているか。です。

そうなるとこの十年でやれることは結果のみ。成果の最大化だと理解しています。それをやり切るか。成し遂げられるかがこの十年です。

二十年でやれること

新しい道へすべては自由。ただし失うものもあります。前述した発言権。それに支援者と協力者です。スポンサーとサポーターを失い誰も耳を傾けてくれないところからリスタートです。個人で何かを始めるにしても転職するにしても同じです。そこなんですよね。

十年で積み上げられるものと二十年で形にできるものは違います。ここからは体力も落ちてきて伸び代も減ります。その分経験は加点される。それでも二十年後には今と同じく発言権と支援者や協力者は持てていると思います。そこで70歳。さてどちらに進むかです。

何を求められるか

何をやりたいか。正直もういろいろと叶っています。何度も語ってきましたが、楽しいなって思ってもらえるか。笑顔が生まれるか。です。数さえ望まなければ、そんな仲間と仕事はできたと顧れます。なのでこの先は、わたしの人生何を求められているか。が羅針盤かもしれません。

はて。何を求められているのでしょう?

わたしのどの部分に誰が求めてくるか。で変わってきます。上司が求めるもの。部下や同僚が求めるもの。友人や家族が求めるもの。その全てに応えるのは難しいですよね。となるとやっぱりここは天の声も聴かなきゃかな笑。

人生と仕事

これを一緒に考えてみる。それぞれの寿命は若干違う。現在の死亡者数が一番多いのは男性で85歳前後。女性で95歳前後。平均寿命はこれより下がる。これからの医療進歩であと5歳はわたしの人生内で伸びそう。そうすると…90歳くらいまでを寿命とする。

70歳まで働く
90歳まで生きる


あと二十年働いて。四十年生きる。求めらるものを仕事も人生の一部と考えるならば四十年ある。焦らなくてもいい気持ちになってくる笑。ただ90歳までとなると70歳からの二十年を慮る。すると違った景色が見えくる。

四十年で与えられるもの

今も初老ではあるけれど汗。老人になっても与えられるならそうありたい。そう。求められても何を与えられるかで変わる。

何を与えるか

なんだろう…
やっぱりそれは


感動


かな。

感動を与えること。何で?それは沢山ありそうだ。寿命を全うできるならば歳月がそれになる。子孫に遺すものとして財や知恵に人脈や芸事も四十年あればかなりのものとなる。有形無形で感動を与えられるレベルに達する可能性は充分にあるはずだ。

行き着く所

つまるところ好きな道を進むしかなそうですね。この世の唯一の存在である自分の軌跡は完全なオリジナル。それを磨いて求めらるものに応えていくこと。その道を選ぼう。

シナリオ設計

有形無形で企画を起こす。大小や公私に捉われない。わたしはまだまだ出会いを広げる必要があるのだと思います。その数を増やすことが目的ではなくて繋げていくことですね。対象は人と人だけではないと思います。場所や音や物もそうだしもちろん言葉も。それを人に繋げていくためにもっともっと。まだまだ広げていかなくては。深めるのは70歳からでいいかな。

より多くと出会える道

これをこの十年で選びます。



ここまでお読みくださって
ありがとうございます


愛読しているめぐまつさんのこの記事に
触発されて執筆しました☆



ゆうなって






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