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体験以上を語らない

#介護日誌


10月21日の介護認定の通知で『介護5』を知らされてから3ヶ月が経った。

当初は酷い状態だった。腰椎骨折で動けずに家で寝たきりになっていた。腕に点滴。お腹に管に摘便処置。眩しいと言う理由で、窓から光が漏れないように塞ぎ昼でも暗く、夜は電気を付けられずに食卓ではランプを灯して食べていた。

わたしにはもちろん介護の経験がない。初めての事ばかりで様々なアドバイスを聞き入れては状況が改善しないのに焦燥して疲弊しきっていた。

本当にありがたく思っていたが、ほとんどの助言は効果が無かった。一番多かったのは

「とにかく優しくしてあげて」

これが介護する我々の気持ちを日々締め上げた。おそらく正しいアドバイスと思う。優しくしたかったが四六時中呼びつけられる。LINEの履歴を見ると…

これが毎日繰り返される

年末年始は、側にいたが少し離れるとLINEのほかに携帯にも掛かってくる。寝過ごした場合は固定電話も鳴り響く。睡眠が取れないでいた。内容もわがまま放題になりいろんな些事を昼夜問わずに注文してくる。優しくするどころか微笑みも消える。表情を無くすのに一ヶ月はかからなかった。次に多いのは

「頼れるサービスを使うといい」

サービスを使う以前の問題があった。地域では大きな総合病院で診療を受けていたが「問題なし日常の生活に戻っていいです」と診断をされたが、それから容態が急変していった。わたし達はどうしていいか分からなかった。認定が下りる保証はない。どのくらい費用が掛かるのか?地元でもなく、突然のことなのでかかりつけ医などなかった。病気ではないと診断され入院もできない。視野も狭くなり判断も鈍る中で、ようやく在宅診療の医院に気がついた。これで事態は変化していく。その次に多かったのは

「家族がまいる前に施設に預けて」

まず治療ではないこと。母親本人は今でも病人としての主張をしてくるが悪いところは無い。寝たきりになった頃はなんとか良くなって欲しくて、みんな必死。そんな時は疲れは飛んでしまう。次第に様子が変わってくる。介護認定を受けられたのは「容態」と「衰弱」によるもの。癌や認知、麻痺などではない。そうなると施設へ行く必然性が生まれないので本人の同意が必要となる。

それが得られない。断固として母親は拒否をしてくる。デイサービスも4階エレベーターなしの階段が降りられない。ベッドから送迎バスまでの手段が介護タクシーしかなく、毎回8,000円の費用で断念している。

すべて在宅を望み頑なに拒否する母親を
連れ出す方法が見当たらない

頭ははっきりしている。強行して叫ばれたら虐待している気持ちになる。そんな母親を説得するための助言はもらえるはずもない。

介護は壮絶

程度の重さや軽さではなく、様々な条件が重なり合って様々な介護者が存在する。良かれと思って体験していない知識によるアドバイスをするのは、当事者からすると負担になることを実感しました。一般論を当てはめられるのもかなり精神的にこたえます。もし、わたしに介護について助言を求められる時が来るならば実体験以上の事は話さないと心に決めました。

アドバイスをくださったほぼの方が施設に預けられて、在宅で介護されている方はいませんでした。わたしの場合は特殊なケースかも知れません。



現在は…

窓からの光を取り戻し、相変わらず在宅ではあるがリハビリも進みいろんなものが改善してきています。今年のはじめにわたしが母の部屋の壁に貼ったものがある。

ゴールイメージ

そして

まずここを目指して


朝昼晩と孫と食卓を囲み
昨日の夜中にひとりでトイレに行けた

やっとここまできた
ようやくSTEP①が達成されそうです

わたし達に笑顔が戻るのはまだ先ですけど
家は少しづつ明るくなってきている

あー星とともに眠りたい笑




ここまでお読みくださって
ありがとうございます

あまり前向きな話ではなくて
ごめんなさい涙

ゆうなって

















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