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紅葉を観にいった。

祝日は、有休とって彼と紅葉を観に行った。

11月からは毎週土曜日デートするかんじになるのかなって思っていたけど、彼が日曜日と祝日だけお休みで、わたしは、日曜日仕事なので、日曜日のわたしの仕事のあとに泊まりにきてもらって、月曜日はふたりとも仕事なので、お弁当つくって出勤。そんな日々が続いていた。

日曜日休むのは無理だけど、祝日は休み希望を出して、彼も単発の仕事入れないでくれてわたしがどうしても行きたいって言ってた紅葉を一緒に観に行った。

わたしはもともと森とか花とか自然散策が好きなので、思いの外、薔薇とかいろいろ観れて、わりとテンション上がってた。お天気も良くて、やっぱり晴れ女だねて言われた。


気づいたらお誕生日旅行から一月経つ。

知り合ったのが7月下旬
初めて会ったのが8月下旬
9月下旬に彼が転職を考え出して
10月下旬に無事にお誕生日を迎えて
11月下旬もなんとか無事に、迎えられた。

知り合ってからほとんど毎日連絡を取り合って4ヶ月。
夏が秋になり、もう、すぐに冬になる。

もうすぐに、彼が愛した奥さんの七回忌。

謎は、まだ全て解けてないけど、少しずつ、ひとつずつ、紐解かれて、明らかになってゆく。

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彼が、奥さんを亡くしてから一回忌を迎えるまでの毎日を綴ったブログを読んで、正直なところ、わたしはかなり精神的にダメージを受けていた。
それに加えて彼のメンタルも落ちていたので、ここで共倒れになるわけにはいかないと思い、ひとりの時間が足りないと感じていることを正直に話したり、彼のために毎週していたお菓子作りは、いったん中断した。

彼と出会ってから、わたしはよく泣いている。ふたりで生きるって、大変なことだなと思う。
わたしは依存されてるからつらいのではなくて、依存されてることにわたしが、依存してるからつらさを感じるのだと思う。

あと、いつだってなんだって、わからないから不安なんだとおもう。そのことは、いつも忘れたくないなって思う。

10年くらい前だったか、泣くような恋はもう、やめようって思ったことを思い出した。そのとき泣いていた内容と今の涙の内訳は同じなのだろうか?

その頃は、今よりもっと、自分に自信がなく、どんなに褒められても心の底でほんとうの自分は無価値だと思っていたから、自分がなにも変わらなくても認めてくれる(と思われる)人に依存していた。

その頃と自分が違うのは、なにかって言うと、ダメなときの自分をゆるすって決めたことと、動けないときもあるけれど、自分が少しずつ、自分の問題を解決できていると実感していて、これからも少しずつそれができ続けると、信じていること。

オンの自分は愛されて、オフの自分は愛されない、そんなふうに感じていた。実際きっとそのくらい、落ち込んだときのオフ(メンヘラ)っぷりったらなかった。

さみしくてさみしくて、信頼できる当時『好き』だった人に毎日電話をかけたし、(だいぶあとになって、毎日電話はキツかったと言われた)、彼氏と別れたときはごはんが玄米のお弁当から、カップ麺になった。

すっごくしあわせで、楽しくて、環境にも人間関係にも恵まれていたのに、あんなにもつらかったのは、自分で自分を支えられていなかったからだとおもう。

『感じる』ことが全てで、自分がどんなふうになりたくてそのためになにをすればいいのかなんて、考えなかった。そういうのって、中二病というのだろうか。
でも、間違いなくキラキラした毎日で、わたしにとって青春であったし、純真無垢でありわがままでもある、童心に帰れたかけがえのない時間だった。

すごく歳上の尊敬する先輩に、どうすれば飛ぶのがうまくなりますか?と聞いたら、とにかく、飛ぶことだよ。と言われて、早朝から日暮れまで毎日練習したあの日々。全く勉強も他の努力もせず、ひたすら練習ばかりして、いろんな気持ちを味わった。楽しくて楽しくて、そして、果てしなくどうしようもなく空っぽだった。

業界を辞めて離れてからも、とてもつらかった。結局は、どんなにしあわせでも、どこへ行っても何をしても、わたしは人間関係とメンタルで全てがダメになると痛感した。
ただ、どうすればいいのかは、まだまだよくわからなかった。コミュニケーションや心理学を学んではいたけれど、自分の心の癖とか、傾向や特性を理解していなかった。

それでも、素晴らしい本に出会ったり、学んだりしていくうちに、一気にがらりとなにかが変わることは無かったと思うけれど、ほんとうに、ひとつずつ、少しずつ、自分というものがわかってきた。

たぶん、自分のことがわからないから、人生が不安で、こわかったのかもしれない。

今でもわからない部分はある。

でも、わからないなら、知ればいい。

それを今のわたしは、知ってる。

こわいという気持ちや、不安や涙が、愛すべき自分の、大切大切な感情であるということ。

だから、わたしは、きっと、大丈夫。あなたも。





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