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アフターコロナに待ち受ける世界

初投稿を見てみて、なかなか文字だけってのも難しいですね。もっとパワポみたいに作れれば楽なのですが笑

今回は件名の通りアフターコロナに関してです。

デスストランディングというゲームをご存知でしょうか?

http://www.kojimaproductions.jp/sp/death_stranding.html

近未来のアメリカを舞台にしたオープンワールド型のミッションゲームだ。このゲームにはほとんどと言って良いほど人と人が直接介すシーンがない。

なぜなら詳細は省くが時雨と呼ばれる雨で全てのものが瞬時に経年してしまう現象と座礁帯と呼ばれる、いわゆる幽霊みたいなものがそこかしこにおり、簡単に外出ができないような状況だからだ。まさしく今に近しい。

アフターコロナ、withコロナなど様々な領域の人がこのテーマについて語っているので私も考えてみた。

まず明らかなことは

■コロナ前の過ごし方には戻れない

この1点はブレないと思う。

人は、特に日本人は今まであまりに不条理、不都合、無意味なプロセスが、多いか痛感してしまったからだ。

仮にコロナのワクチンや特効薬が出たとして、もはや誰もわざわざ複雑なことへ戻ろうとしないだろう。

そして、誰しもがEC機能の便利さを改めて感じたはずだ。よって、これも最早O2OからOMO(online merge offline)と叫ばれて久しく、売場そのものの価値が極端に下がるか、極端に上がるかの2択に迫られると感じる。

売場の価値が極端に下がるもの
これは飲食店など賃料に対し、その場で売るものでペイするモデルは厳しい環境となるだろう。これらはその場だけでなくテイクアウトや、提供物によって空間を占有されない回転率の向上が鍵となる。これは上記の通り、EC機能を如何に上手く活用できるか、ではないだろうか。

売場の価値が極端に上がるもの
これは美容院などその場で提供されるものがやはり価値があると再認識されるものだ。
しかも、それがエンターテイメントの様な無くても困るものではなく、生活に根差してるものが特にそうなるだろう。
これらは早々に自分たちの価値を見直し、感染に対する対策や逆に売場自体が顧客の方へと移動するビジネスモデルを付け加えるとさらにうまくいく可能性があるのではないだろうか。
それに対して、EC機能をどこに持たせるか?が鍵となる。

■プライベートと仕事が溶け合っていく人員再編

現在在宅勤務をしている方もいるだろう。
しかし、それはホワイトカラーな仕事であることの証明に他ならない。

海外でもエッセンシャルワーカーと呼ばれる、ライフラインを維持するブルーカラーが議論を集めている。
残念ながら彼らの社会的立ち位置は高くない。
なぜなら、平時に置いてそれは単純作業であったり、代えが利きやすいものだからだ。

ところがこれがコロナ市況で長くなれば、彼らの地位が飛躍的に上がるかと言えばそうではない。
逆にこれを機にRPAやAIなど、プロセスにおけるデジタルシフトを検討する明確な材料になってしまうからだ、そうなると彼らの職はドラスティックには無くならないが浸食されていくだろう。
これはホワイトカラーも例外ではない。
来なくても/いなくてもさして変わらない人材を企業は保持し続けることが難しい市況になっていく。
こうなるとブルーカラーをこなしてきた人より厄介な、プライドばかり高い無職が市場に溢れる可能性もある。

いま次を生き抜く力を持ち合わせている人たちは自分がいま何をすべきか定め、粛々とプライベートと並走しながら実行している人に他ならない。

これには強靭なメンタルと程よい適当さ、最終的に見据える方向性の勘を持つものたちだ。

結論が出ずに悩むのと結論を出す為に考えるのは違うのだ。
建設的にマイルストーンを刻みアクションできる人がアフターコロナ市況でも輝く人材となれるのではないだろうか。

■一次産業の再価値化

こういった非常時でも最終的には食料さえあれば生きていける。
そういった意味で一次産業に改めてスポットライトが当たるとともに効率化や最大化にテクノロジーが用いられるだろう。
もしくは高齢過疎化が進む田舎の土地を束ねた農業のチェーン化や経営も上記の様な不都合な社会システムの改善により、参入できうる環境になるかもしれない。
いわゆる閉鎖的な村社会制度が変われば日本も変わっていくだろう。

■グローバル化からローカル化へ

これまではグローバル化一辺倒だったものが
・人の移動が貴重になってくること
・もはや都会でなくても機能としてはことが足りること
で満たされてしまうので、言語的な意味で英語は重要ではあるが、文化的な交流といったものが乏しくならざるを得ないのではないだろうか。
この影響こそ考えてもわからないに尽きるが、悪い方向に進めば自国主義に走ることになり、不況が深刻になれば歴史の繰り返しの如く戦争に波及しかねない。


つらつらと書いたが、冒頭述べた通り、元には戻れないし、かつて3.11の時に日本が大転換した時と同じく、さらなる大変化が求められるだろう。

環境適応できたものだけが生き残れる。
とてもシビアな時代に生きていることだけでも感謝しよう。

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