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探究ノート

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#生きるベクトル

今を今として

今を今として捉えること 同時代同時間を共有していること 今年2020年の現実 携帯持たない、TV見ない、ラジオ聞かない、新聞も週刊誌もネットも見ない、そんな生活で、いま起きていることを、共有しない日常ならば、何も変わっていない、何も変わらない今年だったでしょうか。 2000年以降から、普通に多くの人達と共有してしまってる情報が沢山あるわけで、それぞれに興味あるなしの差はあるかもしれないけど。良いことも悪いことも我が身に起きていなくても、それも我が身だ!と共通疎通してしまう

希望に変えるエネルギーを考える。

この年、コロナは関係なくなんかない思う。目に見えないコロナによって人々の生活・日常は動きが止まってしまった。心も同じだ。新しい生活様式とかゆってソレに慣れるようにみんな頑張ったもんね。感染者の死があんなに無情で型にはまったような最期だなんて、志村さんのことでわかってしまった。そんな最期ってあるかよ…ってなって。コロナだけじゃなくて今年、亡くなった方の為に集まれない。そうしてそのまま時を進めることに、これっておかしくない?ってどこかで何か、捻れてゆくような、ズレてゆくような感覚

例えばなんですけど、、

今がとても虚しいとして、自分のことや言動が全くもって無意味だと思う、思い込んでしまう、 それをしたところで、何も戻らないとか喜びを分かち合えないとか、共有する対相手を想像したりとゆうところで喪失感と向き合うことになる。 でも、その言動そのものが好い行いであるなら、 身近な問題を解決したり、社会や世界といった広くて大きな環境を変えられるような発展も有るかもしれない、ならば言動そのものは無意味ではないわけで、壁となる虚無を越えなければならない。 我らの見える景色が素敵にな

想いの記録

いま、2020年半ば過ぎて、今年はなんでこんなにも試練の年なのだろうか、個人的であることよりも世界的に、世界共通的に、様々なニュースの共有により、生きてくことの正にサバイバル時代だ。生きてくうえで必要なのか越えなければならない苦難なのか、それもわからない。どれだけの人が毎時毎分毎秒、願って祈っているのだろう。ものすごく沢山の神さまが地球体に犇めいて為す術なく茫然としているんじゃないかと思うくらいに、なにか良くなったことあったかな。 実際に我が身に起こる出来事ではなくても、世