《小説》文体練習 リズム 呪い ベケット
通信の難しさについては周知の通りだ。それは困難だ。至難の業である。技術があればどうにかなるのか? 俺はその技術をもたない。持たないまま育った。赤子のようだ。通信における赤子。それが俺だ。このように言葉を扱うことができている? これは違う。これはできているとは言わない。できているうちに入らない。だってこれは通信じゃないから。通信ではあるのだが、俺の意図するところではない。俺の思い描く通信じゃない。これは空中へ、アパートの4階の窓辺から外の空中へ向けて紙飛行機を飛ばすような行為なんだ。わかるだろう? ただ投げ飛ばしているだけなんだ。そして飛行機を模した紙は地面に落ちる。落下するんだ。その上を自動車が何食わぬ顔で通過する。だって自動車にも目的地があるから。目的地のある人がだいたい乗るんだ。自動車という技術には。目的地を設定しない運転者だってけっきょく移動する時間・移動そのものなんていうやつを求めて自動車に乗っている。俺は自動車には乗らないし乗れない。俺は技術における赤子だ。それが俺だ。
生まれてこのかた、まともな教育を受けてこなかった。もちろん最低限の教育は受けさせてもらえてそれについては各方面に感謝している。おかげで本が読める。字も書ける。なにしろいちばん素敵なことにはコンピュータのキーを絶え間なくたたいて、まるでジャズ・ミュージシャンの叩くドラムのようにあまたのキーを連続してたたいて文を構成することができる。それは素晴らしい。それができるようになったことは幸運だ。感謝すべきことだ。ありがとう。でもその教育はまともではなかった。と俺は言わねばならない。残念ながら。まことに遺憾ながら、と俺は言うことができる。そんなことを言うことができるようになってしまった。ということはつまりまともな教育を受けてこなかったということだ。きっと各種委員会において毎週会議を重ねていたんだろう。教育の内容について。長い長いと皆が思いながらも、やらなければ終わらないし終われないから。明日こそは、来週こそはと皆が思いながらも結論めいた言説を定めることをためらってまた次の会議へ持ち越す。そしてまた次の会議へ持ち越す。そのようにして社会人という人種は生きてゆくのだろうが、それが国家の運営であってもやはりそのような側面があることを否定できないのだろうが、俺はそういうふうにして決定された教科書を読みたくはなかったし、現に読まなかった。これは左右の話じゃない。右とか左とかの派閥の話ではない。おそらく。俺にはわからない。そういう区別が。詳しくないのだ。そういった区別について人に聞かせられるくらいに学ぶことができなかった、というのは俺が受けたまともでない教育のなかで唯一まともである側面かもしれない。ではいったい何をその教育は教育すべきなのか? 俺がいうまともな教育というのはいったい何を教えるべきなのか? それがわかればこのような文章を書く必要はない。
俺は子供だった。だいたいそうだ。おおむね大人ではなかった。ひとの話を聞いてそれを分析的にかみくだいて自分の中へ落とし込む、そののち自分の外へ尻からひねり出すことをしていたけれども子供であることには違いなかっただろう。無力だった。力と呼べるものは何も持っていない存在だった。俺を殺すことができる存在はこの世界に無数いて、つまり俺以外の存在はだいたい俺を殺害することができただろう。それでも俺が殺されなかったのは、今もこうして息をすることができているのは、俺が子供だったからだ。無害のように見えたからだ。だいたい無害だった。女の背中を見てその裸を想像したし、ときには想像するだけでなく実地探査に乗り出しもしたけれど、おおむね無害の存在として規定されるに至った。これは驚くべきことだ。なにしろ規定されたのだから。書面で承認されたのだ。役所に提出するきちんとした書類、印鑑の押されたあれによって俺は無害で無垢な存在であると認められたのだ。公けに承認された。これはある種の偉大な決断であっただろう。冒険でもあった。人を規定するなんて! すごいじゃないか。なかなかできることではない。もちろんこの件に関しても人種規定委員会の会議があってそこで長々と議論されたことだろう。白熱した議論が交わされたのだろう。俺はその熱を見たことはないが、多分それは白かった。人を規定するのだから白くあらねばならぬ。当然だ。
その書類を持たされた俺は旅に出た。ながい旅だったのだが、すぐに建物へ着いた。黒い、灰色の建物だった。窓がいくつもあって窓枠は白、その白い格子は鉄で出来ている。もう逃すつもりがないのだ。建物の玄関にたどり着いたときに俺はその施設が何階建てなのかを確かめたかった。それができなかった。すぐさま女がにこにこ笑いながら出てきて俺がほかのものへ注目するのを妨げたからだ。女は太っていた。たくさん食べていたのだろう。あるいは食べたものを排出することがうまくできなかったのだろう。腕や腹や胸が、俺の頭や胴体くらいある女だった。そいつが何を言ったのかを俺は知りたい。憶えていないのだ。当時の俺はそいつらの会話を理解することくらいできたはずなのだが、少なくとも音声を記憶して後になってからそれをもう一度思い返してほんとうはなんと言っていたかを調べることができたのだが、実際問題憶えていない。俺の記憶する力に問題があったか? いやこの場合はそうじゃない。俺の注意をひきつけた女の力のほうが大きかったと言うべきだろう。女がそこに存在して、ただそれだけで異様な、圧倒するものがあって、俺はどうにもそいつが嫌いだった。初対面で嫌いになった。にこにこと笑っていたことと関係があるかもしれない。不要な、あるいは過剰な笑いは不気味さにつながる。
そいつが俺をひっぱってゆき、ついに俺はその建物の中へ入らされた。黒い、灰色の建物の中身の一部が俺になった。俺はその建物のひとつの部分を構成することになった。それでも俺はまだ平和だった。俺の生活は平穏だった。何も不思議なことはなく、時間はゆるやかに流れるばかりだった。もちろんそれは俺がその建物の中へ入ってからだいたい数分のあいだだけだった。
ここへ来て俺の名前を書くべきか? いや書くべきものなんてない。それがわかるなら、つまり何を書くべきで何を書くべきじゃないかが分かるならこういう文章を書く必要はない。だいたい俺の名前はいくつもある。ひとつは家の排水口に流した。もうひとつは細い路地の奥で老人に売った。もうひとつは、というぐあいに続けてゆける。その場合は一大叙事詩を俺が書くことになる。俺にその能力があるか? あってもやらない。そもそも俺は番号で呼ばれていた。白い服を着せられて。皆と同じ白い服を。つまり俺以外にも人間がいた。だいたい子供だった。俺と同世代だったかどうかは知らないし、たぶん違った。でもきっと子供だった。俺のように無力で、言葉を聞き入れる存在だった。皆がそうだった。自分の言葉を自分の中から取り出して、息を吐くように言葉をだらだらと述べることをしなかった。そいつらは俺と同じようにじっとうつむいて大人たちの言葉を聞く存在だった。
まず初めに言葉があった。建物の中での話だ。いや、ここだって今まさに建物の中ではある。どこだってそうだ。どこにいたってそうだ。建物からは逃げられない。屋根があれば雨をしのげる、という話ではない。そんな話をしていない。ある意味ではそういう話ではある。つまり秩序のことだ。建物が秩序の象徴であり現物なのだ。人間はそのようにして生活する。建物を建てて、つまり秩序を組み立ててそれの下で雨をしのぎながら生活する。俺は建物の中へ引きずり込まれた。今の建物とは違う、その時の、俺が子供だった時代の、黒というよりはどちらかといえば灰色の建物の中へ。その時の話だ。まず初めに言葉があった。大人たちから言葉がするすると出てきた。俺たちは、つまり無力な存在である子供たちはそれを聞いた。だいたい理解できていなかった。というのはすぐに大人たちが言葉による教育をあきらめて暴力に頼るようになったことからして、子供たちは大人たちの言葉を理解していなかったのだろうと思う。俺はといえばもちろんすべてを理解していた。大人たちの言葉の意味、それの辞書的意味、そして文脈に沿った意味すなわちその建物の中における意味、一部の言葉の使用方法における誤りなどを俺は理解していた。すでに俺は言葉のつかいかたに関しては飛び抜けていたことになる。子供の中では、ということだ。大人とくらべれば、どんなに言葉を理解しようとも子供はやはり無力な子供である。
正面玄関を入ったところの、汚いカーペットの敷いてある場所で俺たちは整列した。つまり俺を含む子供たちが一列に並んだ。並ばされたのだ。そのような言葉をだれかが言った。秩序あれ、と。俺が建物の中へ連れてこられたことによって、秩序の再確認が必要になったのだ。それは常に確認せねばならない。それの維持のためには常にあちこちの壁をたたいてその音を聴き、カーペットをたたいてほこりを落とし、天井裏を調べてねずみが隠れていたら殺さねばならない。秩序の維持は容易なことではない。人がそれのために暴力を頼るとしてもそれは無理のない話だ。至極当然の話で、そこに無理はなく、道理しかない。
俺たちはかれらの言葉を聞いた。聞いていない者もいたらしいが、それは後になってわかった。たいてい言葉を聞いていなかったものは暴力によって分からされたからだ。暴力は痕跡が残る。これは強力だ。言葉は、それが音声であるならばすぐに消えてしまう。暴力はその場かぎりのエネルギーの爆発で終わるわけではなく、その痕跡を確実に残す。痕跡があればそれを人は読むことができる。ただ人間はその上から衣服をかぶせることができるから、それは痕跡を隠すことになるから、それのせいで暴力の痕跡はうまく読まれてこなかったのだ。俺たちはいい読者にめぐりあうことができなかった。そのせいで俺たちはいびつな書き手となってしまったわけだ。それは不幸なことだろうか? それは俺たちが定義することであって、ほかの者がすることではない。
かれらは厳重に時間を管理した。分刻みの予定を組んでいた。俺たちはそれに従う。そうするしかなかった。なぜなら俺たちの飯を管理していたのはかれらだったし、かれらこそが秩序だったからだ。秩序とは時間の管理によって始まる。俺はそのようにして管理される建物の中へ入ったのである。そして出て行った。管理される時間の外へ、秩序の外へ出ていくことになった。もちろん初めに言葉があった。俺による言葉は明晰だった。それは明確な言葉づかいであった。大人たちはそれを聞いたか? 聞かなかった。聞くことができなかったのだ。あまりにも明晰な言葉はかれらにとってある種の毒であった。それは毒物であった。でなければあのような反応をするはずはない。蜂の巣を子供が破壊したときのような騒ぎかただった。かれらは互いの顔を見合わせて、俺の言葉に関して共通了解を得ようとしているようだった。そこへ俺はさらにこの建物の中における改善案を提示した。すると殴られた。それがつまり強力な言語である。俺には反論できなかった。ではどうすべきか? 服従か、闘争か? 俺は逃走を選んだ。
夜だった。それはやはり夜に決まっている。暗躍とか逃走とかいった振舞いはたいてい夜に実行されるか、あるいは計画される。俺の場合もそうだった。管理されている部屋の中で、夜の室内で、計画を構成したのだ。室内の夜は真の暗黒ではなかった。そういう意味ではかれらが失敗したのはそこである。夜を真の夜とすること。それが秩序の維持に必要なことだろう。夜を夜とし、悪を悪とする。それによって建物の中の灯りが引き立つわけだ。俺は曖昧な夜の中で活動した。ほかの部屋へは通信文を送った。もちろん暗号化してある。暗号の解き方さえ伝達できれば誰にでもわかるから、俺たちはそれを使って通信することができた。このように書けば、おまえにも技術があるじゃないか、通信することができるんじゃないか、と思う人間がいるかもしれないが、そのひとはただ言葉の端をつかまえて得意になっている子供だから気にしなくてよい。
通信文を送りあってはいた。けれども動機のある者が少なかった。正確にいえば動機を自覚している者、言葉でそれを説明できるほど思っている者が少なかった。結局俺はひとりだった。最終的に俺はそうだった。つまり俺以外の子供たちは通信文を送りあうことで、その遊びを楽しむことである程度満足したのだ。ならば仕方ない。俺でやろう。俺がやろう。ひとりの俺でやるしかないのだった。それが解決策だった。解決できるのであれば、それに越したことはない。解決できずに謎のままで留め置かれるものがどれほど多いことか。ひとりの俺であってもどうにかできるのならそうするしかないし、そうすればいい。俺は通信文を送るのをやめた。ひとりの人間の中で、つまり俺の頭の中で計画を組み立てていった。必要な道具。適切な時刻。ある種の罠。それらの詳細をここで述べる必要はない。それよりも問題になるのが、俺にとって障壁となったのが、俺以外にもうひとり暗躍する者が存在したということだ。
俺は着々と準備を進めた。順調であった。鍵の管理方法までわかって、もうあとは実行するだけという段になった。俺は物事を計画立てて進めるということの快楽を味わった。それが秩序の味だった。なるほど、これなら大人たちが暴力を使って守ろうとするのも理解できると思った。ただ俺は大人ではなかった。俺は力のない子供だったから暴力を使ってそれを守ることはできなかったし、する必要もないのだった。そして暴力を使って秩序を破壊することもできなかったし、する必要もないのだった。ただ逃走することだけが俺にできる唯一のことだった。逃げること。外へ。建物の外へ。逃走する。
夜だった。もちろん夜に決まっている。俺は扉の鍵を確かめた。それは厳重に確認される。毎夜、大人が数人がかりで確認してまわるのだ。もちろん俺の部屋のドアも施錠されていた。中からそれを開けることはできないようになっている。そして俺はいくつかの道具を使って外へ出た。窓から出たのだ。建物の外へ出る。正規のルートからでなく、通常の出方ではなく、異常なルートを使って外へ出た。それはやはり異常なルートであるだけに痛みをともなう道だった。俺の左足はその経路を使ったことによりうまく働かなくなった。非正規のルートを通るというのはつまり秩序の破壊行為にも等しいわけだから、そのような犠牲があっても仕方のないことだった。左足ですんだだけまだ良かったかもしれない。これが左足でなく左目だったら今後の逃走ルートを考え直さねばならないかもしれないと考えた。とはいえ、結局そのように考える必要はなかった。過去や未来のリスクについて考える意味はなかった。左足を引きずりながら歩いている俺、まるで不具者を装う賢人のようにぶつぶつと言葉をつむぎながら足を引きずって移動する俺の背後から「止まりなさい」と何者かが声をかけたのだ。もちろん大人の声だった。そして俺は何をするでもなく、俺が何かをするわけでもないうちに、俺の右腕がつかまれ、左腕もつかまれて、そのままぐいと持ち上げられて俺の身体は宙に浮いた。ただし完全に浮いたのでなく足さきは地面に触れるか触れないかのところだった。宙に浮かされたままの状態で俺は夜の底を、建物の外を移動させられていたのだったが、俺の左側をもつ大人が、たぶん疲れたのだろう、力をゆるめたときに左足の先が地面にぶつかって俺は「痛い!」と叫んだ。
それから後のことを詳細に述べる必要はないだろう。詳しく述べなくてはならないのはそんなことではなく、おそらく、と俺は突然予想してみるのだが、おそらく言葉の解釈の仕方についてかもしれない。選ぶ言葉はなんでもいい。愛だろうが秩序だろうが、正義だろうが悪だろうが、なんでもいい。それらの意味を問うてみればいい。千差万別の答えが返ってきて戦争になる。現になっている。俺と彼らでは秩序の解釈の仕方が違っていた。まるで異なっていた。別物だった。しかもそれだけでなく、保有している手段も違っていた。俺には暴力がなく、かれらにはあった。
もちろん建物の中へ俺は連れて行かれた。そこに子供たちが勢揃いしていた。もちろん整列していた。させられているのだ。白い服を着て。着たままで。本来すでに眠る時間であったのを、その秩序を変更してまでそのように整列させられていた。大人たちもそこにぞろぞろと居並んでいた。そしてひとりの小さな子供が列から少し離れた場所に立たされていた。重要なのはその後の俺がどのような説教を聞かされたかではなく、どのような暴力を受けて無力化されていったかでもない。問題なのはそこではない。俺の失敗は通信文をばらまいたことだった。紙に鉛筆で暗号文を書き記して各方面の部屋へ散らして飛ばしたことだった。それによってほとんどの子供が俺の計画を知ることになった。そして一部の子供、というよりひとりの子供が暗躍し、俺の計画を明るみの中へさらけ出した。俺の計画は最初からばれていた。俺は建物の敷地内で踊っているだけだった。俺は地下室へ閉じ込められた。
地下があるのだった。その建物には。建物は空へ向かって伸びるだけでなく、地中の深みへ向かってもその根を伸ばしているのだった。それは理想的な環境だった。なにをするにも理想的だった。音楽のセッションをするにせよ、文学的懊悩にもだえながら創作するにせよ、子供の教育をするにせよ、理想的な地下室がそこにあった。ただ壁と床とドアしかない部屋だった。俺は定期的にトイレと食事のために部屋の外へ出された。つまりだいぶ良心的な教育方法だったことになる。一日のあいだに何度も外へ連れ出されたのだから。そして何度もまた部屋の中へ連れ込まれた。場合によっては俺が外へ出ている時、俺以外の子供がその同じ部屋の中へ連行されることもあった。そのとき俺はその様子をたまたま、おそらく偶然見ていたのだが、床にぺたりと座り込んだ白い服を着た子供がその服の襟首をつかまれて、ずるずると引きずられてゆくのだった。その子供の表情はまったく放心しているように見えた。口のかたちがアルファベットのOのようだった。
俺にどのような教育がなされたか? それもまた述べる必要のない事柄であろう。ただ俺がそれからずっとその建物から出ることはなかったということだけを書いておけばいいだろう。もちろん子供であるあいだ、ということだ。子供でなくなったとき、俺はその建物から出なければならなかった。俺たちは子供でない存在になったとき、自らを自らで養わなければならなくなる。もちろん理想的な教育のおかげでその建物の影響は非常に強いものとなっていたから、建物を出ていった人間が建物への依存からすぐ脱却できるとはかぎらないのだった。だいたいできなかった。だからだいたい、さらに大きな建物、役所とかの秩序のもとで、そこに書類を提出して雨をしのぐ屋根になってもらうのだった。俺も最初のうちはそうしてもらった。この国には万全の制度があって、あの建物もそのうちのひとつなのだが、できない者を助ける仕組みがじゅうぶん備わっている。そのような制度を利用して俺もまた生活していた。日々の雨をしのいでいた。時間の経過にしたがって制度と俺のあいだでコミュニケーションの齟齬が生じて、関係を解消した。そうして俺はいよいよ根無し草になった。
根がないというのは自由であるということだ。それ自体については別にいいも悪いもない。ある側面から見ればとてもいいことだし、別の側面から見ればなかなか厳しい状況だ。俺は、閉じ込められなくなった俺は、次にどのように振る舞ったか? 狭い部屋を借りた。学生が借りるような部屋だ。トイレと風呂のために毎回外へ出なければならない。家具を置けばだいたい部屋のどこにいても物に手が届くようになる。自分にとって自在の空間だ。それは理想的な環境だ。その部屋で毎日を過ごすようになった。それは自分を圧縮する作業だった。地下室に俺を閉じ込めるのと同じだ。あふれかえる情報を部屋の外へ閉め出して、室内にある情報だけを摂取するようにして、つまり何も摂取しないようにして時間を過ごした。ただ時間が流れるのにまかせていた。俺は何もしなかった。まるでまだあの地下室にいるみたいにして何もせず、ただ虚空を見つめながら、そこにいた。そのようにすることで言葉のつかいかたが変わることを俺は知っていた。本能的にわかっていた。俺の言葉はまだ弱いと思っていた。まだ全然強さが足りない。もっと自分を圧縮する必要があった。俺はひたすら何もしないでその部屋の中にいたし、今もいる。過去と同じような言葉では何を書き記したところで誰にも何も届かないだろう。通信の難しさについては周知の通りだ。ながい時間を経てみたところでそう簡単に強い言葉を手の内にできるわけもなく、今ようやく仮の姿をお披露目してみればご覧の有り様である。
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