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ブックレビュー:大人のいない世界に取り残された、少年たちを治めるものは…「蠅の王」

「蠅の王」
ウィリアム・ゴールディング著/平井正穂訳(新潮文庫)

「あー、私の恋はー 南の風に乗って走るわー♪」

 文芸や映画の世界には「漂流もの」というジャンルがあり、「十五少年漂流記」や「ロビンソン・クルーソー」などは少年少女におすすめの名作ということになっていますが、私が最初に触れたのは松田聖子がぶりっこスタイルで「青い珊瑚礁」を歌っていたとき、映画館で観たその名もずばり「青い珊瑚礁」という映画でした。船が遭難して南太平洋の孤島に漂着した少年少女がサバイバルするお話なのですが、二人はやがて成長して思春期を迎え、恋に落ちて、そして子供まで作ってしまうんです。少女を演じるのが美少女スターとして当時燦然と輝いていたブルック・シールズ。殺伐としがちな「漂流もの」がなんとアイドル映画になっていて、それはもう純情な二人の恋のゆくえに胸をときめかせた中学生の夏でした。

 そして高校生の夏に出会った漂流ものが、ウィリアム・ゴールディングの小説「蠅の王」。これは上記の「青い珊瑚礁」とは真逆の衝撃を受けた作品で、20数年ぶりに読み返してみましたが、やっぱりその衝撃は読む度に変わらず心に響いてくるものがありました。というのもこの作品は「十五少年漂流記」や「珊瑚礁の島」といった「漂流もの」にアンチテーゼをつきつけたものだからです。それは、少年たちが大人のいない世界に取り残された時、果たして本当に「力を合わせて」「生き抜いていく」善なる存在であり続けることができるのか、ということでした。

 小説の舞台は未来戦争の最中。イギリスの少年たちを乗せて疎開地へ向かう飛行機が南太平洋上で墜落し、少年たちは無人島に漂着したまま取り残されてしまいます。少年たちは、大人のいない「自由」で「開放的」なその無人島での生活を最初は喜び、集会を開いてラーフをリーダーとすること、救助されるために火を絶やさず燃やし続けること、「ほら貝」を持ったものに発言権があること、など彼らなりのルールを取り決めます。果物も水も豊富にあるその島は、少年たちにとっては、楽園のような場所でした。しかし、やがて少年たちは「本能」に目覚めていくのです。リーダーのラーフに対抗して少年たちを従わせ始めたのはジャック。ラーフが「助けられるために火を絶やさないこと」に懸命になっているのに対して、ジャックは「豚を捕まえて肉を腹一杯食べる」ということを目標に掲げ、少年たちを2つのグループに分けて活動を開始。「豚」グループは次第に最初に決めた ルールからはずれ始め、本能の赴くまま、豚狩りに夢中になっていきます。そんな中「島に恐ろしい獣が出る」という噂が広がり始め、少年たちは夜の闇の中で恐怖におびえるようになっていきます。ラーフとともに「火」グループにいたサイモンはある夜、この噂の真相をその目で確かめることになるのですが、その後、真実を皆に告げようとした彼を待っていたのは悲劇的な結末でした。やがて「豚」グループは捕まえた豚を焼くための「火」を求め、発火するための「めがね」を持っていたピギーを狙うようになります。リーダーとして「ほら貝」の権威で発言し、グループ全体を取りまとめようと必死のラーフをよそに、「豚」グ ループの暴走には拍車がかかって…。

「イギリスの故郷に帰って暖かいベッドで眠りたい」。そんな彼らの願いは やがて、本能にかき消さされてゆきます。少年たちは、いつ来るとも知れない救助の船に発見されるために火を燃やし続けるという「理性」を保ち続けることが できず、この場所で肉を食らい、大騒ぎしながら楽しく生きることに精力を傾けていきます。「火」は最初に定めた「ほら貝」の権威を失墜させて、彼らの中の 真の権威となっていきました。そして彼らはそのために、仲間の命さえも奪っていくことになるのです。それは恐らく、「この島には恐ろしい獣が潜んでいる」 「そんな場所から逃れられ ないかもしれない」という恐怖を忘れるための、彼らなりの方策だったのかもしれません。そして最後には「火を絶やしてしまったら、もう助からないんだ」 と理性を保ち続けようとするリーダー、ラーフの抹殺へと全少年が駆り立てられていきます。
 心の中に潜在する恐怖が、理性を打ち倒そうとする瞬間。そこには「理想」としての人間ではなく、すべてをはぎ取られた「本質」がむき出しになっています。これが私にとって衝撃だったのは、「この姿こそ、本当の人間の姿なんだ」と感じたから、に他なりません。

  タイトルの「蠅の王」とは聖書に出て来るなんとかかんとか、という解説がありますが、そういう言葉の出所にこだわりはじめると、なんだか本質からずれていくような気がします。聖書云々というよりも、この「蠅の王」とは一体何か、ということを自分なりにそれぞれがつきつめていく、それがこの作品に適した読み方ではないかな、と思いました。

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