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【読書記録】人間は生き、人間は堕ちる

近所の書店で、坂口安吾の『堕落論』を買って読んだ。アニメは観たことがないが、店頭で目についたアニメカバー版を買ってきた。

角川文庫では、表題作を含めて、文学や恋愛、青春、日本文化についてのエッセイや評論が13篇収録されている。

評論のなかには、同時代に生きた作家について論じるものもあった。予備知識がないと読み進めにくいけれど、今の自分に理解できるところを拾って読むのでも十分価値があった、と思う。

評論のなかで特に印象に残った『日本文化私観』『堕落論・続堕落論』『戯作者文学論』についてメモする。



日本文化私観:美しさは生活から生じる

『日本文化私観』は昭和十七年三月発表。日本人が洋服を着て歩き、欧米の生活スタイルを取り入れることを「輝かしい伝統の喪失」と嘆く者がいるが、果たして本当にそうなのか、というのが主題になっている。

見給え、空には飛行機がとび、海には鋼鉄が走り、高架線を電車が轟々と駆けて行く。我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる。そこに真実の生活があるからだ。

坂口安吾『日本文化私観』より

文化は歴史ある建物や格式にではなく、人々の生活のなかに息づいている。たとえ寺社が全滅したとしても、誇りある文化や伝統が損なわれはしない。人々の生活や必要性のなかから生じたものに美しさを感じる、という内容だった。

西洋の風習を模倣するからといって、欧米に迎合するわけでもなく。「必要なものを必要なだけ取り入れたところに美しさが宿る」「俗っぽくて何が悪いのか」というスタンスで書かれていた。

堕落論:人間は生き、人間は堕ちる

『堕落論』は昭和二十一年四月、『続堕落論』は同年十二月に発表されている。敗戦によって世相が一変し、国や天皇のように信じられる対象が崩れ去った、という背景で書かれたもの。

生き残った特攻隊員は闇市で生計を立て、戦争で夫を失った女性も、いずれは新たな人を想うようになるだろう。人が変わったからではなく、人間とは本来そういうものだ、という話。

人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

坂口安吾『堕落論』より

この文章での「堕落」はだらだら怠けることではなく、旧来の道義が足元から崩れていくなかで、落ちていくことを受け入れて「本来の人間に戻る」という意味合いがある。

未亡人は恋愛し地獄へ落ちよ。復員軍人は闇屋となれ。
(中略)まず地獄の門をくぐって天国へよじ登らねばならない。手と足の二十本の爪を血ににじませ、はぎ落として、じりじりと天国へ近づく以外に道があろうか。

坂口安吾『続堕落論』より

ダークなんだけど悲観してるわけじゃなく、一見すると斜に構えているようで、「生きよ」と扇動する熱さを感じる文章が好き。

当時の世の中の空気は想像するしかないが、敗戦の翌年にリアタイでこれを読んだらぶっ刺さるんじゃないか。書かれた当時、ネットのない時代に若者の絶大な支持を集めた、というのも納得できる。

戯作者文学論:文学と肉体……と酷暑

昭和二十二年発表。それまであまり日記をつけたことのない筆者が、自身の小説の執筆過程を日記という形で残したもの。

夏目漱石を引き合いに出して、肉体や生活を抜きにした文学は、たとえ思索を巡らせていても「軽薄な知性のイミテーション」だと批判している。漱石の作品は思索が行き届いており、登場人物が苦しみ悩んでいるが、そこに肉体があるように思えない、という。

心や肉体が自然なかたちで紙上に写し出されるように、という文学への姿勢が示される。評論以外の小説も読んでみたくなった。

本題から離れるが、この日記は七月に書かれており、暑い!という叫びが目を引いた。「今日は一日六回水風呂につかった」「涼しくなってくれ。暑い暑い暑い」「連日寒暖計は三十八度をさしている」「深夜に至るも全く暑熱が衰えざる」と、暑さの記述があちこちに出てくる。

この時代の夏は今より涼しいというイメージがあったが、暑いところは非常に蒸し暑く、冷房も無く、水風呂に入るぐらいしか涼む手段がないんだろう。家の中が三十八度もあったら逃げ場がない。

うだる暑さの中、七月十九日には下痢と腹痛になり「水風呂のたたりだろう」と記している。

文章のなかに、坂口氏は耐乏をよしとする風潮を嫌い、さしせまった必要から新しいものが生まれ出ることを歓迎している、という一節があった。叶わないのは分かっているが、クーラーが効いた部屋で涼んでもらいたいと思う。

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