自己肯定感0→100時々90になれた私の心の旅6.内面の見直しを始めて

6.内面の見直しを初めて

前回は私が心の旅を始めるきっかけを書かせて頂きました。
今回は、そうして出会った数々の本に書かれていた『人生に偶然はない』や『現実は内側の反映(引き寄せ)』などの言葉に強く惹かれた私が、体験を通してそれを信頼するようになれたまでのお話を書かせて頂きます。

『人生に偶然はない』や『現実は内側の反映』それらの言葉が希望のない投げやりな人生を過ごしていた私の中に膨らませた期待は、それまでの人生で感じたこともないもので、それに失望したくなかった私は、その言葉が本当なのかを確かめるために検証を始めました。
ネガティブ(ポジティブ)な信念がネガティブ(ポジティブ)な現実を引き寄せるのかを自分の体験で検証するのです。

そして結果的に人生が学びの場であること、全てが成長の機会であることを実感するのですけど、どのようにそれを始めたか、そこからのお話をさせていただきます。

最初は過去の出来事、記憶の検証から始めました。
昔からなんども頭に浮かび上がる過去の辛い体験が、内面の反映だったのかを検証したのです。何かと複雑な環境で育った私には、有難いことに検証材料が豊富にありましたから、それらを一つずつ思い返しては、当時の私がその頃何を考えていたか何を信じていたか、それがその出来事に反映していたかを確認していったのです。

悲しい記憶や恐ろしい記憶、私自身が経験したものや、ただその空間にいて見ていただけのものなど様々な記憶がありましたが、それまでは胸が締め付けられたり涙がこみあげていたものも、観察というスタンスだったせいかその時はそうなりませんでした。
そして検証結果は『どちらとも言えない』でした。

かなり小さい時から、ネガティブなものを見聞きしていた私の中には人生は厳しい、ロクでもない、恐ろしいという認識がありましたが、周りの大人からも散々ネガティブなことを聞かされていましたし、自分の中の信念が経験に反映していたのか、その経験からそういう信念を持ったのか、そしてその両方が作用し続けていたのか結論がでなかったのです。

でも、私の中の期待はしぼむどころかさらに大きく膨らみました。どちらとも言えないのだからまだ希望があると思ったのです。これまでの私ならそういう発想にならないところですが、この時そう思えたのは、今思えば不思議です。

そうして希望を持った私は、次に日常の中での思考と経験の観察と検証を始めました。
日常の中でネガティブな体験があると、その出来事やそれに関わった人や場所でもなんでも、その体験以前に持っていた自分の思いを照らし合わせて検証したのです。
そして反映になるだろうと思う思考を見つけると、別のものに変えて次の体験を観察するのです。
思考の観察に慣れてくると、ネガティブな体験の途中で自分の思考に目を向け、それを変化させて結果を観察したりもしました。

思考に目を向けるという習慣は今も変わりませんが、当時の私はそれまでの人生で一番真面目な優等生でした。
いつもいつでも、そんなことに取り組みながら、ネガティブな観念だらけだった私の人生はどんどん好転し身体も健康になっていきましたが、そうするうちに私の中で『現実が内側の反映』だという考えが疑いようのない信念として確立されたのでした。

私の続けていた思考と感情の観察は内観と言います。
内観と言えば瞑想のイメージを持たれる方もいらっしゃると思いますが、日常の些細な思考や感情の流れを観察して、ネガティブなものをその都度修正していくだけで、それまで当たり前だ、仕方ないと思っていた外側の現実をどんどん変化させていくことができるのですから、試してみようと思う方はリスクゼロです。
是非試して欲しいなって思います。

ここからは、私の体験で少し印象的だったものを二つ並べてみたいと思います。

当時、フリーのグラフィックデザイナーだった私には悩ましいクライアントがいました。
彼女はアパレルの社長でしたが、Tシャツのデザインや取引先のロゴや、パンフレットなど様々な仕事を発注してくれるのですが、納期は無理難題、支払いは遅れるだけでなく、なんとなくなあなあにされることもあったりと、いい加減離れたいと思っても知人の紹介だったため、どうしたものかといつも頭を悩ませていたのです。
そうして散々悩んでいたのですから、これは良い実験材料になりました。

ある日、私は彼女に対する自分の観念を紙に書き出しました。
『傲慢だ・なんでも自分の思い通りになると思っている・ケチで厚かましい・言うばっかりの人』
散々です。彼女もですが自分もたいがい散々だわとか思いながら、どう観念を変えようか私は考えました。
並べた考えは彼女と付き合って経験したことから持った考えですから、過去を亡き者にするのは難しく、でも、この考えを持ち続けていても良いことなんて一つもないので私は頭をひねって、大雑把な良いことにつなげてみました。 

『彼女も意外と良い人かもしれない』
『何かわからないけどこれは良いことにつながっている』

『彼女も意外と良い人かもしれない』は、どうしても彼女を良い人とは思えなかったので、意外という言葉をつけてみたのです。そしてもう一つの『何かわからないけどこれは良いことにつながっている』は読み始めたバシャールという本の中に書いてあったもので、「悪いことが起きた時は、これも良きことのためだと思えばそうなっていく」というものをそのまま使ってみたのです。
悪いことが起きた時に悪いことが起きたと思っているとそのままの現実を生み続けるけど、そこで良い方に意識をおくと良い現実にベクトルが変わるということです。

次に彼女と顔を合わせたのは受注されていたデザインの納品でしたが、いつになく嫌な気持ちになることなく終わり、それ以降どういうわけか頻繁にあった彼女からの連絡も仕事の発注もピタッと止まったのです。

仕事がなくなったのは一見良くないことにも思えますが、損するようなこともありましたから良くないこととは言えませんし、良いことにつながると設定したのでできるだけ安心して過ごすようにしていると、空いた時間に紹介されたコンペに参加して、採用されたお陰で、ある代理店から仕事をもらえることになりました。
その代理店では、月にいくつも大きな企業の仕事を担当させて頂けましたから、そこからはずいぶん仕事も安定するようになったのです。

このことは彼女は悪い人ではないという観念とは関係ないように見えますが、彼女に向けていたネガティブなエネルギーの執着を断ち切ったことと、犠牲的な境遇に向けていた意識を変えたことで、ベクトルが変わり生み出された現実だと理解しています。

次は家族との話です。
家族との関係では、どれほど多くの観念を変えてきたか数えることもできませんけど、その中から一つ書かせていただきたいと思います。

どこかの回でも書きましたが私の家はとにかくややこしい家でしたから、長年の苦労で母のストレスも大変だったと思いますが、何かあるとしょっちゅう怒られるので、大好きな母でしたけど私は、年中気を使ってできるだけ怒られないようにすごしていた。
それでも朝、怒らせたりしてしまうと、帰宅して機嫌をとって母の気持ちが晴れるまで、憂鬱な気分で過ごしますし、学校に行っていた時などは友人と話したりして一時的にでもそこから離れることができましたけど、個人事務所で一人でいるとそれもままならず、ずっとモヤモヤし続けていたのです。

その日も朝から怒られた私はモヤモヤしたまま事務所に着きましたが、何かの用事で母に電話しなくてはならなくて、でも電話の向こうの機嫌の悪い声を想像しただけで気分が落ち込み、なかなか受話器を手に取ることができませんでした。

でも実験を始めていましたから、私はここぞとばかりに『今電話したら母は絶対機嫌が悪い』というあたりまえの考えを『機嫌が悪いとは限らない』というふうに変えることにしました。
機嫌が良いと変えられたら良かったのかもしれませんけど、無理だったのでそうしたのです。
もちろん何の根拠もないのですが、とにかくそうして私は受話器を手に取りました。
そして電話の向こうの晴れやかな母の声を聞き、それ以降もそうしてずっと楽になったのです。

上に書いた二つの例は対症療法のようなものですけど、そうして少しづつ楽な日常を過ごせるようになった私は、ことは違えども何度も同じようなパターンで生み出す問題についての根本的な観念と向き合うようになって、そのような問題も人生に引き寄せることはなくなりました。
それに最初のうちは面白いくらい見えていた変化が、続けるうちに見られなくなるというような体験にも突き当たりましたが、そうなる時は、後に必ずその奥の、よりむきあうべき大切なことに気づかされることになりましたが、それもより深い層から人生を楽にするための経験だったということを知ることができました。

それらの話も書きたいのですが、長くなるので別の回にさせていただこうと思います。

生きていると苦しいことも辛いこともありますけど、その状況でジタバタ苦しみ周りのせいにしてきた私が、今ほど楽で健康な人生をおくれるようになったのは内面の見直しからでした。

自分を救い出せるのは自分でしかなく、でも自分の中だけでそうできるなら、これほど楽なこともないのです。
内側に目を向けて、手放すという意図を持って力を抜けば、人生はどんどん楽になります。

自分自身を成長させるために試練があると聞いたことがありますが、試練という苦難は自分が抱え込んだ重りに気づくためのものです。
なぜ、それに気づかなければいけないのか。その理由は、心を成長させて健康で楽に喜びに満ちた人生をおくるためです。

世界中に困難な状況で苦しんでいる人がいる今、それらのことを軽くいうつもりはありません。
でも、これを読んでくださった方の中で、私の経験が少しでもお役に立てたらという気持ちで書かせていただきました

ここまで稚拙な文章にお付き合いいただきまして、本当に有難うございました。
それでも続けていこうと思いますので、よかったらまたのぞいてください。
有難うございました。

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