いつもと違う環境で仕事をするということ。#1

11月、現場に自分たちの身体がなくても大丈夫というタイミングをひねり出し、会津地方でのワーケーションに行ってきました。

 私たちの仕事は、slackとDropboxでデータを共有し、進捗管理をし、経理は会計Web上で完結するシステムを使っている。打ち合わせはZoomだし、デカいファイルデータはファイル便だし、映像データのチェックはVimeoかYouTubeの限定公開。常にネット環境頼みではあるけれど、逆に言えばネット環境さえあれば、己の身体が現場に無くても良い類の仕事は東京でなくても出来るという事。

 私はコロナ前から、自分が現場にいなくてもPCとネット環境さえあればどうにでもなる時は女川か会津若松で仕事をしていることが震災の後は多かった。震災後の変わりゆく大切な街を見ていたいという気持ちと、風評被害で観光客が途絶えた自分自身のルーツがある街の行く末を見ていたかった。

 東京よりも人が少なく、穏やかで緩やかな時間の流れている場所に身を置いていると(店も閉まるのが早いから飲み歩く場所もないし)健康的な生活になり、そして何よりも、ノイズが少ないのだ。

人間の脳は常に高速で情報処理をしている。視覚から入る情報、聴覚から入る情報、その他五感から入る情報を全て瞬時に処理しているのだから、その処理にかかるエネルギーは無自覚のまま常に消費されている。女川や会津にいると、都会にいる時よりも圧倒的にその量が少ない。だからこそ、余白が生まれて仕事は非常に効率的に進むし、読書は捗るし、アイデアも降ってくる。脳はすこぶるリフレッシュして、疲労が激減する。

そんな訳で、隙あらば東京からふらりと脱出して女川か会津に向かっていた。現場終わりで最終の新幹線に飛び乗り、夜遅くに着いて泊まり、翌日1日丸々仕事をしたり友人に会ったりして泊まり、翌朝現場に直行する。そんなことをしていて、気付けば2019年は1年の内合計2ヶ月ほどは女川か会津にいた。

が、COVID-19がやってきて、そんな生活は出来なくなった。
20年休みなく走り続けていた舞台の仕事も映像の仕事も全部無くなった。
 
先行きへの不安から心を病んで鬱になってしまったり、突然SNSで攻撃的になった後に音信不通になってしまったり、仕事を辞めて転職してしまったりする周囲をよそに、私は20年ぶりの「終わらない夏休み」を満喫していた。

毎日「明日は何をしよう?」とワクワクしながら眠り、絶対に自宅ではやらないDIYをして実家の模様替えをしたり、在庫過多で途方に暮れた高級肉や美味しい鯛や伊勢海老を破格の値段で購入し、美味しく食べたり、廃棄されまくっていた牛乳を多めに買って3時間ほどかけて「蘇」を錬成したり、大掃除をしたり、友人たちとリモート飲み会をしたり、おすすめのDVDを郵送で回して感想のメモを交換したり。近所に住む公共劇場の芸術監督となって同じように休みなく走っていた友とは自転車で近所の河に集合して、ディスタンスを取りながらヨモギを摘んだり、散歩したり、棒を振り回したり、鳩を威嚇したりしていた。(めちゃくちゃ満喫しとるな)

そしてしっかりと助成金や補助金を申請し、国からの補償で生活しているのだから実質公務員なのでは?と思ったりしていた。(日本人で良かったし、きちんと納税していて良かった)

そんな中、緊急事態宣言が収束した2020年秋以降、こぞって様々な自治体が「ワーケーション」に関する補助をし始めた。リモートワークが普及したタイミングで都心への人口集中の緩和と移住促進を図ろうという国の作戦であろう。賢い。そしてそれは期限付きであることも推察された。

2020年の秋、感染者が落ち着いたタイミングで、これまで仕事に追われまくっていたクリエイターでチームを組んで、最初に大々的にクリエイターのワーケーションを募集した伊勢市のワーケーションに応募するも落選。蓋を開けてみれば著名人ばかりで、自腹でやれるやないかい!!!という人たちばかり。憤慨した私は体制を整えつつ、鬼のようにリサーチをした結果、補助率が高く全然知られていなかった福島県の「テレワーク×くらし」という補助金を発見する。

長文を超えて超大作になってしまいそうなので、#2に続きます。


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