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私の中の記録と記憶とは 〜小林エリカ×寺尾紗穂「戦争と音楽」

一昨日、近所の喫茶店で開催されたイベントへ。

小林エリカ×寺尾紗穂「戦争と音楽」——小林エリカ『女の子たち風船爆弾をつくる』(文藝春秋)刊行記念対談

小林エリカさんの新刊『女の子たち風船爆弾をつくる』は、第二次世界大戦中に東京宝塚劇場に集められ、風船爆弾づくりに動員させられていた少女たちの物語。膨大な資料や取材を基に、意図せず戦争に巻き込まれていく「わたしたち」「わたし」の声を掬い取るように描かれる、詩的な長編小説。

本イベントでは、小林エリカさんが企画・脚本を手がける音楽朗読劇シリーズ「女の子たち風船爆弾をつくる Girls, Making Paper Ballon Bombs」でタッグを組んでいる 音楽家・文筆家の寺尾紗穂さんと「音楽と戦争」をテーマに対談。私自身、寺尾紗穂さんの音楽はとても好きでよく聴いているのだけど、寺尾さんの御本や活動についてーーかつて日本の統治下に置かれていた南洋の島々を訪れて島民の方々を取材するなど、戦争体験者の証言を集めたルポタージュ(ノンフィクションエッセイ)を手がけられていることは知らなかった。

戦争という歴史の裏で、決して名を刻まれることのなかった人たちがどれだけいるのか、寺尾さんがお話しされていた「特攻隊として敵軍に体当たりする特別攻撃に成功しなければその人は特攻隊としてみなされない」という言葉には正直驚いた。特攻のために命をかけても、途中撃ち落とされてしまえば、その人は特攻隊として名を刻まれないと。

『女の子たち風船爆弾をつくる』では、少女たちの多くが自分たちが行う「風船爆弾づくり」の意図を知らされないまま、戦争に加担させられる。それが彼女たちの青春となる。当時高等女学校を卒業すれば結婚して相手の家に入ることを強いられる時代において、学生時代に女友達と過ごした日々は彼女たちにとって人生最後の自由時間。なかには結婚後、学生時代に女友達と綴った日記を枕元に置いて眠っていた女性もいたという。それほど大切で忘れたくない思い出だったのだと。

そんな尊き青春時代に自分たちが何をしていたのか、その事実を知った彼女たちの心の内とは。40年以上に渡って緘口令が敷かれていたという。

執筆にあたり当時の話を取材するにも、存命の方が少なかったと小林さんがお話しされていた。寺尾さんも、確か2003年頃に南洋をおとずれて、ギリギリなんとか当時生きていた方のお話しを聞けたそう。

歴史を伝えるということの難しさ、それは決して表に出ない事実があり、個々人が口に出せない体験、思いみたいなものを背負って生きていた時代があった、あるからでもある。Q&Aコーナーでは「記録」と「思い出」の違いについて問う質問があり、興味深かった。記録の行間には個人の思い出がのるという。

歴史に名が残らないという意味で、名前を持たない女性たちの話にも興味をひかれた。万葉集における「〇〇の娘」という表記、「詠み人知らず」。男たち=国を動かす人間たちにとって、それ以外の人々がいかに都合よく利用されていたかということ。

と、ここまでつらつらと書いて、イベント中、私は祖母から伝え聞いていた戦時中の話が頭の中をぐるぐる回っていた。

彼女が夫である祖父と満州で暮らしていたとき、毛皮に宝石を身につける贅沢な暮らしをしていたこと、訪ねてきた実兄に「そんなんじゃあ、帰国したら暮らしていけないよ」と注意されたこと。その後事態は一変し、祖父と引き離され、女と子どもたちだけが収容される施設で過ごしていたこと、ある夜、ロシア兵がやってきて、男が隠れていないかと施設中を探し回ったこと、かくまっていたおじいさんが見つかり、夜の暗闇の中で銃声を聞いたこと。

そして同時に思い出した、仏壇が置かれた和室にずっと飾られていた、軍服を着た若者の写真。戦死した祖父の兄弟だと聞いていたけれど、小さい頃はとにかく怖いしかなかった。知らない人の白黒写真。彼らがどこで戦死したのか、そういったことを大学生の頃、祖母から聞かされていたけれど、当時の私はそのまま聞き流していた。だけど今は、お墓参りのたびにお墓に刻まれた彼らの生きた証をなぞるように、父に質問をしまくっている。父も彼らを知らないという。そりゃそうだよな。

中3のとき、祖父が突然亡くなり、人がこの世からいなくなるとはどういうことなのかを、その時期ずっと考え続けていた。一方で人がこの世に存在するとはどういうことなのかわからなくなった。その人がいた世界とは、どこに行ってしまうのか。目の前に確かに祖父はいたし、人として生きていた。だけど、いなくなったことで生まれる「いない」という空間みたいなものを強く感じるようになった。いないのに「いる」、だけど目に見えないという不可思議な感覚を飲み込むのに時間がかかった。もはや私の言っていることも理解不能だと思うけれど。

そんな風に絶対的にこの世に存在していた人のこと、起きた出来事について、私たちはどれだけ覚えていられるのだろうかとか、この世に残していけるのだろうとか、そんなことを考えている。

私もいつかこの世からいなくなるけれど、そう思うと、年長者から聞いておきたいことや、一方で子どもなどに伝えておきたい話はたくさんあるな、と思う。

歴史はどんどん刻まれていく、そこに多くの声や命が宿っていて、どんどん時代は変化していく中で、ずっとそこに残されたものがあって、おそらく誰にも思い出されないようなものもたくさんある。

そういった物事や出来事を拾い上げて、光を与える小林さんや寺尾さんの、作品を生み出す強い動機みたいなものにもすごく感銘をうけた日でもあった。







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