日常を整える時間
「何気ない日常が幸せだ。」
私はいつからそんなぬるっとやさしい言葉を使うようになったのだろう。ひとつの場所に安住することを拒み、変化を求め続けた20代、30代。退屈を毛嫌いし、ときに痛みを注入してでも高揚と刺激に満ちた時間を求めていた。だけど今は心から思う。
変わらない日常が好きだ。
特別なことは起こらなくてもいい。
心が不必要に波立たない穏やかなる時間が好きだ、と。
それは年齢を重ねるうちに、これまで当たり前のように享受していたものが、特別な恵みであったことに気付かされたからかもしれない。親になってからはことさら「特別なことが何も起こらない日常」のありがたみに手を合わせたくなる。
kenohiでモーニングのトーストをほおばりながら、子ども時代、毎朝、母親がコーヒーと一緒に出してくれたバタートーストを思い出す。
パン好きの母はお気に入りのパン屋でいつも決まった食パンを一本まるごと買っていた。それはきっと変わり映えのしない日常における母なりのひそかな楽しみだったのだろう。子ども時代の私にとって毎日の食パンに特別な意味などなかったけれど、大人になった今は、母の気持ちが痛いほどわかる。
おいしい朝食には幸福が宿る。
今の私には、そんな小さな高揚感で十分だ。当時の母もそうだったのだろうか。仕事と家事、育児に追われ、何一つ思い通りにならない自分の暮らしを、人生を、嘆きながらも、ふんばって生きていたであろう私のお母さん。毎日不機嫌にキッチンに立つ彼女の後ろ姿が今でも頭から離れない。
「ママ〜」「ママ、聞いてる?」「ねえねえ、ママってば」
娘の空耳が聞こえる。胸がドキリとして、落ち着かない。でもふとわれに返り、穏やかな気持ちで朝食をほおばる私自身を許す。
「ママはここにいるよ、ちょっと待ってて」
心の中でつぶやいたら、ゆっくりと深呼吸をする。常に私をつかんで離さない現実が実は幸福なルーティンであることを私に知らせてくれる。そして、一人の時間を優しくなでるように味わう中で、感謝の気持ちを取り戻してゆく。家族に、仕事に、大切な友人に。健康でいてくれる私の身体にも。すべてを当たり前だと思わないよう自分自身に言い聞かせる。
心を整えたら、そろそろ日常に戻る時間。「行ってきます」、そう心の中でつぶやきながら、私は足取り軽やかに店を出る。私の贅沢なひとり時間。ときに肩に重くのしかかる日常のあれこれを肯定の言葉に変換すれば、帰る場所、そして向かうべき場所があるとは、なんと幸福なのだろう。
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