13.人のためという上から目線

今日私はとても恥ずかしい経験をしました
ここに本当は書きたくもない、ほんとに恥ずかしい経験です

でも、絶対今日の経験を忘れないように、noteに黒歴史としてしっかり残しておきたいなと思ったので書きます


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大学の授業は今日で終了でした。今季最後の授業でした。

なので、どの科目もまとめの内容が多く、この授業もそうでした。
その内容は「将来のビジョン」を発表することでした。

そこで私はとても恥ずかしいプレゼンを、堂々としてしまったのです。
今からその内容をできるだけ忠実に、そのまま書こうと思います。
多分読んでいるうちに、プレゼンの内容がクソすぎて、だんだんイライラしてくるので、読まない方がいいです。

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「おおとりを務めさせていただいて、申し訳ありません。まず、皆さんに名前を覚えていただきたいので、自分の名前とびchan.にしました。もし学校で見かけたら、ぜひとびchan.と気軽に話しかけてください。それでは発表をしたいんですが、今日は皆さんの名前を見ながら発表したいので、プレゼンは用意しておきませんでした。この画面のまま発表します。」

「私が今後やりたいことは大学生活を充実させることです。充実させるとは、卒業した時に山梨大学でよかったなと言えるようにするということです。ただ、僕の性格的に自分だけ楽しく終わるのは好きではなくて、みんなと楽しんでいきたいと思っています。なので、今日は山梨大学の生活が楽しくないと感じている人に向けて、話せればと思っています。山梨大学には10%の人が充実していない人がいるらしいので、このクラスの中の5人に向けて話します。」

「もし、この中で、自分には何もできなくて大学生活が楽しくないとか、明日も行きたくないという人がいたら、きっとその人は視野が狭いんですよ。この授業でも一貫して言われてたんですが、視野を広げることが重要だと思います。自分のいいところすら知らなかったんだから、大学のいいところなんて知ってるはずがないです。そしてこれも授業で言われていたことですが、視野を広げるためには、自分を見つめることだったりとか、何かにチャレンジすることとか、人の話を聞くことが必要です。でもそれは結構難しいですよね。そういうことができるのは、僕やOOさんみたいな変人にしかできないと思います。」

「でもその人に、ぜひやってほしい事があって、それは目の前の人がどうやったら喜んでくれるか考えてみてほしいです。考えるだけでいいです。自分には何もできないと思っているかもしれませんが、僕もメチャクチャバカなんですよ。この間も中国語の小テストで0点を取ったし、先生に進級できなさそうなので、学校やめたいですって相談するくらいでした。それでも、目の前の人のために何ができるか考えていれば、、、」

先生「飛田さん、時間がないのであと10秒」

「・・・・」

「えっと、ダメな人なんていないので、目の前の人のために何ができるか考えて、頑張っていきましょう」

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はい、以上です。

はい、そして異常です。

できるだけ、覚えている限り、口調や言葉のチョイスなどもそのまま書きましたが、こうやってみてみると、本当に頭がおかしいですよね。書きながら自分自身段々腹が立ってきました。

上から目線にも程があるし、プレゼン用意してないことをなぜか正当化してるし、そもそも、プレゼンの趣旨「将来ビジョン」について全然発表してない。

マジでキチガイで高慢な、クソプレゼンです。

それなのに、発表前は
(みんなのために、大切なメッセージを伝えて元気にするんだ!)
とかよく思えたなと思います

(はぁ、時間を戻したい)

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私は前から
「山梨大生のために山梨大学を変えるんだ!」とか
「山梨大学のいいところを見つけて、みんなで梨大を盛り上げるんだ!」とか言っていました。

現在行っている梨甲局や教育改善プロジェクトのメンバーにもそのようなことをよく言っていました。

でも実際には口だけで、何にもしていませんでした。

その言動のギャップが何に起因するものなのか、今日、この失敗で気づかされました。

私が「山梨大学生のため」と言ってやっていたことは、全て「今いる梨大生を勝手に見下し、不満足な大学生活を送っていると決めつけ、勝手に自分の辛かった経験を押し付けていた」だけの発言でした。

みんな楽しそうじゃない。僕も学校が辛かったことがあるからその気持ちはわかるけど、そのままじゃだめだ!僕が今こんなにキラキラできるように、みんなもキラキラ輝ける!!(進Oゼミかよ笑)

そんな、超絶高慢で、自分勝手で、被害妄想だらけな危ない思考でした。
まるで自分が神になって、地上に降りているかのように思っているようでした。


「人のため」という言葉はとても危ない言葉です。
「人のため」という言葉には、相手が下で自分が上、相手に手を差し伸べているという思考が自然と織り込まれているからです。

そんな事に気づかず、僕は勝手に山梨大学のことを下に見ていたのでしょう。いや、実際には薄々感じていました。と、いうのも家族から自分の高慢さを指摘されることが何度もあったからです。

ただ、頭では理解していたものの、やはり、何が高慢なのだろう、、と心のどこかで思っていました。でも、今日死ぬほど恥ずかしい思いをしたことでようやくそれに気付かされました。


正直、今後どのような気持ちを原動力として残りの大学生活と向き合えば良いか、まだわかっていません。でも、これからはひとまず、大学を変えてやろうなんて、思わないようにしたいと思います。

もっと謙遜に慣れたらいいなぁ、、、
長文読んでくださりありがとうございました


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