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どうかホームへ還ってきて【6/11 対オリックス戦○】

タイガースがもうひと押し、どうしても1点が欲しいときの一手で頼りにするのは「足の力」だ。積極的に次の塁を狙う姿勢。矢野燿大監督が2軍監督時代から掲げてきた方針だ。矢野さんが2軍監督だった2018年にはチームは158盗塁を記録し、リーグ記録を更新したなんて出来事もあった。

当時の矢野2軍監督から次の塁を狙う姿勢を叩き込まれてきた選手たちが、今は1軍で活躍の場を移している。プロ5年目の内野手、熊谷敬宥(くまがいたかひろ)もそのひとりだ。

1軍では控え選手となっているが、その俊足と内野と外野の両方を守れる守備でチームに欠かせない戦力となっている。今や植田海と双璧をなす「代走の切り札」だ。

僕がZOZOマリンスタジアムにタイガースの試合を見に行ったときも、熊谷は代走で試合に出場した。8回の攻撃でリードは4点。先発の青柳晃洋を楽にするためにも、終盤の1点が欲しい場面だった。2アウト2塁となったところでの2球目。熊谷は難なく盗塁を成功させた。これでヒットが出れば得点の可能性がグッと高まる。

バッターの島田海吏がライトへ良い当たりを打った。熊谷の足なら生還は間違いない。そう思った瞬間。球場がどよめきに包まれた。
3塁を回ったところで熊谷が体制を崩し、転倒してしまったのだ。1シーズンであるかどうかのレアプレーが起きた。
怪我はしていないようだったが、1度失速したところから再度ホームを狙うのは難しく、熊谷は3塁にとどまり、結局この回は点を取れなかった。

話は変わってバファローズとの交流戦。
パ・リーグ最強投手、山本由伸から2点を奪い迎えた延長11回。佐藤輝明がヒットを放ち、先頭打者が塁に出た。佐藤輝が一塁コーチとタッチを交わし、ベンチに下がっていく。熊谷が出てきた。
欲しいのは勝ち越しの1点。9回のチャンスに植田はもう起用された。でもまだ熊谷がいる。

1アウト1塁。ボールカウントは2ボール0ストライク。相手投手はストライクを取ってくるカウントだ。だとすると直球が来る確率が高い。スピードの速い直球と遅い変化球。盗塁を決めやすいのは後者だ。3球目。ストレートが来た。熊谷はもう走っている。スピードを緩めず、一気に2塁に滑り込む。バファローズのキャッチャー・伏見寅威からも良い送球が来たが、当たった。走る熊谷とボールが重なって当たった。

2塁ベース近くに投げ込まれたボールがセンター方向に転がっていく。
送球が逸れたのを、熊谷が一瞬だけ確認したように見えた。そして再び走り出した。サードへの到達は間違いない。
藤本敦士3塁コーチが千切れそうなくらい、腕をぶんぶん回している。一気にホームまで突入させる気だ。その瞬間、あの日ZOZOマリンの客席で見た”転倒”が頭をよぎった。
そう何度も起きるプレーではないことくらい、それはわかっている。でも、もしも―

熊谷が3塁ベースを蹴る。あの日突入できなかったホームベースへ。ベースを蹴る力を推進力に変えて、熊谷は走るスピードを上げた。足はもつれていない。いける。大丈夫。

熊谷はホームベースに向けて一直線。転がり込むようにして頭から滑り込んだ。球審が両手を横に広げた。息を切らした熊谷が笑顔になった。

勝ち越しのホームを踏んだ熊谷はベンチで頭を叩かれながら手荒く祝福されている。まるでホームランを打ったかのような扱いだ。もう何がなんだか分からない。もみくちゃだ。それもそうか。熊谷の足で、タイガースは初めてリードを奪ったのだから。

還ってこられて良かった。

11回の裏。タイガースは一打逆転サヨナラのピンチを迎えたが、なんとか踏みとどまった。最後は熊谷の好守備で試合が終わった。マウンドに集まってタッチを交わす熊谷と選手たち。ZOZOマリンの試合のときより、その笑顔が晴れやかだった。


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