私が note をプロダクトデザインとして評価している点
こんにちは、戸画美角です。
どうも今日は体調が優れないので、以前から感じていたことを気軽につらつらと書いてみたいと思います。
1年ぶりに再開した note
私は1年前くらいまで、すなわちエンジニア的な活動をまだ続けていたころにも note をライトユーザーとして利用していました。
しかし、健康上の問題もあって1年近く記事を書いていませんでした。
これは私の記事一覧からのスクリーンショットですが、途中で2記事ほどポツリと書いているものの、実質1年以上ほぼ note を利用していなかったことが分かります。
変わらないデザイン
さて、1年ぶりに再開した note なわけですが、私が驚いたのはそのデザインがほとんど変わっていないという点です。
トップ画面こそ情報量が少し増えたように感じなくもありませんが、基本的な UI はほぼそのままで、一覧画面、編集画面、記事画面、多くの画面が細部に至るまでほぼ変わっていないと感じました。
おかげで私は新しいデザインに戸惑うこと無く、以前と同じように note を再開することができたというわけです。
私もエンジニアの端くれだったわけで、競争の激しいインターネットサービスにおいて同じデザインを使い続けるというのが、いかに難しいことか理解しているつもりです。
おそらく社内でデザインを変更あるいは刷新したいという意見やアイディアはそれなりに出ていたのではないでしょうか。
それでも利用者の立場を考えて、それに No という決定をし続けたプロダクトオーナーさんの力量を感じます。
変わらないシンプルな機能
私が note を使い始めたころ、記事を書いていて疑問に思ったことがあります。
それは「取り消し線って使えないの?」という疑問でした。
これは現在のテキスト選択時のポップアップですが、現状でも(少なくとも多くのユーザが理解できる形では)取り消し線はおろか斜体や下線、箇条書きや二重見出しすらも利用できません。
他のブログサービスなどでは当たり前の機能なのに、note はなぜ実装していないのでしょうか?
それは一言でいえば「シンプルさを保つ」ということなのだと理解しています。そして、それは書き手と読み手の両方を含めてということです。
例えば、文字の装飾機能が充実した場合、書き手としては色々と装飾について気にしてしまって、本来の文字というコンテンツに割くエネルギーを減少させてしまいかねません。これは初心者にとってはとくに顕著になるでしょう。
そして読み手にとっては、閲覧する記事によって見た目が異なってしまい、本来の文字を読むというエネルギーを減少させてしまいかねません。
するとユーザは”note は疲れる”という印象を抱くのではないでしょうか。
機能を増やすことが正解ではない
私がエンジニアをしていた頃、プロダクトデザインをする上で強く意識していたのが以下の言葉です。
妥当な要求の積み重ねが、全体として良いプロダクトを生むわけではない。
例えば、
・取り消し線や斜体を使いたい。
・箇条書きを使いたい。
・二重見出しを使いたい。
これらはどれも個別に見れば妥当な要求に見えます。実際のところ他のブログサービスなどでは当たり前の機能だったりしますしね。
使えるの機能が増えるのは良いこと、そうでしょう?
しかし、こういった要求を全部取り込んでしまうと、前述したように note のシンプルさが失われ、書き手と読み手の両方に複雑さをもたらす結果になりかねません。
もちろん、その機能が欲しいというユーザはたくさんいるでしょう。
しかし、すべてのユーザの要求を飲み続けるとプロダクトは複雑すぎて誰も使いたくないものになります。
追加されたルビ機能
最近になって note にはルビ、つまりふりがなをつける機能が追加されたようです。
この記事の冒頭で私も利用しているものです。
これは明らかに複雑さを増やしています。
よみがなをつけたければ、戸画美角(とがびかく)みたいに()で表記する方法もあるわけですから。
それでも私はこの機能の追加を概ね好意的に見ています。
ルビは一般的な小説でも多用されており、それらは文字というコンテンツを読む上でさほど邪魔になるものではない、ということが様々な出版分野で理解されている事実だからです。
この機能は最初プレミアムユーザー向けに提供されたと聞き及んでいます。
最初に試験的に導入してユーザの声を聞き、最終的に(エディタ上には現れない)上級者向けの機能として導入したのはよい判断だと思っています。
元エンジニアが見る note
私がなぜここまで機能について語るのか、不思議に思う方もいるかもしれません。
その答えは、ここまで書いてきた機能を実装するのはエンジニアにとっては容易いからです。
まぁ見た目ほど簡単ではないにしろ、実装しようと思えばどれも短期間で実装からリリースまで行えたであろうと推測します。
つまり、
・妥当な要求について
・それが簡単に追加できるのに
・プロダクト全体を見て No と言う
これが note のプロダクトデザインの凄さだと思っています。
集中とはノーということだ。
というのはスティーブ・ジョブズの言葉だったかと思いますが、これを実践するのは並大抵のことではないと私は理解しています。
なので、note のプロダクトデザインの意思決定をしている人物はすごいと思っています。
これからの note
一方で、ユーザ数が圧倒的に増えたこともあって、新しいユーザの記事が注目される機会が減っている、というのは現状の課題ではないでしょうか。
言ってみれば SNS 強者時代になっているわけです。まぁ、これは note に限った話ではなく、多くのユーザを抱えるソーシャル・ネットワーキングサービスに同様のことと思いますが。
おそらく、ここからのサービス成長におけるプロダクトデザインはこれまで以上に判断が難しいだろうと思います。
ふと検索してみたところ、大きく note を進化させようという動きもあるようで、この記事で取り上げたような文字の装飾機能も含まれる予定のようです。
これらが note にとって良いことなのか悪いことなのかは難しいですね。
企業としてサービスを成長し続けなければいけないという想いと、シンプルに保ち続けなければならないという葛藤は、これからも続いていくのでしょう。
おわりに
note でセキュリティインシデントがあったことを記憶している人も多いかもしれません。
正直、その時のエンジニアとしての私は「ないわ」とは思いました。とくに事故後の対応が、明らかにユーザに対して誠意を欠いていると感じたのを覚えています(私のツイートから漁ればそういうのが出てくると思います)。
まぁしかし人は失敗からしか学べないものですし、それから note で何か問題があったという話は聞きませんので、企業として変わったところもあるのではないでしょうか。
なんだか結局まとまりがあるようななかったような記事になってしまいましたが、今後も note が優れたプロダクトデザインでサービスを提供し続けることに期待を込めて。
―了―
補足
念の為に書いておきますが、この記事に書いた意見・主張については私の想像・憶測によるもので、note の運営とは一切関係ないことを付記しておきます。
役に立った記事などありましたらサポート頂けると嬉しいです。