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その思いやりや優しさは、本当に相手のためなのか。 | とべちゃんのレシピ

相手のためだと思う「〜べき」が相手を苦しめることもある、ということを私は高校時代のある出来事から学んだ。

S子との出会い

高校の同級生S子は、幼少期から耳が不自由で補聴器を使っていた。とはいえ、日常生活に大きな支障はなく、そんなことは誰も気にしていなかった。

S子は勉強もスポーツも頑張る明るく前向きな女性だった。勉強が苦手な子の多い私たちのクラスで、勉強を頑張っていた私にとっては良きライバルだった。

ある日、S子の補聴器の調子が悪くなった。学祭の準備期間で帰りが遅くなることもあり、私を含めクラスの全員が彼女を心配して、帰宅するよう促した。彼女はそれを「嫌だ」と拒んだ。担任の先生とご家族の判断で、彼女は母親に付き添われて泣きながら帰宅した。

帰宅した彼女を見送ってから、激しい後悔が押し寄せてきた。

「本当にこれで良かったのだろうか」

彼女があそこまで意地になってみんなの提案を拒んだこと、泣きながら帰宅したのには、大事な意味があると思った。

彼女は自分の耳のことを隠していない。そういった部分があっても、彼女は周囲の友達と何一つ変わらない環境で生活できていたからだと思う。そしてそれが彼女の意地であり、誇りだったのではないだろうか。

いつもは何も気にしていないふりをして、ちょっとイレギュラーが起きると本人以上に心配して、それを彼女に押し付けることで安心しようとしていたのではないだろうか。

みんなが良かれと思って強く繰り返した「S子のためだから」というみんなの言葉は「S子は普通じゃないんだから無理」と、彼女の思いを否定し、可能性を閉じるひどい言葉だったのかもしれない。

自分目線の一方的な思いやりや優しさやのおしつけは相手を傷つける

という教訓を得た。

どうするのが正解だったのか

それ以降、私の中にある問いが残っていた。

「では、どうするのが正解だったのだろうか」

幼少期から人間関係に悩みを抱えがちで、自分自身の気持ちの浮き沈みについて考え続けていたこともあり、人の心情の変化に興味を持つようになった。

「人の心は人の心によって動かされる。自身が他者の影響を受けないなんて無理で、自身が他者に影響を与えないこともできない。人の心は他者との相互関係の中で生きている。だから私は、人について学びたい。」

この問いが、大学進学を考えるきっかけの一つだった。人間を科学するを掲げる北大の教育学部の志望動機書にこんなことを書いたのを覚えている。

私は答えを知りたかった。具体的にどうするのが正解なのかを知りたかった。そこで、入学当初は臨床心理学に進もうと思っていた。

でも、学問を知る中で、臨床心理を学ぶには精神的なタフさが必要で、自分には耐えがたいかもしれないと思った。また、実験や研究を通じて、定量的な事実から考える学術的なアプローチは自分の知りたいことと少しズレがあると感じた。

そして、人を取り巻く環境を作り出す社会学に興味を持って、教育福祉論というゼミに進んだ。

大学生活を通じて、人の心情の変化を知りたいという私の問いの答えは無いことがわかった。

見えてきたこと

人の心情の変化を理解するには、相手に対する深い理解が必要だということ。相手の過去、現在の出来事と、それをどう受け止めてきたのか、それらを踏まえてどんな未来を描いているのかを、相手と同じくらい知ることが重要だと思うようになった。

だから、相手を理解するための興味関心と努力が必要だと思う。(あと自己開示。)相手の言動の全てからメッセージを掴もうとすること。言動の意味すること、言葉、行間、表情の背景にある言葉にしていない思いに想像力を働かせること。その上で仮説を立てて実行してみる。そして相手の反応をみながらコミュニケーションのPDCAを回して、糸口を見つけ出していく。そういう地道な関わり合いの中で、見えてくるものなんじゃないかと思う。

正しい答えは今でもわからない。

最近の課題

コミュニケーションのPDCAを回すには継続的な接点が必要になる。そしてそれには莫大な時間を要する。だから、わかりあうには双方の意思が必要になる。オープンマインドな人なら、これまで培ってきたアプローチができる。

でも中には、自分のことや気持ちを話すのが苦手な人だっている。何かがあると、誰かに語らず静かに殻にこもってしまう人もいる。ヒントがもらえないと進めないし、時間切れになることも多い。どういう人にどこまで関わりを持っていくかも丁寧に考えなくてはいけないと思う。本当に難しい。

今の私

人の心は見えないし、結局、他人である私にはわからない。
でも、目の前の人を理解したい、自分のこともわかってもらいたいと思いながら、誰かと信頼できる関係を築いていけるってとても嬉しいことである。人と向き合うのはとてもしんどいことだ。でも、関わることも向き合うことも諦めたくないと思う。

だから、私の中にある「私の考える思いやりや優しさは本当に相手のためなのか(結局、自分のためでしかないのでは?)」という葛藤や悩みも終わらないのだと思う。仲良く付き合っていこうと思う。


おしまい。

とべちゃん : )♡