見出し画像

学校生活は過酷で嫌いだった|とべちゃんのレシピ

仕事でモチベーショングラフを描いた。人生におけるモチベーションの変遷と共に当時の出来事や感情を振り返って自己理解を深めるフレームワーク。

久しぶりに幼少期や学生時代について振り返った。高校までの学生生活をざっくり表すと、「辛かった」になる。

教室に詰め込まれて、理由がわからないルールがたくさんあって、やることも時間も管理される生活は窮屈だった。教室の中にはカーストとか、同調圧力みたいなものが溢れていた。私はいつもなんとなく集団に馴染めない感覚があった。嫌われないように、はみ出ないように気を遣う毎日に心が疲れた。

こんなこと言ってはいけないと思っていたところがあるけど、大人になったし、今なら言える。トータルで考えると、私は学校生活が嫌いだった。

中学時代、生徒会役員を務めていた。

小学校でも児童会という同じような組織にいたので、同級生の中では「あの子がやるでしょう」ということで推薦された。(みんなやりたくないから、やりそうな人に推薦が集中する。)乗り気だったわけじゃない。でも、色々と思うところがあり、やるべきだと思って立候補者として手をあげた。

田舎の小さな学校なので、対立候補が出ることはなく、立候補者が全員信任されるのがお決まり。私もその流れで当選した。でもちょっとだけ違うことがあった。

合格はしたものの、他の候補者に比べて圧倒的に不信任票が多かった。誰が見ても一目瞭然だった。

中学生の投票。候補者の任務遂行能力がどうこうよりも、好き嫌いの感情面で受け入れがたい人がたくさんいたんだと思う。何の考えもなかった人も多いと思う。

理由は色々あったと思う。何かと目立つ役、先生に好かれる役回りをやることが多かったから、快く思っていない人がいることは前から感じていた。

でも、自分が認められていないことが可視化され、さらされたのは、さすがに辛かった。家に帰ってたくさん泣いた。

とはいえ結果は合格。仕事は始まる。何もなかったかのように役員としての仕事をこなした。生徒会の活動自体は多くの学びとやりがいがあって楽しかった。

そして1年後に再び選挙シーズンがやってきた。1年目に役員を務めたメンバーは自動的に次期の立候補者になる。ポジション的に私は生徒会長の候補者。1年間の生徒会活動を通じて、最後まで任務を遂行したいと思うようになっていた。でも同時に、前年のようにまた目に見える形で結果が出ることがとても怖かった。

ところが、ふたを開けてみると前年から一転して他の候補者と同様に合格した。その結果を見たある先生が私のところにやってきて、こんなことを言った。

「1年間の頑張りが認められたね。」

私にとってこの言葉に2つの驚きがあった。

ひとつは、先生が1年前の出来事を覚えていて、翌年の結果に対してコメントをくれたこと。「そんなに心にとめておいてくれたのか!」と。

そしてもう一つは解釈のしかた。当時の私は不信任の組織票メンバーが抜けたこと、そもそも不信任キャンペーンをしていた人が興味をなくしたから、くらいに思っていたから。

おそらく先生もわかっていたと思う。でもそれも含めて「1年間頑張ったから認められた」と言う言葉に置き換えてくれたんだと受け取った。表現を変えるだけでものすごく前向きな気持ちになれることを知った。


今の私だったら、こう思う。

アンチがいるってことは、それだけ相手の中で自分の存在感が大きいということ。きっとうらやましく思う気持ちや、なりたいけどなれない悔しさも含まれているに違いない。認める気持ちが違う形で表れただけのことである。可愛いじゃないか。

学校生活が辛かったこと、学校が嫌いだったこと、集団に馴染めない違和感を抱えていたこと、大人になって堂々と言えるようになって、気持ちが楽になった。

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

おしまい。

다음 너트에서 만나자!안녕~

とべちゃん: )