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お人形さんになってわかった「プロフェッショナルであれ」の意味|お仕事日記

こんにちは。とべちゃんの頭の中を書き残すnoteです。

私は約2年間、韓国留学&ワーホリをしていました。当時書いていたブログがきっかけで、現地のベンチャー企業に声をかけていただき、YouTubeなどの動画サイト向けのキッズチャンネルの運営に携わっていました。

もとは既存の動画の日本語吹き替え版を作るための翻訳と声優として声がかかりました。しかし、面談を進める中で、いずれ日本人の役者を探すつもりだったのでやらないか、と打診されました。

「自分では絶対選ばなかった道!これは面白いに違いない!」

と快諾。日本チャンネルの立ち上げ&出演メンバーとして雇われのYouTuberになったのです。

今回は、予期せずYouTuberになった私の心情の変遷と、この仕事を通じて得た学びを書き残します。

”お人形さん”じゃないし

仕事を始めて直面したのは見た目のコンプレックスでした。見られる対象になるのは想像以上にシビヤでした。また、照明をあててファインダーを通すと、モニターに映し出される姿は、鏡で見る姿と全くの別物。

いつも通りではいけないことは明らかでした。

肌の色やコンディション、メイクのしかた、色や濃さ、輪郭や各パーツのバランス、ヘアスタイル、イントネーション、姿勢、視線、動作の癖…何から何まで、動画と写真で「これでもかーーー!」と言うくらい自分の見え方と客観的に向き合うことの連続です。

自分の顔写真を毛穴が見えるくらい拡大してフォトショップで修正する作業もしました。

今までの生活で過度に気にしなくたって幸せに暮らせていた見た目の小さなコンプレックスが次々と顕在化していきました。「顔に自信あって引き受けたわけじゃないのに、なんで無駄に凹むことしてるんだろう」と笑えてきました。

”お人形さん”にはなれない

もっと難しかったのは「自分ではない人に変わる」と言うことでした。会社のチャンネルなので、プロデューサーが描く世界観とキャラクターに従うのが基本。指示されれば、本来の自分がそういうキャラクターじゃなくたってやるのです。

これはやる前から想像がついていたことですが、その想像の通り自分の気持ちに正直で、自己主張強めの私は

「誰かの言いなりになるだけの”お人形さん”にはなれないや。」

と、皮肉っぽく考えていました。

"お人形さん"を演じきる

自分を変えてお人形さんになるのは嫌でしたが、”演じる”となれば話は別です。役は本来の自分でないことが前提。チャンネルとしてあるべき役を演じきることが勝負だと思ってからは気持ちが楽になりました。

試行錯誤しながら進む中で、常に明るく元気よく、大袈裟なくらい表情豊か。欲張りでチャレンジングだけど失敗する。そんなキャラクターが見えてきました。自分とは違う自分に親しみを持ち、愛せるようになりました。

プライベートで泣きたいことがあっても、今すぐうずくまりたいくらい疲れているときも、撮影が始まれば全力で明るくなれる。笑っているから本当に楽しくなる。

何事もためらわないめちゃくちゃなキャラクターを演じるから、プライベートでもどこまでも素直に明るくなっていく。嘘みたいだけど、キャラクターの自分にぐっと引き上げられて救われる自分がいたのです。

周囲にしてみればくだらないことかもしれない。でも、こんな生き方だって誰かの力になれると思いました。

社会人1〜2年目の頃。仕事帰りの電車の窓に映ったボロボロの自分の姿に思わず涙が出ました。あの頃の自分に教えてあげたいと思いました。

毎日おもちゃで遊んだり、何かを爆発させたり...しょうもないことで大爆笑して、それを仕事にして生きている大人だっているんだ!きちんとできない自分を責めすぎなくても大丈夫、生きていけるもんだよ、と。

プロフェッショナルであれ

お人形さんになってから、いつも「プロフェッショルであれ」と言う言葉が私の中にありました。それが具体的に何をどうすることなのか、当時の私にはわかりませんでした。でも、当時の私の中に芽生えて、どんどん強くなっていったこだわりこそ、その答えだったように思います。

①何があっても心身のコンディションを整える

出演者の私がいなければ撮影ができません。その撮影のために存在している全てのスタッフの仕事、時間を奪うことになります。むくみやクマがひどいから、と言う理由で撮影を飛ばすわけにはいきません。だからと言って、不健康な顔で画面に出るわけにもいかず。撮影の日はどんなことがあっても万全でなくてはならないのです。これは想像以上の緊張感があります。

顔には生活態度が大きく現れるので、表面的なことでは対処できません。そこで身についた習慣が、間食しない、油物、辛いもの、なまものを食べない、ひたすら白湯を飲む、日焼けをしない、寝る前のストレッチと筋トレ、様々なケア、22時就寝...。そんな私の姿を見た友人の「プロ意識…」という言葉を聞いて、それほど自分が本気で取り組んでいることに気づかされました。

②役割を全うする

ふとした瞬間に役になりきれていない自分、ささやかな表情の変化ひとつで一気に不安が伝わる場面。一瞬の気の緩みが、作品を台無しにします。撮影時間は有限です。メイクもセットも一度だけ。撮り直しはありません。編集にも限界があります。公開された動画に誰が何を思おうと言い訳はできません。納得がいかなくても、残念ながらそれが今の自分の実力。

そうやって納得のいかない姿を晒す悔しさを原動力に、「どうしたらもっとよくなるか」を考えて、試行錯誤を続けました。

どんな状態でも「カット」まで笑顔を絶やさない、強い意志でやりきれる自分になれました。

③どうしたらできるか前向きに考える

いかにマシになるかを試行錯誤した結果、カメラや照明に合うメイクができるようになり、整形しなくても努力で変えられる部分があることがわかりました。それまでふんわりと把握して流していた自分の見た目を、くまなく見つめ、顔や体の特徴を知ったことで、似合うものがわかるようになりました。

「見た目がウリじゃないんで」

と、謙虚そうな言い訳で諦めず、

素材の持ち味を知り、それを活かす術を学ぶ。それだけで変えられることがありました。見た目の変化は心も明るく軽やかにします。諦めずにできることを考えると、やりようが見えてくるとわかりました。


それまで私は、「プロフェッショナル」とは「何らかの道を極めた専門性の高い人」をイメージしていました。ですが、自分の経験とそこで感じたことを振り返ってみると、「プロフェッショナル」とは、自身の役割に責任と誇りを持つこと、そしてそうした強い意志を持って仕事に向き合う姿勢を言うのではないか、と思うようになりました。

「プロフェッショナル」は、誰かがなれるものではなく、役割を担う私たち一人ひとりが常に求められるものなのだと思います。

・・・・・

この仕事を始めるときは、今後のキャリアのプラスにはならない「思い出ビデオ作り」くらいに思っていました。しかし、こうして振り返ってみると、特別な学びに溢れていました。

自分の描くゴールに最短距離で駆け上がるのもいいですが、想像もつかなかったチャンスに踏み込んで、駆け抜けて、振り返ってみることも無駄ではなさそうですよ。

はい、本日もありがとうございました。

다음 너트에서 만나자!안녕~

とべちゃん: )