働かなくていいだけのお金と住む家が用意されていたら、毎日何をする?
こんにちわ、カメになりたいうさぎです🐢🐇
正直今のわたしは、この状態。
申し訳ないくらい1月の末に退職してから
お家で自ら自粛してた。
実家に帰ったりダラダラなんやら過ごした日々。
最初に襲ってきたのは、「何かしないと病」
無意識に、働かないと。何かしないと。
休み下手というのはまさにわたしだろう。
というのも、ついつい空白の時間ができると、仕事やらなんやら予定を入れてしまう癖があり、常に人生の何かに追われてる感覚があった。
働いてくれる旦那様がいて、わたしが働かなくても欲しいものは手に入り、食べたいものは食べれ、
しかし、心は満足するどころか、枯れていた🐢
でもこの約5ヶ月、膨大な時間を自分に向き合う時間に当ててきて、たくさんのことがわかった。
もしも、お金や家があるとしたら
人々は何をするだろうか?
そもそも働くのか?遊ぶのか?
この結論としては、
わたしは暇つぶしをするために生きたくないという
結論が出た。
なんとなくいい感じの生活を送ることでもなく、
ただ忙しく日々を送るわけでもなく、自分の欲求に従った時間を過ごしたいと思った。
しかし意外にない笑。
したいことって、仕事をしててできないからしたいと思ってるだけで意外にもない。逆にある人は素晴らしいと思う。
この期間を経て、ようやくこんな生き方がしたい、こんな生活がしたい、こんな人と関わってきたい、こんな在り方でいたいと、自分の在り方が見えてきた。
例えば、お金を稼ぐのも今まではなんとなく生活するためにだった。
だってなくなったら困るし、何より働いていたら安心という対価を得れる。
けどわたしにはそれ以前に今まで働いてきた動機がお金ではなく、自分の中でのその時のブームから選んできた。
例えば、あっ営業もしたし事務的なことできる自分になりたいからし〜よおと。
こんな軽い感覚で選んで、なんなの?!と思う人もいるかもしれない。
しかしもしこの世にお金という概念もなく、働くという概念が大きく異なったらなんのために人は働くのだろうか、そんなことをずっと考えてた。
だから、仕事はお金でもなく、例えば自分が誰かのためになった時、成長を感じれたときに最高の対価を感じていたので、逆にお金を作る動機がなくなると働く意味もあんまり感じれなかったのが本音である。
しかし、ここにきて自分のしたいことにお金が必要なことが度々発生し、初めて、したいことのためにお金が必要だという意識ができた。
こんな生活を送りたいから、こんなことを成し遂げたいから、こんなことをしてみたいから。
やっぱりお金が欲しいではなく、お金を得た先にある、感情を感じたいんだと確信した。
意外にそう思うと、人生なんか暇なのかもしれない。
忙しくもできるし、暇にもできる。
何かをしようとした先に時間がなくなるっていうのは最高に素敵なことだと思う。
本当に本当にどんな時間を、どんな人生を送りたいかってあんまり考えてこないで生きてきたから、1からこの作業をするのもまあまあむずかしいものである。
ましてや、働かないと罪悪感、何かを成し遂げないと罪悪感、置いてかれそうな気がする焦り、いったい誰のための罪悪感で焦り??
でも、この忙しさに慣れているわたしたちは1度何もない時間ていうものを存分に感じることをオススメする。
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