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32夜 学校にいけないことがそんなに問題なのか?

 朝日新聞デジタル10月3日の報道によると,文部科学省が実施する「児童生徒の問題行動・不登校調査」の2022年度の結果として,不登校の小中学生は過去最多の約29万9千人で,前年度比22・1%の大幅増となったとの事.また,不登校児童生徒のうち学校内外の専門機関に相談していない児童生徒も過去最多の約11万4千人となった.いじめは小中高などで約68万2千件が認知され,被害が深刻な「重大事態」は923件となり,いずれも過去最多.今回の結果を受け,文科省はこども家庭庁と連携して,不登校といじめ対策の「緊急加速化プラン」を策定.一部は今年度中から実行に移すようだ.プランでは例えば,不登校で学びにつながっていない子どもを支援する地域拠点の強化などを前倒しで行う.いじめの重大事態に至る共通要素を把握して,同省の重大事態対応ガイドラインの改定で対策強化を図るという事が,当該紙面で記されていた.
 調査結果の数字を見る限りにおいては,もはや驚くようなことではなくなりつつなるというのが,筆者の率直な感想である.なにしろ,不登校が登校拒否と呼ばれていた時代から数えて,もう何十年が過ぎただろうかと思うほどに,この不登校問題は常態化してしまっている.この記事で最も驚いたのは「緊急加速化プラン」とかいう対策や,いじめに関して「重大事態対応ガイドライン」を改正して対策にあたるという事だ.一体誰が満足な対応をすることができるというのだろうか.筆者が教員として,いじめや不登校の問題に取り組み始めた30年近く前に,ある研修会で,教育心理の専門家に,この問題にかかわる組織や専門家がスクラムを組んで対応できるような仕組みをどうしたらできるかと問うた事があったが,「難しいですね」で片づけられてしまい,以降,そのような組織が生まれることもなく(地域によっては出来たところもあるだろうが,)スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーが学校に常駐することもなかった.結局は,そういった児童生徒を抱える担任が右往左往する状況が今まで続いてきたわけで,多くの担任は,紙の上のプランよりも実効性のあるプランやガイドラインを求めているはずだろう.要するに「船頭多くして船山に上る」といった状況なのだ.教育現場にかかわる多くの人達がいっている(と筆者は理解している)標準法の改正による根本的な教員数の改善が最初に行われるべき施策のはずであるのに,そこには手をつけずよくわからないサポーターの導入やら部活動の地域移行やら,まるで「児童生徒数の減少による教員数の帳尻合わせ」を待ちながら国にとって費用のかからない施策をだらだらと続けているようにしか見えないのが,筆者の率直な感想である.
 「地域で子供を育てる」とか「社会全体で子供を見守る」「家庭教育がまずは大切なのだ」という耳障りのよいスローガンは,確かに必要な考え方であるしみんなで進めるべきだろう.しかし,果たして実態はどうなのだろう.様々な分野でのセーフティネットが機能しなくなりつつある現在,人口減少がもたらす地域の崩壊は,上記のようなスローガンを空虚なものにしつつあることは状況を観察すれば明らかになりつつあると筆者はみる.この状況は誰のせいでもなく,私たちの社会は多くの物事がピークアウトを迎え,さらにその後の状況へと進んでいるにすぎないのだろう.もう,多くの社会的状況に関して,何を増やす(望む)かという考え方から何を減らす(あきらめる)かという考え方にシフトチェンジすべき段階にきているのだ.教育においても減らすという考え方を持たなければ,早晩立ち行かなくなることは間違いない(もう立ち行かなくなっているか).改善の本質にたどり着けない政策環境ならば,公教育において残すべきものは何かを現場で選択し,実行する覚悟を持たなければ,先の大戦における「インパール作戦」のような無残なことになるに違いない.私たちは,公的教育費に対するGDP比率が3%ちょっとしかないという,何年たっても変わらないこの国の現状を素直に認めて,身の丈にあった教育の選択から始めるしかないということを理解しなければならない.「やめましょう」という言葉は「やりましょう」という言葉よりも困難さをともなう事は承知のうえでの提案なのだが,果たして誰がそれを言い出せるか.社会はそれを認めるだろうか.

 
 

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