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人間 (エッセイ)

栄えある第2回のエッセイから投稿し忘れるとこだった(ギリギリアウト??)
タイトルを何にしようか悩みに悩んだ挙句、
大きなタイトルとなってしまった。
(金と性の話じゃなかっただけ良かったと思え)

スケールとしてはデカいが結論は短い。

猫が猫であるように人間は人間なのだ。

は?っと思った君、待ちたまえ
ポエマー気取りかよって思ったかもしれないが、そんなつもりでは無い。

例えば君は、道路で猫を見かけた時どう思うだろうか?
「可愛い~~~!」「きまずい」「なんやこいつ」っと心の中で思うか?
いや違う「猫だ」と思うだろう。

だがその猫に毎日会ったらどうだろうか?
きっと愛着が湧き、「またコイツか」っと思うだろうその時はじめて私たちは種ではなく、
個として、その猫を認識するのだ。
まさにTheがついたのだ。

それと同じように、普段は人間まみれの中で生活しているから気づかないが、

我々は人間という種の中の1部だ。

個体差はあれど、羽が生えたり、角が生えたりはしない。

我々はそれぞれが人間代表なのだ。

宇宙人の地球生物図鑑に誰が人間代表として見世物にされるかなんてランダムなのだ。

話は変わるが我々が今住んでいる町、今見ているスマホやパソコン、今生きている時代、今この文章が読める知識、今社会問題になっている地球温暖化、それらはまるで必然のように我々の目の前にあるが、そうじゃないだろう。

我々人間が作り出してきた物なのだ。

歴史も、文明も、常識も、悩みも、全て作り上げてきた中で過去の者が去り、我々が誕生し知識として受け継いだのだろう?

つまり、過去の人間も、今生きている人間も
1つの生命なのでは無いだろうか?


我々の中で細胞が死んで、また新たな細胞が生まれ、まるでテセウスの船のように全ての細胞が変わり果てても自分は自分のように、
人間もまた古い人間が死に、新たな人間が生まれても、人間は人間なのだ。

そうやって考えれば孤独でも、社会の中に上手く生きて行けなくても、群れに溶け込めなくても、大丈夫って思えるだろう。

出る杭は打たれるなんて言葉があるように我々はお互いのトゲを治していくことで、一つのものになっていく。

SNSなど人と、どんどん繋がって行くことで多様性を認めながら実は多様性を殺してる。

国を超えた流行が出来ることで、独自の文化が消えつつある。
もちろん独自の文化を貫いてもいいが少数派だし、受け継ぐものがいなければ消えていく。

和と洋が混ざるように。
昔のものがまた流行するように。
今と昔の堺ですら無くなりつつある。



おっと、人間は1つなのではなく、
1つになるために生物が人間に進化したのかもね



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