愛するとは、赦し手放すこと
おはようございます。
生命という器の中にある命を生きること
その大事な基盤として、『愛する』ということについて
考えています。
愛するということは、
人と関わっていくこと
行動する事に尽きると
自分の中では解釈しています。
だから、本当に自分が相手のことを
愛することができているか
自己判断するとき
私は、自分の中で、
この人のために実際に動くことができているか
この組織のために何が行動できるか
それを考えます。
私は、本当に愛しているのか
自らをいつも、点検というか
これが愛であるか?と思っていくことも
とても大切な愛だと思ってます。
なぜなら
実際は、相手を見ていなかったり
自らの都合で、そのように解釈していることが
とても多いから。
その中で、自分が何をできるかとは
また逆の視点で
周囲が実際どう動いているか
冷静に客観視していきます。
そこに愛があるかどうか、含めて
ただ直視します。
その中で
だいたいが笑って許せる。
それでも倫理的にや、道徳的になど
これは許せないという怒りと憎しみに
とらわれてしまうこともある。
その中で、それでも相手を赦す。
そして時に相手への執着からくる
怒り、憎しみを含んだ
相手への想いを手放す。
時に
それが相手への実存的かかわりも
手放すこと
それも本当の愛であると
私は考えます。
私は本当に愛することができうる
愛そうとしている。
だからこそ手放す
そういうこと、それも愛。
距離を置くこと、それもやさしさであり愛。
そして、現実的には別れたとしても
距離が遠くなっても
私達は目に見えない何かご縁といってもいいでしょうか。
つながっております。
だからこそ、日々の想い、日々の心の姿勢を
大切に、
今目の前にいる人も、お別れした人も、
もう死に別れして会えない人も
赦し、愛していきたいと思った
休日です。
今日は愛することは何かということで
赦すことと手放すことを
私なりの解釈で述べました。
相手に求め始めた時、
そこにしか視点がいかなくなったとき、
もうすでにそこに発展性がなく、
自分の中に愛があるようで依存かもしれず
そのときは、すでにもう手放すときかもしれません。
私の人格、人間力であると
今までの人生ではそんなふうに解釈して、
愛することゆえに、手放すことを実践しています。
今日は5月の梅雨前の
終盤の晴れやかな日々。
今年も上半期を過ぎて
自分の中の浄化、手放しを大切にしていきたい
そんな風に思ったお休みです。
今日もあなたが、
大切な人に守られ、愛されていることを祈ります。
そして私も
いつも大切な人に守られ、今日も愛されていることを
感謝します。
今日も命にありがとう
そして今日の午後と夜を大切に。