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今の迷い、葛藤が過去と未来をつなぐ中今となる。

こんばんは。
生命という器の中にある命
その命を生きる、そしてよく死ぬ
そのことを考え
今は愛することについて考える中で
中今、この今を愛する事について考えてます。


 前回、
自らの命を生きるその際に
中今の視点を、そして中今の視点は
呼吸に着目して、ただ息をして
そして雑音を止め、そして改めて
自らに問うことを記しました。

この中今に至るまでには
私なりの、道筋がありました。
私の中今を探す道程の一部を記そうと思います。


1)なぜ中今を感じるのに息なのか


中今について、自らの考えるところについて前回記しまして。。。
そこでは、一番すぐできる中今は呼吸を感じる事について
記しました。
呼吸って、私の看護の日常でとても大事なところで
その患者様の呼吸を感じ
その患者様と呼吸を合わせて
観察し、会話し、そして話すことを
意識する事、あります。

重症患者様では、苦しいが言えない
つらいが言えない意識がない方もたくさんおられます。
そのとき、その患者様の身体の
言葉にならない声を聴く。
その患者様の呼吸をしっかり見て
視る、観る、看る、
呼吸音を聞く。聴く。
そしてその変化を見逃さない事
それが
目に見えるデータが起こる前の予兆で
異常の早期発見にもつながる大事なところなんです。

日々、息する人に寄り添い、そしてその一息を
大事に見て感じているので、こう思うのです
『息する事それは生きる事』


 息する事それは命を動かす基盤で
もしかして命を動かすための機能の中で
唯一意識し人が調整できうるところでは?
と思っております。

だから、今生きているそれを自覚するには
自らの息を自覚して
そしてそれをより、命が安心するものへ
変化させる、深く、ゆっくりと。
自らで自らの呼吸を愛していくのです。
そして、呼吸に集中すること、愛することで、
いま命があることに感謝し
自らを愛することになり
自らのもう一人の、常時つぶやいている、
声を静かにさせていく。
そこに中今につながっていく大切な段階。


2)一日一生と私の苦悩

 そして、中今にこだわる前の私の前段階に
『一日一生』という言葉との出会いがあります。
私は30代マラソンを走り、
フルマラソンにも参加することをしておりました。
その動機は、体を鍛えることもそうなのですが
『仕事とかプライベートでこんなに思い通りに
いかないんだったらせめて、
体調くらいは絶好調にしたい。
いやできるところから、想うところを形にしたい』
という、自らに対する、いらだちと挑戦でした。
わたしは、このころ、自分は不運だと思っていました。
想うようにいかなかった過去にいらだち、
そしてこれからも思うようにいかない未来に
抵抗しようとしているそんな自分でした。


 その中で長距離を走る事のフィジカルだけでなく
その長距離を走り続ける、
トレーニングを続ける意思と行動について
考える中で、
日々修行を継続する修行僧について関心を持ち
千回峰行を2回も遂行した大阿闍梨酒井雄哉師の
動画を食い入るように見るわけです。
道遥かなり 1 (youtube.com)
ここで人間の心と意識と身体のつながりと
その関係性いかんによって、
そのパフォーマンスが
左右されることを、確信しました。
看護師をやり抜く中で、
精神力と集中力を磨くきっかけがほしいと
寺に、短期間の寺修行体験などもしており
修行につては身近に考えるものでした。

その大阿闍梨酒井様がおそらく一番大切にしている
ことばの一つが下記です。
『一日一生』
阿闍梨の一日一生について語るそのものの語りが以下です

人は毎日生まれ変わっとる。
だから、よきにつけ、悪しきにつけ
すべて今日で終わりや。
今日が始まったときに、
今日ですべてが終わる気持ちで日々生きろ。
朝起きれば、それが新しい誕生や。

大阿闍梨酒井雄哉の遺言:玄 秀盛著、佼成出版社

 そうか。。日々新しい誕生、新しい出会い。
それが、私にとっては、新鮮であり救いでした。
こんな私でも、日々新しい自分として、機会をもらい
新しい人生を頂いている一日なのね。。
そして、共に働くあの人も
あのわだかまりがあり、許せないと思ってしまう
その怒りを煮えたぎらせて止まらないあの人も同じ
今日が終わり明日は新しいあなた。
そして私も新しい自分。

この当時
私は、仕事上で、自分でも調整できない
怒りとくやしさと戦ってました。
そんな私にとって一日一生
大事な解釈。。そう思って、
私は私なりに、私のレベルで、
一日一生を心に念じ、実行するのです。


 いつも仕事が終わってから自宅に帰って
家のことややることが終わったら
ふと感じる、めぐる堂々巡りのくやしさと怒り
そしてどうすればいいのだろうと
自らの心があちこちに、暴れることを
調整できない自らに、苦悩していました。
その生活に『一日一生』を徹底的にしみこませました。

私は自らに毎日、
寝床につくときは、いったん死ぬのだと
自らに言い聞かせるために、
寝るときに音楽に乗せた、癒しにもつながる
般若心経を流しながら寝てました。
お気に入りの般若心経をご紹介しますね。
【作業用BGM (1hour) 】般若心経ミュージック動画 - 2020年総集編 - / 薬師寺寛邦 キッサコ (youtube.com)

そう私は、必死で看護師に食らいついていた。
私にとって看護師を続けるということは
本来は、ふさわしい器でなかったと私は、自分自身を思います。
そこを、
悔しさともどかしさ、そして怒りも感じ
(至らなかったと今は反省ですが)
日々を戦っていた。
でも、この般若心経を聴きながら寝る中で
時折安らかに笑顔で寝れることがありました。

それは、自らが納得できた瞬間をその日に思い出せた時です。
~その瞬間、今を集中したケア、看護ができたとき~
引きこもりの患者様の足浴をして、笑顔をみせてくれた瞬間
患者様の髪を洗い、顔が明るくなった瞬間。
言葉がなくとも顔に目に光が宿り目があった瞬間を実感した
ケアでした。
そしてふと思うようになります。
『自ら死ぬとき私はどんな顔をして死んでいくんだろう
できうることなら、笑顔で穏やかな笑みを浮かべて死にたい。』


一日一生をテーマに、寝る前に般若心経を聴き、
自分ありがとう、あなたもありがとうを心につぶやき
特に荒ぶるときは実際独り言のように口で言い、
そして朝は
太陽をイメージし祈り、父がやっていたようには
いきませんが
なんちゃっての神棚を作り祈ります。

 通勤する電車の中から、一瞬見える朝日に
新しい今日の私にありがとうと思い、
そして勤務前に、今日一緒にする新しいあなたに
ありがとうと思い、働くようになりました。

~今は、般若心経を聴きながら寝るほど、
心は荒ぶることはなく
やめましたが、朝夕にありがとうと
心の中でつぶやくことは、自然にしてしまいます~


3)一日一生を基盤に、中今の意識へ。。。

そうして必死でくらいついてく中で、徐々に
仕事について、自分で自分の成長の手ごたえが
出るようになった時、
もう一つ自分の不足感を感じるところに気づくのです。


 仕事上、状態が急変した時、もしくは、救急車でこられた
患者を迎え入れる救急外来での
急変対応時の待ったなしのとき
それは、瞬時の集中力と判断力と連携が問われるときがある。
そのときに、適切な判断と適切な行動をできうるには
どうすればいいのだろう。。そう感じたとき
そのための準備(必要な知識と技術と技量)
そして、
その瞬間に自らの能力と判断力を駆使できる集中力だなと
感じていました。
それが、いまこの時をこの今を
何のとらわれもなく、
ただ自らのすべてを使って
自らの役割を発揮するようにする力、
今に集中したいと思った
きっかけでした。
そんなときに、矢作先生の本を読み
中今という言葉に出会うわけです。


 そして今、
今は、中今を大切に
今この瞬間に
想いを込めてスタッフと話すこと
仕事をすることを、心においてます。

そして中今とはこういうことだと想うのです。
1)一日一生の心構えで必死に食らいついた過去
今の私の在り方にエネルギーを注ぎ今に集中できる
2)5年後10年後の今の働く場の在り方、
自らの在り方のイメージ、未来の自分
がいて
その未来の自分が今の私に語りかけ、
そして今の私の在り方に力を与える。
1)の過去と2)の未来のエネルギーが
同時に今の私に注ぎ込み
そして私が今をまさに生きる。
それが中今と。
ここまで、書いて言いたかったのは
このことです。

その『中今』に通ずる過去の自らを作ったのは
一日一生の言葉を繰り返し思い直し、
怒り、悩み、眠れぬ中今とは程遠い
荒ぶる自らでした。

その『中今』に通ずる未来の自らをイメージできたのは
今していることのその先にある
遠い未来を、理想を、目標をあきらめない
どんな自分でも食らいつくと決めた
泥臭いどんくさい自分です。



4)今日も悩んでいる。。そう思うあなたへ

あなたがもし思い悩むことに
後悔したり、自己嫌悪に陥ってしまうことがあるとき、
前回の記事

中今は、少し私の解釈記事は
メッセージが足りなかったと思い
追加で記事を書かせていただきました。

今、堂々巡りのように悩む
今に集中できないあなたも
それは思い切り悩んでいい。
思い切り葛藤していいと、想うのです。

その中で必死に考える中で、
一瞬見た言葉、
一瞬聞いたメッセージ
一瞬感じた感触
それが気づきとなり、あなたの転機となる。
あなたが目指す未来は、おぼろげでも観えているからこそ
苦しんでいるはず。
だからあなたは大丈夫。
こう思っていただきたい。

今日も悩むことができた
今日もできなかったけどそれを
悔しがることができた
そんな自分に怒ることができた。
今日も情けないと感じることができた。
そんな自分にちょっぴり今日も逃げたけど
でも今日も生き抜いた自分にありがとう
今日の自分はもう十分頑張った、生き抜いた
今日の自分よありがとう。。

今抱えるそのくやしさ、その葛藤、その苦しみ
おめでとうございます。
それは未来のからあなたからの
ここまでおいでよ、、という、気合と応援のエネルギー。
着々と未来の自分へ近づくための
小さいけれどゆっくりだけど
歩んでいる証拠です。
そして、後ろを振り返ったときに、
そのくやしさと葛藤その苦しみを
気づくことさえできなかった小さい
昔の自分を思い出してください。
あなたは着実に成長している。

そしていつか未来に、
『あの時の、くやしさ、葛藤、苦しみがあったから。。
今の自分と自らをとりまく世界がある』
必ずそう思うあなたがいます。
もしその時間がない、今難しいとしても
それは来世に。必ず。。
だから思い煩うことをためらわず
思い切り悩み、考えてください
それも大切な、あなたの『中今』です。


今日のあなたも、私も、床に臥せたとき
そのときは今日で金輪際終わりです。
そしてもし、明日あなたも、私も
目覚めることができ
生かされていたら
お互い笑顔で、ありがとうを。。
生きている感謝を挨拶しましょう。
御縁があったら直接に
もしくはこのnoteで。。
今日もあなたの命にありがとう
おやすみなさいませ。




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