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死後の世界を考え、逝った命と繋がろとする思いが愛。

 おはようございます
今の時期7月から8月にかけては
日本では新盆、旧盆と地域によって
期間は別ですが。

ご先祖様を家に迎えて、一緒に過ごし
ご飯を食べ、そして祈るその時期に、
離れていたご家族、親戚が集う
大切な日本の夏の儀式であり、文化の一つ。

きっと昔の方が、
死にゆく大切な人を目前にして
その死を見据え、その人と死後も
つながっていきたい。大切な思いを
引き継ぎたいと
このような風習ができたのではと
私は考えています。


 死とは何なのか。
日常の看護師としても、一人の人間としても
死をもっと見据えて深く考えたい。
そう強く思い、2024年度
とあるワークショップに参加し、死生観を深めました。
そちらについて今回は記したいと思います。




1)日常の中での葛藤に近いもやもや感

 私は日々の業務(看護師)の中で、
患者様の死、いのちの終わりの時間を
家族や、その患者様にとって御縁があった
友人や恋人、会社の方とともに、
迎える事があります

そのとき、皆様が心の揺らぎ、葛藤、悲しみを感じながらも
私に聴いてくださることがあります
『もう死んでるんですか?』
『今話しても聞こえてるんですか?』
そんなときに、その心を感じ、出る言葉も出せず
ただ、一緒にその場にいる。。それが、正直なところです。
死とは何なのか
どんな状況なのか医学的なところについては説明できる。
~でも自分が死んだことがない(当たり前)
だから死とはどういう状況でどんな感覚なのか
わからない。
それなのに、さも、わかったかのようにお声がけしている自分がいる。
『声をかけてあげてくださいね。』
『最期のときに、ぜひ一緒にいて、傍らにいてあげてください』
~これは医療者として働く中で役割を遂行する事だけが先走りして
 一人の人間として命、死について向き合う必要が
 あるのかもしれない~

いつもそんな思いが脳内にちらつくことがありました。


2)2024年度6月参加むぬフェスそのワークショップにて

そんななか、
むぬフェスというワークショップ、セッションに
参加する機会がありました。詳しくはこちら。

むぬフェス|「産む」から「死ぬ」まで、生きるをめぐる10日間 (outenin.com)主催:應典院というお寺の皆様~一人ひとりに死生観問いかけ、いのちのはじまりと終わりに向き合うことで、共生-共死のウェルビーイングな社会に向け、都市におけるライフコモンズの再生をめざします。~この主旨のもと、医療者、学者、僧侶、執筆家、事業家など様々な方が集い、トークセッションをしたりワークショップが実践された10日間の集いです。


この中のワークショップに参加したテーマが
こんなものがありました。

わたしたちの死後世界の物語をつくろう
5/18 (土) 15:00-17:00

漫画・小説・ドラマ・映画、そして宗教でもさまざまな死後の想像が語られています。納得感のある死後の物語に出会えることで、私たちの死の受け入れ方は変わっていく、もしくは楽しみになって、死の輪郭が変わっていくこともあるのかも。このワークショップではさまざまな死後の物語に触れながら、「死後世界すごろく」を作ります。死後世界のライフイベントとは?!一緒に楽しく想像しましょう。

むぬフェス|「産む」から「死ぬ」まで、生きるをめぐる10日間 (outenin.com)

 参加者は、私より年上の方から、大学生まで様々な年齢の方で
4から5人のグループ分けされ。
上記テーマを話し合い深め、最終的に『死後世界すごろく』まで
表現しました。
 初対面であった間もない方と、死について考え、それも楽しく、創造性を
かきたてるように、死後の世界を考えることができました。
部分的にご紹介をしたいと。

①死後の世界について
 
死後の世界は様々な宗教でそれぞれに描かれていることも
たくさんあります。ですがそれだけでなく
その住んでいる地域性、天候、民族の生活スタイル
など密接に様々関連しあって、
独特の死後の世界を作り上げていることが紹介されていました。
一部紹介させてください。

~地底世界に行く(古代日本・五行思想)

昔の日本では、死んだ人は『黄泉』という地底世界に行くことになっている
『黄泉』は、島根県にある『黄泉比良坂』という坂道で現世につながっていた。下の図のようなイメージで。。
~日本の古事記も、きっと自然、すべての生物の生と死を目の前にして
できあがってきた死生観もあらわされているのでしょうね~


~~近所の島に行く(パープアニューギニア)~

この地域のキリウイナ島の民族は死ぬとその近所にある
実在の島に行くと考えていた。そこで普通に結婚したり仕事をしたりして年老いると海で脱皮。そして胎児に戻って、ヤシの葉に包まれて
運ばれた後、元の島で新しい命として生まれる。
~近所の島へいく、というところが、気候と、その地形、そしてそこから影響される人柄などが死後の世界にも影響してる感じがします~

今回、部分的2つ上げましたが他にも、宗教、民族、国などによって違いがあり多数あげられておりました。
地域性、宗教、死生観気候、国民性など、見事に、関連しあい
それぞれ
死をとらえ、死の向こう側の世界をっみているようです。
そしてそれが、今も引き継がれ、多かれ少なかれ、私達の生活に生き方に、反映されていることがよくわかります。

② 自らが考える死んだあと、どんな世界があるのか考える。
どんな世界があったらよいと思うか死後の物語を想像し文字におこし
そして絵にしていきました。そしてグループでお互いに絵にしたものを
共有しそれぞれの、死後の世界から、考えること、感じたことなどを
楽しく話しました。
下の写真は私たちグループのそれぞれの考えた死後の世界です。

手前のが私のものですが今の人生の生き方で、
妖怪、また人間へと生まれ変わる、神、天使妖精へと変化するコースなどと
考えました。

3)死の向こう側を見ることそれは、命のつながりを愛すること

 死は誰もが迎えること、そして、日常の中にあるはずなのに
それは、今日常に、なかったかのように阻害されています。
生まれること、死ぬことほとんどが、施設や病院の場で繰り広げられ
人間が生きているまさに関係性が構築されているその場から
家庭から、地域から、遠ざかってしまったのではないでしょうか


 だから、死が必ずあるのに、その存在が希薄となり、でもその重圧感、恐怖感が重くのしかかる。
誰もが死を話題にする事がタブーとなり
そして、命の終わりの死を直接表現せず
時に
『〇ぬ』などと濁らせて表現もされていることもある

でも今世でいただいたこの生命と体が、終了となる
生き抜いた卒業を『〇ぬ』などと
匿名のような表現は私は個人的には、好みません。
それを表現するときは、はっきりと死ぬと表現してもいい。
そこに、命とその命の終わりにおいて、
どちらもかけがえのないもので、尊厳の気持ちを持っていれば。



そして、死を語ること、
死を前向きに、創造的に、
時に、生命の終わりのあとの、命、魂、霊魂とよぶのでしょうか
そちらの次へのつながりとしてとらえること
ともに、皆で話し合うこと、共有すること
それが、
それが、死に対して個々の中で
膨張する恐怖感、不安を減少させ
そして、死を前向きに見据えることとなる
そしてそれがひいては、先に逝った大切な方の命に
思いを馳せ、つながることとなる。
それは、自らの今ある命が、単独でなく
たくさんの命の連鎖から生まれたもので、
そして、かけがえのないものだと認識し
ひいては生きることを愛することにつながるのかもしれません。
だから、みなで、死や生きる、そして生命と命について
いずれ、話し合ったり、思いをはせる場を作れればと。

 ~今日は、先月に参加したワークショップを基盤に
死を見据えること
それも創造的に、楽しく、皆で語る場が
もっともっと増えることを祈って
記事にしました~
今日は夜深くの送信となりますが
あなたの命が、存分に睡眠の中で癒されて
そして、大切な先に逝った霊魂、魂と
お話ができることを祈ります。
そして私も十分に昨日と今を生き抜きました
おやすみなさいませ。~





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