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外側に惑わされないことそれも愛。

 こんにちは
生命の中にある命
そのいのちを生きるそして
生命とは、生きるとは、そして
死とはを考え
今愛する事について考えながら生活してる
とある看護師です。


 愛することは、外側の態度、言動などに惑わされない事
その方の、心の中の本当の想いだったり
心の叫びを、見抜くというかそのサインを見逃さない
その声を聴く作業なのかなと思ったことを
記したいと思います。


 ~私は仕事の中で救急病棟、救急外来で働く中で
必ず遭遇する方がおられます。
自らの命を自らで、絶とうとして、
実際に何らかの行動をしてしまい、緊急搬送される方です。
時には、持っている薬剤を多量内服したり
リストカット(手首を刃物で切っている)の状況
建物の複数階のベランダから転落したり
受傷の理由は様々です。


 その中には、薬の内服を致死量まではいかないが
幾分か量を多く服用して、その身体変化にて
何度も運ばれる方もいます。
そう、精神的な揺らぎ、不安定さの中で
衝動的に、多量に薬を飲んでしまうのです。


 また、精神的な不安定さの中で薬を多量に内服している為
体調が戻るその経過の中で、
その体調が戻り意識がはっきりする経過を自覚する中で
それは喜びでなく、時にその方にとって、
消化しきれない、悲しみ、怒りとなって
『死にたかったのにまたなんで助けたの。。』
『なんで病院なんかにいるのよ。。誰がよんだのよ!』
『帰りたい、もうすぐ帰らして。。』
そのような言動を聴く場面、遭遇する場面が多々あります。


 時折、病院の療養状況がストレスとなり
まだ、『死にたい。。』という想いがよぎり、
離院しようとしたり、
入っている点滴や、尿管の管を自ら抜いてしまう
~そんな状況に
私は看護師という役割のもとに、
対応していかないといけないと思いつつ、
なぜ、こんなことになるんだろう。。と憤りと無力感を
感じることも以前は日常でした。


 看護師同士でも、
その混乱した精神的な不安定さに対応するとき
『またか。。』という空気感が流れる。
そして、
どうしてもその、患者様に対して
表面的なその言動と態度に惑わされる
私達がいる。そして、なんとかならないのかという
話し合いが、患者様への理解、観方が、
表面上のものに惑わされてしまう。

だいぶ昔に、そんな空気を察して
救急科に在中する精神科の先生が一
私達看護師が、患者様の話し合いをしているときに
さらっと言われた忘れられない一言。

『今、困った行動しているあの患者さんも
死にたい!って、点滴の管を抜いてるけど
それは、生きてる表現だから。彼女のね。。
そうするのが今彼女の『生きてる』なんだよね。。
そうすることで自分が生きてることを確認しているのかも。
今彼女が生きていることを表現できるのが
それしか見つからない、できないというところ
そこをわかってよね。。』


 この言葉がわたしのなかになんども反芻して
私はいまも、
その彼ら、彼女らの表面上の態度、言動でなく
その奥にある、生きたいという想い
こんなはずでないという想い
今生きているという表現を
わかろうと、患者様の目の前に立ちます。


看護師として、安全に適切に治療を受けてもらうという
視点で話すと観えなかった、
一人の人間として、その人の奥底を観ようとする態度を
示す中で
時折、ぽつぽつと、
本当の心の奥の声を、時に泣きながら
時に少し、顔の表情を明るくさせる子もいながら
話してくれることもある。


 だから想うのです。
愛することは、外側の言動、態度に惑わされず
その方の
奥底にある想い、希望、よき部分に焦点をあてるように
そこを探し出すように、
その場にたたずみ、態度を示し、言葉を選ぶことだと。

今日は、愛することは生きてる表現なんだよねと私が記した
記事の、一つの動機となった大切な出来事について
記しました。☟そちらの記事はこちら。

https://note.com/toarusekitomo/n/nd61ce0a8248c

私の愛に対する考え方は
いつも周囲にいる皆さん
そして、仕事場にいる患者様とご家族
共に働いてる仲間
そして自分の家族、いまかかわっているすべての皆
その方の皆の繋がりの中で
深められています、明らかに。

今日、愛を深める経過の中で
自らの人生を思いめぐらし
そして、皆のつながりで生かされ
愛を深めようとすることができていることに
感謝して。。
本当にありがとう。そして、皆大好きです。

~きょうも皆さんが大切な人とのつながりの中で
大切な愛を深めていることを
生き抜いていることを祈って
よき午後をお過ごしください~


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