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愛するの始まりを思い出し生き抜く。

こんばんわ。
生命という器の中に命があること、
その命を生きる事、死ぬ事、命とは、生命とはを
考え生き抜いているとある看護師です。


 命を生き抜くうえで、
大切なこととして愛することをあげて、
考えています。
愛するとはどういうことなのか
本当の愛とはなんなのか。そこについて
考えるようになった経緯。
それは、中学のときの『好き』の
気持ちから、それが『それでも好き』に
変わったときからでした。


 そのときのすきだった人は
同級生なのですが、
頭の回転が速く、運動もできて
野球部の、性格もきわめて明るい皆に好かれる
そんな子でした。
そして学級委員のリーダーだった。
隣の席になり、一緒に、受験対策の勉強をしたり
する中で、好きだなと思うようになった。


そのとき
クラスの女子の間で
いじめがあり、私と仲がよかった友人が
なぜか、女子の間で、無視されたり
話をしてもらえなくなった。
その中で、男子もそれに加担するようになり、
その、私が好きになった彼も、女子のリーダー格の
いじめをする子に加担するように、
確か、けしかけたり、同じような避けたりする行動を
するようになったのでした。
私はその、いじめられた友達のところにずっといた。
そして、皆が、私からももちろん離れていった。


 そのときに、すごく失望したのでした。
その時の、言われた彼の言葉。
『だーれも、話す人いなくなったな』
ほぼ、小競り合いするような喧嘩になっていた。

そして負けず嫌いの私は、かなわないと思っていた
勉強を頑張るのでした。(それでも数学で負けるのですが)


勿論、
『すき』の気持ちは急低下。大嫌いに変わったはずです。
敵対心をあらわにして
その気持ちをばねにして、いろんなことを
おかげで頑張れました(今となっては、そんな記憶です)
それでも、やはり
好きな気持ちはかわらなかった。

この好きだけど幻滅して大嫌いなのに
それでも好きな自分。
『なぜ!?』となり
自分の
『好き』の不安定さと、これは何なのかと
想ったことがあった。


また同時進行で、そのクラスの中での
女子間のいじめの中で
そのいじめられた
友人との関係性をそのまま変えなかったこと。
その子をかばったこと、
その中で自分の『好き』を押し通したこと


 このころ好きという気持ちを大事にしたいと
思っていて、
だからこそ、本当に好きになるとは
どういうことなのか
恋愛でも友人でも、私なりに葛藤して

そしてこの葛藤が最初に
『ほんとに人をすきになったときが、もしや
愛するということなのでは?』

と考えだしたときでした。


そんな15歳の自分に今、返すとしたら、
~本当に人を好きになるとは
 自分で決めて
 その人のいろんな面を受け入れ
 それでも好きなこと~
だからあなたのそのスキはそれはそれで
本当だったと
返したいです。

そしてそれは愛することにつながっていき、
どんなときも、味方でいること
でも味方でいるからこそ、違和感は
しっかりと伝える事
そんな中で、一緒に時間を共にすると決める事
そして一緒に命を生きる事
それが愛なんだなと思ったりした夜です。~

今日は、私の、
愛を考える発露、きっかけについて
だいぶ昔のことを思い出し
かきました。
めちゃくちゃ書いていて
懐かしく今となってはいい思い出です。
あのときも幸せで
今も幸せなことに感謝してます。

~今日も私が命を生き抜き
このnoteを読んでくれる皆様も
命を生き抜いたことに感謝します
ありがとうそしておやすみなさい~

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