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共に命の終わりに寄り添うこと

人が死ぬときを共にする

救急外来では、どうしても遭遇する事例がある。
救急車で到着時、もしくは搬送時に心肺停止。(有効な心拍がない、
もしくは得られていないと考えられる状況)
蘇生(心臓マッサージ、すべき処置)を実施するがそれでも、
どうしても、難しいこと、その命が終わり、その人のここでの
人生が卒業する事がある。

つまり、そこで看護師は、本当に初めて会う
その今までの人生も生き方もわからない中で
その人の命の終わり、最後の時を共にする。
時にその患者様おひとりで
または、患者様の大切な家族の方々などの人々と共に。

次の救急車もすぐに来るし、時間はかぎられている。
その中でできることを実施する。
葛藤と緊張、そして、あふれる、くやしさ、悲しさ、なんともいえない
感情が走る。

そしていつも自問自答する
その時私が対応したことは残された皆様の気持ちに添えるものであったか。
その亡くなった方の気持ちに添えるものだったか。
その方ともその付き添われた家族の方々ともお会いする機会がない。
それはいくら自問自答しても正解はない。
でもそこに、かすかなヒントをもらったことがあった。


忘れられない申し送り

もうだいぶ前の申し送り。その時期は、必ず朝、スタッフが輪になって
テーブルを囲み、患者概要と、師長からの連絡事項を皆で共有していた。
そのとき最後に師長からこのような言葉があった。
いつもの申し送りと同じ口調で。業務連絡のように当たり前のこととして。

「先月初療で心肺停止で死亡されたA様のご家族から、お礼のお手紙と
そしてこちら菓子折りを頂きました。
初療室で来たときはもう、心肺停止しており、入室はしなかったけど、
その時の、看護師さんへどうしてもお礼をと。
みなさんへ伝えてほしいとのことなんで、私から、お伝えしました。
以上です。」

私の中の忘れられない言葉より

その場にいた私は、朝から!?であった。
初療(救急外来)で、心肺停止になった家族からお礼がくる?なんで?
その手紙の文面を昼休みに食い入るように見たことを覚えている。
内容は
・一緒に最後に顔を拭いて、口紅を塗らしてもらったこと
・最後の着替えをしてもらい娘の顔をみたとき、本当にきれいにしてもらったこと
・そのとき一緒に顔を拭いて、口紅を塗らしてくれた看護師さんへの感謝


その看護師さんは、そのとき、救急で働きぬき災害派遣にいくような人。
その時の私からすれば、雲の上の存在に感じていた人だった。
私は、今でもその人の背中を追っている。
人が死ぬ、人がその人生を卒業する瞬間とそのお見送りの時間を
どう共にするか正解はないけど、
共に、寄り添う、わかろうとすることは私にもできる。


そして今、処置の甲斐なく、初療室で、病棟でお亡くなりになった方へ
お顔を拭き、身を整えさせていただくとき、私は自然に声をかける。
その亡くなられた方へ。
聞こえているか聞こえていないかが問題ではなく、そうしたいから。
「お体拭きますね。」
「枕いれますね。」
「ご家族にお会いしましょうね。」
そこに正解も、不正解もない。ただ、時間を共にしていきたい。
そうすることで、医療者である前に、自分も同じ死に向かっている
人間であるということを、自分で律している、再認識しているのかも
しれません。
うまく言い表せませんが、時間を共にさせてもらう努力をしたい
寄り添いたいと思っています。






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