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三谷幸喜さんのインタビュー記事を読んで(みんなの介護・賢人論より)。

今日はいろいろしんどかったので、元気になりたいと思って”みんなの介護”の”賢人論。”を久しぶりに開きました。

この賢人論のコーナーは、いろいろな著名人の対話形式で介護や医療に関わるような内容ですので、勉強にもなるし元気ももらえたりするのでお勧めです。

三谷幸喜「作品を通して誰かを感動させたいと思ったことはない」|賢人論。|みんなの介護 (minnanokaigo.com)

やっぱりこの人は面白いなぁ、と思いながら共感する内容が多かったのでシェアしたいなと思います。

『今日見た芝居のことは忘れて、幸せな気持ちだけが残っている…これが自分にとって理想の喜劇だ、と伊東四朗さんがおっしゃっていて。僕も同じ思いなんです。』
この感覚ってなんだか素敵だな、と思いました。
ケアもこういうレベルで提供できればもっといいケアに繋がっていくんではないかと思いました。

『本当は、最後に感動を演出しなくても面白いものがつくれるはずなんです。僕が未熟なだけです。早くそんな作品がつくりたい。』
ここまで言えるほど演出を追求してきたんだなぁ、すごいなぁと思いました。僕も日々精進して自分なりの道を追求していきたいと思いました、どこまでたどり着けるかは、日々の一歩一歩の積み重ねで、その小さな一歩を大切にするか適当にするかで大きな違いになるんだろうなぁ・・・って漠然と感じました。

『こういった言葉と裏腹な人間の心理は人間が本来みんな持っているものであって、僕はそういうセリフを書きたいんです。』
これって凄い事だと思うんです。
僕ら一般の視聴者って、たぶん分かりやすいセリフとかを自然に求めてしまっているように思いますが、たまに深いセリフとかに出会うとすごく感動したり影響を受けたりするんですよね。
そういう言葉と心のズレをセリフや演技で表現する、すごく難しい事に挑戦しているんだなぁと思うし、そうであるからこそ、これだけ多くの人に評価される作品を生み出せるんだろうと思います。
本人がそこで満足していない点もとても重要な要素だと思いました。
苦労や苦悩の中でなんとか仕上げた作品だからこそ他人に影響を与える。

であれば、僕も日々の仕事のなかで苦労や苦悩を重ねた上の言葉でもって伝えないと、なかなか他人の心を動かすような言葉は出てこないんだろうなぁと思いました。
職員指導や育成を長く経験してきたので、自分の中で使い回しになっているキーワードがいくつかあります。いろいろ悩んだ上で出てきた言葉たちですが、今はさらっと言葉にしています。
ひとつひとつの言葉を僕自身がアップグレードしていかないとだめなんじゃないかと思い至りました。まだまだ頑張らないな、と思いました。

『手術の後しばらくは尿漏れするのでオムツをすることになりました。そんな経験初めてでした。「僕はこれからオムツして稽古に行かなきゃいけないのか」と自尊心が傷つき、憂鬱でしたね。』
『「今僕はオムツをしているんだ、誰かに気づかれるんじゃないか」と思うと、それも怖い。また、それ以前に尿漏れしてしまうことのふがいなさに落ち込みました。』
そうなんですよ、オムツの経験は本当に恥ずかしいしプライドが傷つきます。情けなくて憂鬱で・・・。だから介護職は簡単にオムツだから大丈夫とか、オムツにしたらいいとか、そういう感覚の麻痺を起こさないようにしてほしいと思っています。

すでに業界全体が麻痺していて、トイレに失敗したらオムツが当たり前、なのかもしれませんが、そうであっても本人がどんな思いでオムツを着用しているのかは思いを馳せてほしいと思いました。

今日、自宅では寝たきりでオムツの中で排泄される方が来所され、ほぼ車いすに座って、あちこち移動されて過ごされている利用者さんがいるのですが、どうもトイレに興味をもっているような感じがしたので、トイレのドアを開けて差し上げると、スイスイっと入っていくんです。
トイレに座りたそうな素振りが出たので、すぐに移乗介助を行って座ってもらいました。
しばらく考え事などされているような感じでしたが、トイレで排尿する事ができました。
本人はとても嬉しそうで『ありがとう』と聞き取りにくいですが言っていただけました。
普段は一通り車いすで動き疲れたら『帰る』といって玄関の方に行かれるのですが、今日はそういう事もあってか比較的落ち着かれていました。

今日の出来事と三谷幸喜さんの記事がなんとなくマッチした感じで、元気ももらえてうれしい気持ちになれました。


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