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戦中戦後のお話を聞かせてもらって思う。

先日、とある利用者さんのお風呂掃除後に少し雑談(雑談しながら日中の生活の事とか不調がないか困りごとがないかをさり気なく聞き出す感じ)をしていた時に、唐突に戦中戦後の身の上話を聞かせてもらう事ができました。

この方、戦時中は小学生で空襲警報が鳴るとまだ幼い妹さんを抱きかかえて防空壕に避難されていたそうで、ご両親が手一杯で出来ない事を必死で手伝っておられたそうです。

小学生の頃に空から爆弾が落ちてくる、命の危険と隣り合わせ。
本当に過酷な時代だと思いました。

その後、疎開先で戦後の生活を送られたそうで、小学校では進駐軍のトラックやジープの数を数えたり、その数で足し算引き算をしたり、というエピソードを聞かせてもらえました。

映画やドラマでよく見る『ギブミーチョコレート』も実際にアメリカの兵隊さんに言ったそうです。
兵隊さんは、アメなどのお菓子を投げてよこしてくれたそう。

大人からギブミーシガレットって言ってくれと頼まれて言ったそうで、たばこを投げてよこしたくれた話もありました。

戦後は物資も食べ物もなくて物々交換だった事や、寝泊まりする所もなくてゴザの上で寝た話なども聞かせてもらえました。

現在は、立って歯磨きとかするだけで疲れて動けなくなる、というくらい体力が衰えてしまって、なかなか出来ないお風呂掃除を僕らヘルパーがお手伝いする支援ですが、そこまで体力が低下しても休み休みお買い物に行かれたり、掃除機もかけれる範囲で頑張ってかけておられる生活をされています。

どんどん衰えてしまう年代ですので、どこまで今の生活が継続できるかは不透明なのですが、少しでもご本人が満足できる在宅支援が継続できるようにお手伝いさせてもらいたいな、と改めて思ったのと、改めてこういう戦中戦後という困難な時代を乗り越えてこられてきた世代のお年寄りを経済や財源を理由にお荷物のような扱いをするのは本当に間違っていると思いました。

戦争に翻弄された責任は国民には一切ないはずです。
そういう困難な生活を強いたのは国の責任ですし、そういう生活で人生の一番大事な時期に大変な重いをさせてきた方々に対して、ようやく手に入れた老後の平和な生活までとやかく言われる必要はないと思います。
当然、国は国の責任でそういう生活を強いてしまった国民に対して基本的人権を守らなければならないのは当然ですし、憲法にも明記されています。

最近、若い世代と高齢者の対立をあおるような事をよく見聞きするのですが、見誤ってはいけないのが、こういう民衆の間で分断をつくって対立構造をつくるのは権力者・支配層の常とう手段であるという事です。

分断統治(分割統治)とは

支配階層が統治し易くするため、支配される側の結束を分断して、反乱を未然に防ぐための統治法です。

支配階層は、まず支配される側を一級市民と二級市民に分けて扱いに差をつけます。また同時に一級市民にはある程度の特権を与えます。
すると一級市民は生活に不満があっても、二級市民を見下すことで不満を解消します。「自分はあいつらよりもまだマシだ」と多少の不遇は我慢するようになるのです。
一方、二級市民は支配層ではなく一級市民を敵視するようになります。また二級市民は一級市民に比べて人数を少なく設定されていることが多く体制に抵抗する社会的な力が弱いことが多いです。

分断統治は、支配される側の人々を互いに争わせ、支配階層に対する批判の矛先を逸らすことができる方法なのです。

歴史をみると、古代ローマ帝国は、支配下に治めた都市相互の連帯を禁じ、都市ごとに処遇に格差をつける分割統治によって、征服した都市からの反乱を抑えることに成功しました。
欧米の19世紀以降の植民地経営では、イギリスがインドで、人種・宗教・地域の差異で分割した集団を互いに反目させることで長期の統治に成功しました。
国内の例としては徳川幕府による士農工商制度、およびエタヒニン等と呼ばれる階級制があげられます。

分断統治は、差別意識や優越意識を利用して人を支配する歴史的に実績のある方法なのです。

参考:
分割統治|wikipedia
権力闘争-分断して統治せよ – 論理的思考力と議論

派遣社員NEWS

問題の本質を見誤ると統治者にいいように利用されてきたのが歴史の常です。歴史は繰り返しながら少しずつ人類にとって良い方向に向かっていると思っています。それは単に経済がどうとかそういう事ではなくて、人が人として人間らしい部分での成長ができていく事だと思っていますので、そういう意味でも今の日本はいろんな意味での転換期なのかもしれません。

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