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もっと早く産まれたかった~3.31とフジテレビ~

年度末となると数々の番組が終わってしまいます
その番組をしていた期間が長かろうが短ろうが悲しい人は悲しく思います
さらに言えば見ていた期間が長かろうが短ろうが悲しく思う人がいます
逆を言えば見たことない人は悲しくとも何ともないんでしょう
でも本当に一度も見たことない人ってこれから出てくる3番組においてはいないと思っています
だから終わる時に1㎜も悲しいと思わなかった人って赤ちゃん以外で日本中に絶対いないと思っています、それくらいの番組です

3月31日はフジテレビを語る上では当然避けられない番組が3つも終わった、最終回を迎えた日になります
「笑っていいとも!」(2014)「ライオンのごきげんよう」(2016)「めちゃ×2イケてるッ!」(2018)の3番組です
その当時しっかり見ていた記憶のあるのは「ライオンのごきげんよう」だけ(しかも学校が休みの時くらい)ですが、今となっては番組の全盛期ではなくても何かしらの方法で見ておくべきだったと後悔しています

ここからは軽く、しかも誰よりも浅い"私と3番組の交わり"を紹介します
(<テレビに関する記憶が2011年以前になるとEテレ(教育テレビ)関連以外は全くない>というのを頭に入れて読んでください)

①笑っていいとも!(番組終了時 8歳)

2011年の27時間テレビ内の増刊号生SPはしっかりと覚えています
アナログ放送からデジタル放送に変わるのでテレビが砂嵐になってしまうと、まだ幼かった私はソワソワしていましたw(結局デジアナテレビだったのでならなかった)
しかし、その他の思い出が本当にないのです
というのも親がヒルナンデスを好んで見ていたことで、ほとんど見ていないはず…
自分は絶対にいいともの方がよかった、なのにチャンネルを変えるなどせず大人しく見ていた…のか?
当時は親の存在に怯えて、チャンネルを変えなかったのでしょうか?
当時の自分に聞いてみたいものです
今からすれば番組の「末期」にあたる部分でしたが、伝説的番組の1つであることは間違いないのに
うーんもったいないなあ

②めちゃ×2イケてるッ!(番組終了時 12歳)

うーん…
これもそれなりにしか見てない&覚えてない
皆で「タッタダンス」をしたり、オカザイルをやったり、次世代キレ芸オーディションしたり…とかはかろうじて覚えている
自分が大きくなるにつれてこんなに面白そうな番組があったのかと思い、これもまた後悔
もう少し大きくなったら面白いと思えたものが多かったのかな…とも思うけれど

次のは思い入れがこれまでと違って強い

③ライオンのごきげんよう(番組終了時 10歳)

これはもう見れる時はほとんど見てました
サイコロを転がして出た目に合ったトークをするという、わりかしシンプルだけど大きな特徴を持った番組
「ちょっとした仕掛け」「一工夫」のある番組が好きになったのはこの番組のおかげなのかも
バザーで売ってた"ライオンのごきげんよう風サイコロ"(ちゃんとしてるけど公式のではないらしい)を転がして「何が出る 何が出るかな♪」をめちゃくちゃ真似しました、そして極めましたw
それが面白くて見ていただけでトークはそんなに集中して見てなかったはず
最終回の時は母&友人&友人の母でランチに行くことになっていたので録画をして行きましたが、1時くらいにどうしてもリアルタイムで見たくなって、自転車で立ちこぎして家に帰った記憶があります
放送中、かじるようにテレビを見ていました
そして番組が完全に終わった時、味わったことのない失望感を味わいました
これが忘れられません
サイコロを楽しみにしていただけのはずがなんでこんなに…と思わなくはなかったですがね


といった感じです
結局言いたかったのはタイトルにあるように「もっと早く産まれたかった」ということです
ギリギリテレビが面白いと言われてた時代を少しかじっただけなのが悔しいのです
ただ令和には令和らしいテレビがありますし、現に面白いし続いてほしいと思っている番組があるので、その番組が「なくなって悲しい」と心の底から思えるように、愛を込めて毎回見たいという思いが改めて強くなりました



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