12.心が回復することへの恐怖

 校正のため過去の自分のnote記事を読んでいて、あまり共感できないと感じた。慢性的につらかったころの記事だ。
 下書きの時点ではどこかしら流れや文章がおかしいので、ちゃんと書き直さなければならない。でも当時の気持ちを思い出せない。まるでもう他人のようだ。
 だから校正後の言い回しが、どの程度当時の自分が言いたかったことを表現できているのか分からない。確認のしようがない。たしかに私自身が持っていた感情のはずなのに

 これが怖い。心が治るのが嫌になる。
 私は本当に私ですか?
 この恐怖すらもいつか消えるのだろう。

 noteに限らず思うところがある。特に創作をしたいと思うと、心が治るのが嫌になる。

 私は精神的症状が出始めたころ、小説を書いていた。毎日執筆してネットに投稿していて、10万字超えのそれなりに大作になった。
 その後、色々とつらくなってもう何年も続きを書いていない。未練はずっとあって、できることならいつか元気が出たら完結させたいと思っている。
 でも、多分無理だ。正確には、続きを書くことができたとしてもそれは数年前の「私」が命を削って書いていた物語とはまったくの別物になる。書いているのは同じ人間なのに。
 当時小説にぶつけていた憎しみのような負の感情を、回復してしまったらもう持つことができない。でもまた希死念慮等の苦しみが復活するのは嫌だ。
 たとえ別物になっても、続きを書いて完結させることに意味はあるだろうか。特別ファンがついているでもないだろうに、わざわざ時間を使う意義はあるのだろうか。私には分からない。

 創作に必要な負のエネルギーが、メンタルの回復とともに失われていくのを感じる。怖い。私は何も生み出せなくなるのだろうか。……いや、別に創作を仕事にしたいわけではないんだけどさ。
 創作になんて関心を持たなければ幸せだった。それなら、何の躊躇もなく回復に専念できただろうに。
 私はどちらかと言えばダークな作風が好きだ。私もそういうものを生み出したかった。でも、メンタルの回復とともにそこからどんどん離れている。ダークな作品を見る度に、「ここまでの闇を今の私は抱けるだろうか」と考えてしまう。きっといつかその返答は完全なるNOになって、創作に関心すら抱かなくなるのだろう。怖い。

 「いつか気持ちは回復する。ならば今の葛藤は今しか残せない」という感覚は、多分中学くらいからずっとあった。だからこそ10年以上日記を書いたり、絵を書いたりしてきた。今の自分がどこにも記録されず消えていくことに恐怖があった。
 数ヶ月前の私の葛藤を、まだnoteに書ききれていない。数年前の葛藤を、まだ小説にぶつけきれていない。メンタルの回復はもう少し待ってほしい。もう少しゆっくり回復してはくれないか。「私」が記録されずに消えていく。
 もちろんメンタルの不調は本当に苦しくて、比喩じゃなく死んでしまいそうになるので早く治るに越したことはないとも思うのだけど。同時に治るのが怖いのだ。自分が失われていく。助けて。

 一度回復しても、またいつかメンタルはどん底に落ちてくれるだろうか。
 そんなことを期待するなんてどうかしている。きっと本当の地獄をみたことがないからだ。でもそれならそれで、いつか本当の地獄を見て、地獄の中で作品を生み出したいとすら思う。どうせ地獄の苦しみに耐えることもできず動けないで終わるくせに。

 どうしたらいいものか。もっと呼吸をするように命を削って作品を生み出したい。でも苦しみからは抜け出したい。でもでも苦しみをいつでも鮮明に書き表せる状態でありたい。
 過去の自分が消え去っていくことが怖い。寝る前のベッドの中で、急に恐怖に襲われるのだ。自分を失いたくない。
 「私」のまま回復させてください、どうか。

2024/03/16

2024/04/03追記
 今回校正していて、あまり共感ができなかった。「当時の気持ちを思い出せない。まるでもう他人のようだ。」という状態に今回もまた陥っている。
 「この恐怖すらもいつか消えるのだろう。」と記事中に書いていたが、ご明察。もはや恐怖もない。
 ゆっくり回復してほしいという願いも、「私」のまま回復したいという想いも、どうやら叶わなかったらしい。悲しいな。
 今の回復しかけている自分にも何か生み出せるモノはあるだろうか。創作への関心はまだある。唯一の救いであり、苦しみでもある。

 ここまでお読みいただきありがとうございました。


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