見出し画像

そして誰も来なくなった File 8

「これもいい、これもOK…」

梶原美里は、身に着けていたものを順番にドアの隙間に投げてみて、どれがレーザーのセンサーに引っかからないかを実験していた。袖ボタン、ポケットティッシュ、スニーカー、ピアス、ヘアゴム。今のところ、すべてセンサーをスルーしてドアの向こう側へ通過できている。

あのハムスターが通り抜けられたのだから、小さいものなら可能なのかと始めは疑ったが、今藤はじめの招待状を投げたときに瞬く間に閃光が走ったので、センサーが反応する仕組みを理解しかねていた。ピアスが通るのだから、金属でもいいということになる。通過する物の色が関係しているのかと思ってみたが、これまでの品物は青、白、薄グレー、金、茶色といったような具合なので、何色であったとしてもよいということだろう。

三十分間の実験で得られたことは、基本的に隙間さえ通り抜けられればOKだという、当たり前といえば当たり前の事実だった。ではなぜ、美里本人や今藤の招待状だとレーザーに打たれなければならないのかが、最大の疑問であった。物を投げ続けて疲労した右腕をだらんと伸ばして、暗い天井を見上げた。

ダイニングで意識を失ってからどれだけ気絶していたか分からないが、現在は眠たくはないので相当な時間を寝て過ごしていたのか。その間、飛鳥や他の人々がどんな風に美里について考えていたか、想像するだけでぞっとした。状況からして、美里こそ今藤を殺した犯人に違いないと誰かが決めつけたに違いない。飛鳥はそのとき何と言ってくれたのだろうか。私を庇ってくれたのだろうか。それとも実証主義的な彼のことだから、偉そうに「データが集まるまでは結論を申し上げられません」とでも言ってごまかしたのだろうか。

しかし、美里は自身の立場が危ういのにも関わらず、スリリングな気持ちを愉しんでいるところさえあった。きっと幼少期からファンタジーやアクション映画に親しんできたせいだろう。一生に一度くらいは、自らの命を危険に晒すくらいの冒険がしてみたかったのだ。空想の世界に閉じ込められた幼い夢を図らずも大学生になって叶ったのだから、たとえ死んでしまったとしても悔いはないと腹を括った。

「私って、強い女!」

ふざけて出した大きな喚声は、虚しく天井に吸い込まれていった。途端に不安が押し寄せてきて、彼女は自分の二本の腕で上半身を抱きしめた。身体がどうしようもなく震えてきた。

そのときだった。

「ええ、貴女は強い女よ」

驚いて身を起こすと、壁の一部が横にスライドして空間が現れ、一人の女性がこちらへ近づいてくる。

「あ、貴女は、確か…。マーガレットさん?」

女性はフフフと妖艶な笑みを漏らした。

「私の名前を覚えてくれてありがとう」

「どうして、ここへ…? まさか、貴女がノイ・テーラー?」

驚愕と恐怖で身動きが取れない美里を追い詰めるかのように、ゆっくりゆっくりとマーガレットは距離を縮めてくる。美里は反射的に、自分の招待状を投げつけようと身構えた。

「無駄な足掻きは止めなさい。いいことはないわ」

「止めないわ…。私はここで終われないもの…!」

「あら。飛鳥くんのことが気になっているの?」

美里は顔を赤らめた。腕に熱い血が走る。

「当たり前です…! 彼は幼馴染なんですから」

マーガレットは意地悪な表情をして手のひらを口元へ当てた。

「ごめんなさいね。実は、彼も私のことを気に入ってくれたみたいで嬉しいわ。昨晩、私の部屋に招待したの」

美里は絶句した。

「そんな、飛鳥が!?」

美里は感情の抑制ができずに言葉が乱れた。もはや目の前の女性がノイ・テーラーであるかどうかはどうでもよくなった。

「許さない…!」

マーガレットは、そんな美里を可笑しそうに見ている。とうとう美里の堪忍袋の緒が切れた。

「これでも…」

勢いよく投げられた招待状は、素早いスピンをかけながらマーガレットの顔面を目がけて飛んでいった。招待状はほんのわずかに美白の頬を掠めたきり、遥か後方の壁に衝突して落ちた。

「まだ…!」

美里が膝をばねにして立ち上がり、出血した腕を庇いながらマーガレットを睨んだ。眼の色が憎悪に燃えている。彼女の前に、濃い黒色の影がはっきりと伸びた。

「私は…!」

そのとき、マーガレットは手を伸ばして静かに言った。

「喧嘩はここまでにしましょう。私もふざけ過ぎたわね。ほら、後ろをご覧なさい」

美里の怒りはまだ収まらなかったが、背中から冷たい新鮮な空気が吹き込んでいることにようやく気付いた。辺りが暗いのに、影が差すはずがない。驚いて美里は後ろを振り返った。

「扉が、開いている?」

目の前の光景が信じられなかった。あれほど通過に苦慮していた扉が難なく開いている。二人の人間が余裕をもって通れるほどのスペースだ。マーガレットは美里の肩を撫でた。

「怖かったわね。もう大丈夫よ」

有無を言わさず華奢な身体を抱きしめるマーガレットに、はじめ美里は抵抗したが、すぐにそれが母親にされているかのような温かさを感じて、腰の力が抜けてしまった。しばらく、美里はマーガレットの胸に身を任せて泣いた。

十分ほどした後には、マーガレットの口からここへ来た経緯すべてを聴いた。マーガレットの語る真実は信じられないものだったけれど、腑に落ちる部分がたくさんあり、特に飛鳥に伝えなければならないこともはっきりして、美里は膨らんだ泣き顔を手で擦った。

「私も探偵している割に頭が悪くて。彼と話してやっとわかったんだけどね」

マーガレットは恥ずかしそうに言った。そして思い出すように付け加える。

「そうそう、彼を部屋に呼んだのは本当だけど、純粋に彼に事件の真相を暴いてほしかっただけよ。アヤシイ真似はしていないわ」

「本当ですよね? まだ私は疑ってますよ! よしてくださいよ…」

マーガレットがここへ来た方法や理由よりも、そちらの方に気を取られている美里に、益々マーガレットは笑った。

「今度は貴女の方から話して頂戴。できるだけ手短にね」

美里もようやく、自身の記憶を正当に話すべき機会がきたと感じた。彼女はダイニングで停電になったとき、近くで今藤はじめが突然斃れたこと、自分が疑われると焦ってテレビ台に移動させたこと、一瞬だけ光が見えたこと、その瞬間には意識を失ったことなどを包み隠さず話した。マーガレットは顎に手を当てて相槌を打ちながら聴いていた。

「なるほど。じゃあ、貴女は故意にノイ・テーラーによって連れ込まれたわけね」

「そうです。悔しいですが。ノイ・テーラーはなぜ、こんな手の込んだ真似を?」

マーガレットは眉間に皴を寄せて呟いた。

「そうね…。本人に訊いてみるのが一番かもしれない」

「ノイ・テーラーは誰か、分かるんですか?」

「目星をつけているけれど、確証がないわ。飛鳥くんが、事件解決のキーパーソンになりそうね」

美里は自信たっぷりに言った。

「はい! そんな気がします! あいつはそんな人ですから!」

「信頼しているのね。彼を」

羨ましそうにマーガレットは言った。

「じゃあ、行きましょうか。真実が待つ世界へ」

二人は立ち上がった。

                            (つづく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?