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「義血侠血」「夜行巡査」「外科室」と、シチュエーションの造り方について。

こんばんは、小清水志織です。
物語の構造のひとつに「二項対立」というものがあります。性質の異なるふたつの概念が摩擦や葛藤を生み出し、そこから新しい知見(砕けた言い方をするなら「第三の道」とか「中立の視点」とか)を読者に呈示する。とても難しい命題ではありますが、仮に作者がうまくまとめることができれば、自然と「いい感じの文章」ができあがる、それが二項対立を取り上げるひとつのメリットだと思います。

「いい感じの文章」なんて、ざっくばらんな書き方をしてしまいましたが、それには理由があります。私も経験があるのですが、「いい感じの文章」であることを狙いすぎると、かえって小説の設定やシナリオがぎこちなくなってしまい、肝心の文章の中身が薄くなって、結局は上手く書けないで失敗するのです。上手い小説を書いてやろうと熱心に取り組む人ほど、この落とし穴に嵌まりやすいのだろう……と想像しています(すべての方がそうだとは言いませんが)。

そのためか、泉鏡花の三作品「義血侠血」「夜行巡査」「外科室」は、テーマやメッセージとしては大変おもしろく読ませて頂きましたが、正直あまりにも「話が出来すぎているような……(^_^;)」とも感じてしまいました。

「義血侠血」では検事、「夜行巡査」では警察、「外科室」では医師という様に、当時の知識階級、国家の体制側に属している身分の人々が登場します。そして、彼らが国家的な道徳を超えたところにある私的な感情と向き合わざるを得なくなったとき、物語は大きく展開していくのです。
公と私、倫理と道徳、そして生と死の対立がくっきりと表現された世界に、鏡花特有の粋な文体と相まって、強烈な印象を読む側に与えてくれる。そんな力を感じました。

しかし、前述の通り二項対立の要素が色濃く出ているために、キャラクターの人格が極端に偏っていたり、結末があまりに過酷だったりするのは、どう評価すればいいのか迷ってしまいました。

たまたま「観念小説」なる言葉を知ってネットで調べたところ、私と同じような感覚でこれらに言及しているものを見つけました。物語のテーマやシチュエーションとしてはおもしろいのだけど、もう少し現実に即したシナリオやキャラクター造形の方が、私は好きだなと思ってしまったのです。

もちろん、鏡花の文章が優れた言葉たちで構成されているのは言うまでもなく、この後「高野聖」などの幻想小説を世に送り出すことを考えると、観念小説で脚光を浴びて文壇に登場したことは充分な意味をもつのだろうと思います。一時期、作品に高い評価を受けても其処にとどまらず、作風を変化させていったことが素晴らしいと思うのです。

著作に並んでいた「化鳥」や「婦系図」も読んでみたいですね。同じ三文豪の秋聲や犀星の作品だって気になりつづけています。こうやって、私の「脳内積ん読リスト」が無限に増殖していくのです。いつになれば私は満足できるのでしょうか(笑)

今回は予想に反して、いつものように作品をベタ褒めすることはできませんでしたが(^_^;)、作品のシチュエーションの造り方、鏡花作品の良さを改めて感じることができました。最後までご覧くださり、ありがとうございます。

それでは、今日はここまで。皆さんにも、良い作品との出会いがありますように。

また来週、お会いしましょう。

鑑賞作品
「義血侠血」「夜行巡査」「外科室」
(種村季弘編『泉鏡花集成1』所収、筑摩書房、1996年)


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