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【最終回】18. 蒼生のレファレンス

目が覚めてしまえば、あっけないほど世界は平和だった。
分天の祭りエクイノックスで多大な犠牲者が出たことも、喫茶店《ウラヌス》で激戦が行われたことも、まるで一夜の夢だったかのような、ふわふわとした落ち着かない感覚。

それでも、都市庁による規制の張られた《ウラヌス》の焼け跡で独り、美しい花の束を手向けるエレナの手には、生々しい傷痕が浮き上がっていた。静かに両手を胸の前で組み、死者の冥福を祈る。

すると、後ろから間の抜けた話し声が聞こえ、声の主は彼女に近づいてきた。エレナはわざと、冗談めかして言った。

「あら。ちゃんと都市庁の許可は取ったのかしら? それとも、また暴力的な手段を使ったとか」

「相変わらず口が悪いな。人がせっかく見舞いに来てやったのに、病室にはいないわ、本人は規制区域の現場に行ったわじゃ、途方に暮れちまうじゃないか」

「見舞いに来てなんて、頼んでない」

エレナはスカートの土を払うと、さっさと男――エルクルド・エーフォイの横を通り過ぎて坂を下った。

「あんたの怪我の具合は?」

「ご覧のとおり、全治三か月の重傷さ。しばらくはギプスが外せそうもないぜ」

腕に銃弾が貫通し、アルファルド・モーンから容赦ない打撃が加えられたというのに、よく気絶しなかったとエレナは変なところで感心していた。きっと根本的に身体の造りが一般人とちがうのだ。もしかしたらサイボーグかもしれない。

「俺をサイボーグだと思ってないか」

「別に」

エレナはそっけなく視線を逸らした。視線の先には、抜け出してきた病室の建物がある。不安げに揺れる彼女のエメラルドの瞳を見ながら、エルは淡々と言った。

「お祖父さん……館長さんは、まだ療養が必要だって聞いた」

意識を取り戻さないハマル神父について、彼女に同情してくれているのか、単なる事実を述べているだけなのか、やはりこの男は掴みどころがない。

「そうね。でも、ピーコック先生はきっと回復すると言っていたわ。他にもいろいろなことを――あなたの昔話もふくめて、いろいろと、ね」

エルは観念したように肩をすくめる。

「雷撃隊のこともか」

エルの言葉は、無言で歩く彼女の背中によって肯定された。

「俺が知ってるのは全体のごく一部だが」

そう断ってから、エルは語りだした。

「もともと、ユーリア人は夜空に浮かぶルーレタの動きを読みとり、未来を予報する技術をもっていた。未来予報といっても、魔法のような類じゃない。雨季の到来、春分秋分の日取り、旱魃の危機……。農耕民の暮らしに根差した、生活の知恵とも呼べる技術だった。それがいつしか、隣国との生存競争に巻き込まれる過程で、神秘的な《ちから》として注目されるようになった。その行き着く先が、二十年戦争への利用だった」

ルーレタを読む技術は、神にも等しい技術として隣国の為政者たちに注目された。当のユーリア人たちも技術の深化・体系化をこころみ、現在ではあらゆる時間と空間を恣意的に操作できる領域にまで到達させた。

記号伝達マーク・トランスミッション。あれは単なる言語という範疇を超えた、ユーリア人固有の技術そのものだったわけね」

「そう。《ヘデラ・ヘリックス》は、数ある記号伝達マーク・トランスミッションのなかで最も簡便に時空間を操作できるもののひとつだ。戦争が激化するなか、《ヘデラ・ヘリックス》が軍事利用されるのは時間の問題だった……悔しいがな」

はじめ《ヘデラ・ヘリックス》を利用していたザクセン朝も。
ユーリア人を自陣に引き込もうと画策したガリシア帝国も。
ザクセン朝を裏切り、帝国側についたユーリア人の首長たちも。
結局のところ、自分たちの利害で動いている事実に変わりはない。

そして、為政者たちのご都合主義のしわ寄せは、必ず弱い立場の者に押し寄せる。
ガリシア帝国がユーリア人に命じたのは、より有効に《ヘデラ・ヘリックス》を戦闘へ導入することだった。
その実証実験のため組織されたのが、エルの所属した「雷撃隊」――。

エルはそこまで考えて、吐き気を催した。思い出したくない自分の過去と向き合うことは、手負いの彼にとって相当な労を必要とした。いつか必ず、雷撃隊で見たこと聞いたことを誰かに語らねばならぬときがくる――。たとえルーレタに導かれなくとも、それは決まっていることのように思えた。

エレナは彼の緊張した様子に小首を傾げつつ、ふっと相貌をくずして言った。

「今日は嘘みたいに良い天気。ね、このまま外で食事しちゃわない? 頭でっかちな都市庁の役人も、こんな日くらい、大目に見てくれるわよね?」

エレナの笑顔が、いまのエルクルド・エーフォイには有難かった。

☆ ☆ ☆

苦し気に寝息を立てるハマル神父の傍に、ピーコックは片時も離れることなく座っていた。

どのくらい時間が経ったことだろう。昨夜までの疲れが出てうつらうつらしていたとき、ハマル神父の緑色の瞳がぱちりと開いてピーコックは思わず高い声を出した。

しかし、神父がすっと右手を上げて制止したので、すんでのところでピーコックはシスターを呼ぶのをとどまった。

「だいぶ世話になったようですね。申し訳ない」

「とんでもない! ご恢復されて何よりです」

「もう少しだけ意識不明でいさせてくれませんか。私は都市庁の高官から眼をつけられているものでね」

「わかっております」

ハマル神父は満足そうに謝意を示した。

「あの子たちは、無事に生きていますか」

「はい、私には奇跡としか思えません」

「ははは。ルーレタは正しい者に味方すると言ったのは君じゃないか。はじめから心配することなどないのです」

神父は天井をみつめた。その小さな眼は、天井の先にひろがる遠くの空へと向かっている。

「私が生涯をかけてやり遂げようとしている、ばかげた計画に、すっかり君を付き合わせてしまっていますね」

「私の意思からです」

「有難いが、でも、無理は禁物です。いや、もはや後には引けまいか」

「いよいよ神父は、《蒼生のレファレンス計画》に着手されるのですね」

昂奮した表情のピーコックに、神父は首を振って落ち着かせた。

「褒められたことではありません。まさしく修羅の道です。帝国も、ザクセン朝も、もしかすると我らユーリア人をも敵に回すかもしれません。それを覚悟で、やり遂げようとするものです。ルーレタを読む技術を神聖視した結果うみだされた諸悪の根源を拭い去り、我らはかつての素朴な民族へと戻らねばならないのです」

神父は、胸を大きく上下させて、深く息を吐いた。ピーコックは敬愛する師をねぎらい、身体を休ませるよう促した。

「計画の成功のためには、あの子たち若き力が必要です……。いまある世界のために、未来の幸せのために……」

ハマル神父は、そう呟きながら、再び眠りについた。

ピーコックは窓を開けて、夜の風を浴びた。まっくらな外の世界は、いまだ陽の目を見ぬ数々の秘密を抱えながら、なおも沈黙を守ってそこに広がっていた。



――《星の導き》編のおわり
そして新たな物語へとつづく



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