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脳内に響く「よし、できた」の誘惑 洗濯はしまうところまで

 洗濯物をしまうのが嫌いだ。洗濯を干そうとすると、乾いた洗濯物がピンチにかかっている。邪魔なので外してベッドに積む。一応たたんで「よし、できた。」となり、その場に放置する。寝る時に邪魔なので横にある電子ピアノの上に積む。子どもが3人もいるのですぐ次の洗濯物がやってくる。乾いたものを外して今後はベッドを経由せず「洗濯置き場」と認識された電子ピアノの上に畳まないまま積む。「ママ、パジャマがない!」「2階のピアノの上にあるよ!」子どもがその山を崩し「そーっと取ってよ!下の方のやつはたたんであったんだから…!」と、理不尽な小言に至る。

 これは初夏になれば毎年梅ジュースを仕込み、秋になれば栗ご飯を炊き、「今年は銀杏拾いに行ってみようかしら」とさえ考えている私の「偽・ていねいな暮らし」の実態の一部だ。さて、前置きが長くなったが今日は家事時間を計測した結果、判明した「しまい」という隠れ家事の存在について。

<「偽・ていねいな暮らし」脱却のためのプロセス>
1 行う必要のある家事を書き出す(10/15)
2 理想的な家事頻度と実際の家事頻度を把握する(10/17)
4 各家事にかかる時間を計測する(←イマココ)
5 理想的な家事頻度をこなすための週間スケジュールを作成する
6 スケジュール通りに家事をやってみる(実験)
7 実験の結果を振り返り、気づいた事をまとめる
8 育児休暇終了までにトライ&エラーでブラッシュアップしていく

 時間計測の結果 「しまい」という隠れ家事の存在を認識した

 家事時間を計測してみるとしてみると案外「○○しまい」に時間がかかっていることが判明した。皿しまい5分、洗濯しまい8分。洗ったり干したりする作業と同等の時間がかかっている。今まで私は「皿しまい」「洗濯しまい」をタスクとして明確には認識していなかったために、そこをすっ飛ばして次の作業へうつってしまっていたのである。

 そんなことを思いながら昨日洗濯をたたんでいたら、たたみ終わったところで「よし、できた」という言葉が自然と脳裏に浮かんでいることに気がついた。今日も洗濯物をつい先ほどたたんだのだが、やはりたたみ終わったところで「よし、できた」という言葉が再び浮かんだ。
 「やれやれ、また君なのか」と村上春樹風にツッコミつつ、たたみ終わった洗濯物を積み上げて抱え上げ、立ち上がった。子ども1のタンス、子ども2のタンス、子ども3のタンス、夫のタンス、私のタンス、洗面所のタオル置き、子どものハンカチナフキン置き、台所のふきん置きに全ての洗濯物を「しまい」終えた。しまう場所が分かれすぎいて、あちこちに洗濯物を崩さないように持ち運ぶのが地味に辛い。何より、しまいたいのにタンスに服がパンパングチャグチャに入っており、綺麗に畳んだ洗濯物をそこにギュウギュウ詰め込むのが辛い。このあたりは、のちに家事各論で取り扱うとしよう。

 次は時間計測に基づき、理想的な家事頻度をこなすためには1日どれくらいの時間を費やす必要があるのか考えてみたい。






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