見出し画像

8th photo exhibition [長い宿題]

画像3

8th exhibition [長い宿題] feat. Riri Amaeda
2019/6/1-15 at CANTIK-MANIS(Yokohama)

開催に至る経緯

2018年は2月に7回目の展示を行い、その後立て続けに2つグループ展に参加した。なんだかんだあって、しばらくはいいかなぁと思って1年ほど。
年が開け、夏前ぐらいにお世話になっている、中華街にあるCANTIK-MANISさんから「展示やりませんか?」とお声がけいただいた。
声がかかるうちが花だよな、と思って「やらせてください」と返事。

これまではスポーツだったり、ポートレートを撮って展示していた。
ただ、撮っていたモデルさんたちも卒業が続いていて、撮影会も行かなくなっていたし、スポーツも行かなくなっていたので、この頃は外に出せるようなものもなく、あわせて前回展示の際に思うような集客もできなかったので、何か手を変えようとは思っていた。

その時に古い歌人の友人のことを思い出す。
ネット黎明期時代に出会い、「いつかコラボしましょうよ」と言って、作品まで送らせておきながら、数年に渡り放置するという酷い扱いをしていたのを思い出し、やるならいいタイミングだな、と。

すでに頂いた十数首に加え、新たにお願いしたものから、季節柄写真にできないようなものを抜いたもので構想を巡らせた。
その時にコラボではあるけど、完全に歌の世界に寄せてしまっては、ある種のカンニングみたいになるので、それは避けた。

頂いたものの一つに「長い宿題」というワードがあり、今回の一連ってたしかに「長い宿題」だな、と実感すると共に反省し、これを展示のタイトルに決めた。

今回はZINE(歌集)を作りたいと考えていて、そちらのイメージはできていたけれど、実際の作品はどうしようかと悩んだ。
写真に並べて歌を短冊なりで並べたとして、やはり別々感が出てしまう。
結局、写真にテキストを入れることにしたのだけれど、それはそれでおかしくなってしまったのが、今回の反省点だと感じている。

(以降の投稿の短歌は甘枝りりさん、写真は私が撮影したものになります)

画像2

<その歌詞は 一瞬で思い出したけど
    また会えるなら 長い宿題>

今回のフライヤーにも使った一首。 
また会う口実のために、答えは出さなくてもいい。
宿題ってネガティブなイメージが付きやすい言葉だなと思いながら、今回の展示に使う写真をセレクトしていたのでした。

画像3

<夕闇の 近くて遠い 桟橋で
 あてにならない 愛の話を>

今回、流石に全部撮り下ろし、ということがスケジュールの都合上できなくて、過去のもので世に出してないものを使ったりした。
桟橋、ということで日本大通り駅近くの山下臨港線プロムナードの下で撮った写真を使った。と思っていたのだけど、今見たら違うっぽいし、この時間帯に撮影したっけ?とあてにならない記憶だけが残った。

画像4

<「会ってから話す」の毒が じわじわと
 寝返り打っても 寝返り打っても>

最近めっきり公衆電話を使うことも無くなった。だからというわけでもないけど撮影してて電話ボックスあったら、とりあえずは入ってもらう。
ネタショットだったのが、こういう句のおかげで成仏できた、という例。

画像5

<二十九時の 恋人たちの その朝は
 触れたそばから 酸化してゆき>

朝五時でなく、二十九時、そこがポイントなんだと思う。
この写真ともう一枚は人が写っていない。
これはどこかのスタジオにあって、きれいだなと思って撮っていたもので、
朝感を出すためにかなり青寄りに加工した。

画像6

<悔しさの色って たぶん二度と
 乗ることのない 君の車の赤だ>

公園の遊具萌えみたいな部分はあるのだけど、あえて実際の車を使わずにズラした。内容的に別れ話か何かで、決して事故ではないことを祈ろう。

画像7

<明け方に 聞かせてほしい その闇を
 吐き終えた頃 ひかりさすから>

取り調べの刑事ではないけれど、話してしまうという行為で楽になることがある。個人的には夜中の2時に「相談したい」と電話が来て、少し口を挟んだら「黙って聞け」と言われ、それから3時間話を続けられたことがある。彼女に光は射したのだろうか。

画像8

<大切な人を 指折り数えてた
 信号点滅 しんしんと朝>

この句の情景を考えたとき、この人は何を考えているんだろう?と色々浮かんだのだけど、それをまとめたのが「しんしんと朝」という言葉なんだと思う。

画像9

<淋しさは 孤独ではなく 淋しさは
 あなたといればこその 淋しさ>

「不在の悲しさ」って言葉があった気がするけど、この淋しさもそういうことなんだろう。在ることを知ってしまったからこその不在の淋しさ。

画像10

<ふと傘を上げたら そこに君がいる
 奇跡の調査期間を 「梅雨」と>

展示に出したあとで、この場合の傘は透明なビニガサじゃないよなぁ、って思ったり。多分、そういうとこだぞ。

画像11

<八月の めまいのような まどろみに
 黄色い花が 揺れて残像>

この句を見た時に、たしかに向日葵って眩しいんだよな、って。
一回だけ向日葵畑で撮影したことがあるけど、壮観だった。
そして、この後ゲリラ豪雨が来るなんて、誰も思ってはいなかった。
人生ってそんなもの。

画像12

<面影を 雨に溶かせば 地に根付き
 あなたの好きな 花が咲くかも>

この句の流れるような展開が好き。そして最後が「かも」で終わるところも。実を結ばないから、面影であり、雨に溶かすんだと思う。

画像13

<沈んでも なおやすやすと あのひとは
 金魚みたいに すくってくれる>

「助け上手」という言葉は聞いたことがないけど、たしかにその人は何もしていたなくても、「この人に話してスッキリした」って類いの人はいる。
この場合はシリアスではなく、日々の感情の浮き沈みなのだろうか。
どちらにせよ人をBadにするよりは、Happyにしたほうがいいとは思う。

画像14

<ぐらついた椅子は 結局なおさずに
 短いメール 長い宿題>

この展示を締めくくる一句。
作品をセレクトして行くうちに、「長い宿題」で始まって、「長い宿題」で終わるというループを思いつき、甘枝さんにおかわりで句を送ってもらった。結局の所、宿題はずっと続いたままなのである。

この写真は大好きなCafeシトカで撮らせていただいた。隙を見てやろうと思ったら、オーナーのカフーさんが「どうぞどうぞ」と言ってくれたので、何度か撮り直した。

さいごに

いつも展示はやるまでが楽しいもので、いざ始まると在廊だ、集客だ、と気を使うことも多く、何より開催させてくれたお店に対して恩返しができたのか?と思うと申し訳ない部分が多い。
ただ、毎回来てくれる人や、最近出会った人が様子見で来てくれたりして、やってよかったなぁ、と思う。

中でも今回の展示がきっかけで、十数年お会いすることがなかった友人たちと再会出来たことが、何よりも嬉しかったと思う。

まさか、こういうご時世になるとは思わず、今となっては同じようなことができる気がしないけれど、またいつか気が向いたら9回目の何かができたらいいな、とは思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?