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ミックスナッツ

本部に電話を掛けるようにと主任から指示された。
本部の上司はあまりこちらには来ないから、事実上の面談だ。
どんな話をしたらいいだろう。私は色々考えて、話したいことを紙にまとめた。

後日の面談で、話したことは。
ハヤくんが去る前に引き継いだ業務は、ハヤくんが在職中の2/3くらいにはなっているが、相談業務とは関係のない表の作成とか書き直しとか、細かい作業が多いこと。
事務長が一度本部から来て、必要な業務とそうでない業務を振り分けてくれる、と言っていたが、先日は人事の話だけして去ってしまった。
私はそれを不満に思っていること。

以前の職場で、仕事量が多く燃え尽きたことがある。その時と同じ状況であること、燃え尽きたことがあることは、入職時の面接で話しているはず。このままの状況が続けば、また燃え尽きる可能性が高いこと。
任されている仕事量はそう多くない。しかし鳴った電話を取る、他の人から話しかけられる、仕事が中断してしまうと、思考も一緒に中断する。集中が切れてしまい波に乗れない。
仕事が地層のように山積みになり、みんなが帰ってから、電話が鳴らなくなってから、ようやく集中して仕事ができる。
そういう実態を説明した。

でも。

上司との面談とはいえ、電話だ。相手がどんな表情をしているか、声だけでは読み取れない。
焦ってしまったばかりに、相手が理解してくれているか、確認しながら話すのを忘れてしまっていた。
その声色は、早く終わりにしたい、自分の話をして話をまとめて、終了にしたいと言っているように聴こえた。
これはすぐ改善できるから、他の問題は解決のための時間をください。じゃあまた何かあったら電話してね。

また何かあったらって…だいぶ溜め込んで、やっと言い出せたのに。
適当に話を終わらせて、電話を切る時の常套句じゃないか。
言いたいことは言えたけど、ちゃんと話を聞いてくれたかよく分からない。
「お疲れさまです」
「お疲れさまです」
扉を開けると、ハヤくんが振り返って出迎えてくれた。

予め考えて紙に書いておいたから、言いたいことを言えたはずなのに、席に戻ってどっかり座った後、つい長いため息が出てしまった。電話を別室で掛けているうちに、同僚は皆帰ってしまっていた。

ハヤくんは、今夏の最中に入職した私に相談員の業務を教えてくれた前任者で、夏の終わりにこの世を去った。

年齢こそひと回りも下だったけれど、物腰穏やかで仕事が丁寧な彼に私は好意を寄せていた。
肉体を失った後も、いつも私の心の中にはハヤくんがいて、困った時にアドバイスをくれる。
仕事から離れたのに、まだ職場にいて、利用者さんに寄り添ったり、ファイルに目を通したりしている、まじめな仕事人間だ。
「さかきさん、ため息つくと、幸せが逃げちゃいますよ」
書類をまとめていたハヤくんが、横から茶々を入れてきた。たわいないお喋りをしようと待っていたんだろう。
だけど私の頭の中はさっきの面談のことで頭がいっぱいで、こんな話をして、こんなふうに言われた、とハヤくんに一方的に話していた。
「さかきさんは、丁寧ですね」「これのどこが、丁寧なんですか。もー」電話しながら書いた殴り書きのメモを読み返しながら、どんなことを言われたのか、何を言ったのか、一つ一つチェックしていると、ハヤくんが私のメモを覗き込んでいたので、私は慌てて顔を上げた。
「違う違う、言いたいことと、言ったことと、言われたことをきちんと振り返るところですよ」ハヤくんが手を振って訂正した。
「人と話した後のそういうフィードバックは、大切だと思います」
「あー…私は、対人関係作るの苦手だから」
「えっ」
「私、人見知りすごいんです」
ハヤくんが、普段細い目をまぁるく見開いた。
「そうなんですか」
「人にはよく、「嘘でしょ」って言われるんですけどね」
「信じますよ」
さっきハヤくんが言った冗談みたいに、おちゃらけようと思ったら、ハヤくんは真顔で肯定してくれた。
「そんなふうに、信じてくれる人は、初めてです」
顔が火照りだしたのが分かった。お茶を濁そうと思った。でも、ハヤくんの目から目を逸らすことはできなかった。
「私は、高校生の頃、不登校でした」
「そうですか」
「進学してから、友達が出来なくて、馴染めなくて」
「うん」
ハヤくんが、私の話を、真顔で聴いてくれている。
以前のように、ゆっくりと頷きながら。

ぽつりぽつりと、私は話した。
続けて話すと、胸が苦しくなる話だったから。ゆっくりと、時々深呼吸しながら。
「それまでは、普通に通えていたんですけど、1年生の3学期、インフルエンザにかかって、出校停止になって」「うん」
「それが、とっても、気持ちが楽で…それから、学校に、行けなくなりました」
「そうでしたか」
ハヤくんが、目を閉じて、ゆっくり頷いた。
「学校に行かなくなると、悪目立ちするから…
こうなってから、友達を作ろうと思うと、学校に来ない私となんか、誰も、友達に、なりたがらないでしょう?
だから、友達は欲しくても、作れなかった。先生が私にあてがった友達は、友達になってあげる、友達になっていただく、っていう関係だったんです」
「イーブンじゃ、ないですね」
「うん」
ハヤくんの言葉に、目にじわっと熱いものが上がってきたから、慌てて目を逸らした。
はい、とは言えなかった。口を開いたら、うっかり涙がこぼれてしまいそうだったから。

「わたしも、学校に行けなかったんですよ」
「そうなんですか」
ハヤくんが、目を逸らしながら打ち明けてくれた。
「いじめられたとか、そういうわけじゃないんですけどね」
「そうでしたか」
「だから、今、さかきさんがたくさん頑張って、人と向き合おうとしていること、よく分かりますよ」
「そんなこと」
今度こそ、涙が出た。後の言葉は続けられなかった。
多分ハヤくんと私は、その当時、同じ気持ちだったに違いない。だけど、ずっと何事もなかったようにしてきたし、誰にも分かってもらえないだろうと思ってきた。

喉が詰まって苦しい、胸がいっぱい。だけど呼吸を整えて、ハヤくんに呼びかけた。
「ハヤさんも、そうだったでしょう」
「はい」
「ハヤさんも、普通に進学してきたように見えるように、友達がいるように演じて、学校の授業を受けて、普通を演じてきたんですね」
「はい」
「普通ってなんだろうって悩みませんでしたか?」
「悩みました」
今度は、ハヤくんが赤くなる番だった。畳み掛けるように、私が続けた。
「普通が分からないのに、普通の人を演じて、後で、あれで良かったかな、おかしいと思われなかったかなって思いませんか?」
「思います」
ハヤくんは目を合わせてくれなかった。
「学生時代の出来事でも、今に至るまで、同じ気持ちを引きずっていませんか」
「まったく…仰る通りです」
クッ、とハヤくんが指で目を拭った。
「さかきさんと、同じです」

同じ気持ちだったんだ、と思ったら、涙が止まらなくなった。ティッシュで涙を拭って、鼻をかんだ。
それを合図に、ハヤくんが、ゲーミングチェアをくるっと回して、後ろを向いた。
「ほら」
白いパーカーのフードが乱れていたから、いつものようにそっと直した。
「あっ、ありがとうございます」
「いいえ」
少し振り返った顔は、泣いていたから、赤かった。
多分、私も赤かったと思う。
最近の私は、泣きすぎている。
今日は、対人関係の構築が苦手で、きちんと上司に言いたいことが伝わっていなかったんじゃないかという不安と、ハヤくんに、自分の暗黒時代を打ち明けたことで気持ちが楽になったことと、ハヤくんもまた、似たような境遇だったのが少し嬉しかったこと。
(後で主任から聞いた話だと、ハヤくんも登校拒否を起こしたことがあると親御さんが話していたというから、もしかするとハヤくんは、想像ではなく本当に私のそばにいてくれているのかもしれない)

「ミックスナッツっていう歌、あるじゃないですか」
「ありますね」
「あれって、歌詞が洗練されてて、秀逸だなぁと思うんですよ」
パソコンの電源を切りながら、私がハヤくんに声を掛けた。
「アニメの主題歌になってるじゃないですか。だから、元気な気持ちになる明るい曲なのかと思って、動画で観てたんですけど….歌詞分かりますか?」
「はい」

「歌の中で、主人公のピーナッツが、他のナッツと一緒にいて、浮いてないかな、おかしくないかなって心配してるんですよ」
「はい、そうですね」
私が一方的に話すと、ハヤくんが一生懸命聴いてくれる。ハヤくんは本当にありがたい存在だと思う。
「ピーナッツって、落花生って言ってね」
「はい」

「落花生は知ってると思うけど、名前の通り、花がしぼんだら、地面に潜って実を付けるんですよ」
「えっ…あぁ、あー」
ハヤくんが、こちらを見て、また目を見開いた。
やっと気づいたか、と思うと、つい嬉しくなって、私は早口になってしまう。
「他のナッツ…カシューナッツとか、アーモンドとか、ピーカンナッツとかは、地面の上で成るんです。だから、みんな木の上で産まれるのが当たり前って顔をしてるけど、ピーナッツだけは、食べてもらえるまで自分がちゃんと木の上で産まれたように演じられているか、気になってる」
「そうか、そうですよね」
「アニメの中でも、自分がちゃんと普通の母親を、普通の主婦を演じられているのかなと心配している人がいる。私は彼女に感情移入してしまいます」
ハヤくんが、うんうんと頷いた。
もう、泣いていなかった。
「確かに、歌詞が秀逸ですね。よく言葉を選んでいますね」
「はい。だからこの歌、一度聴くと止められなくなっちゃうんです」
「さかきさんは、歌詞にも興味を持って聴いていらっしゃるんですね」
「歌が好きなので」
照れながら私が答えると、ハヤくんが、コーラスが好きって言ってましたね、と言ってくれた。
ハヤくんが、自分の胸に手を当てて大きく頷いた。
「さかきさんの話、聴けてよかったです」
「私も、ハヤさんに聴いてもらえてよかったです。それと、ハヤさんのことも聴けました」
「はい。…言っちゃいました」
恥ずかしそうに、ハヤくんが応えた。

「さて…帰りますか」
「はい」
二人で忘れ物がないか、指差し点検をしてから、一人分の退勤をタイムレコーダーで打刻して、照明を落とした。

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