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短編小説|あのキレイな海を取り戻したら #1

私の街にはキレイな海辺があった。
全長は1kmほどで割と大きい。けど、海水浴場ではないから知名度は低い。
だからこそ、地元の人たちが誇れる憩いのスポット。
何歳の頃かわからないぐらい小さい時から、両親の手を握りながらこの海辺に何度も訪れた。
貝殻を拾ったり、波しぶきから逃げ回ったり、お尻を濡らして怒られたり。
この海は、私の思い出をいっぱい作ってくれた。

それから20年は経っただろうか。
付近を走る国道は倍以上に拡幅され、産業道路になった。信号もないことからハイウェイ化し、昼夜走るクルマの走行音で心地よい波の音は聞こえにくくなった。コンビニや飲食店が夜まで煌々と輝き、トラックのアイドリング音は鳴り止まない。
遠くの対岸には工場がいくつもできた。心なしか、海の色が青から深い緑に変わった気がする。
浜辺にはたくさんの漂着物が押し寄せる。得体のしれないドラム缶、外国語が書かれた木材、網や船などの漁業関連のもの。

時折、実家の犬の散歩でこの海辺を遠目に見ることがある。
私の淡い記憶とは程遠い現実に、近づくことすらできずに涙が滲んでしまう。

「あの海を、取り戻したい・・」

泣きそうな声で決意したこの一言が、私の物語のオープニングになったのでした。

1.ぶつかり合い

「あさちゃん、昨日の商店街の取材のメモって、どこだっけ?」
「へ?鷹見さんにお渡ししてませんでしたっけ?」
「ん~・・・もらった記憶ないのよねぇ」

私の名前は浅海あさみあおい。去年、地元市役所の公務員になったばかりです。そして今は、市政宣伝部で広報活動を担当しています。
少し泣き虫で消極的、おまけにドジを結構やってしまうので、いつも私の周りにはしっかりした人がいてくれます。
今会話している鷹見さんも、しっかりした大先輩。いつもお世話になっちゃってます。

「昨日はこのカバンで取材に行ったので、この中にメモがあるはずで・・」
ガサゴソとカバンを漁っていると、「あ」という一文字が口から出た。
「・・・ほらね、やっぱりぃ」
鷹見さんの顔を直視できず、下を向いたままスッとメモを献上する。

こんな仕事っぷりですが、大学は経済学を学びました。この学歴が公務員に有益がどうか分からないけど、営業や経理には興味がなくて民間企業を諦めたから、今は満足しています。

そう、この地元が大好きなので、何か恩返しがしたいんです。

「で、あさちゃんのほうは大丈夫なの?」
「まちづくりフェアのチラシの件ですよね、マキノ印刷さんにはアガッた原稿を送ったので」
「え!?まだあれ部長決済されてないわよ!?」
「え、うそっ!?」
「ちょっと急ぎでマキノさんとこ行って、原稿回収して!」
「うわっ、は、はいっ!」
今日も大忙しです。

大至急電話をかけ、事情を説明し謝る。渡していた原稿は取り違えるといけないので回収しにいくのが鉄則だ。幸いマキノ印刷さんまでは徒歩で数分なので、そのまま事務室を駆け出していく。くそぅ、こんな日に限ってヒールのある靴を履いているなんて・・。
バタバタと出発し、階段の踊り場へ向かうと、出会い頭に人影が不意に現れる。

「あっぶないっ!」

寸でのところで止まれたので、ぶつかったとはいえ軽く体が接触した程度だった。しかし、その人影が持っていた紙袋だけは、バサッと地面に不時着した。その衝撃で、紙袋が横向きになり、チラシか何かの紙が大量に流出してしまった。そして目の前には、お年を召した雰囲気だったけど姿勢はしっかりとした女性がだった。

「す、すいません、大丈夫ですかっ?」

さっきから私らしくない大きな声を連発している。女性の無事を目視で確認すると、すぐに地面に広がったチラシを回収する。

「あービックリ!こちらこそごめんなさい、大丈夫ですよ」
「ほんと、すいません!」

回収した書類の束と、横倒しになった紙袋を立て直す。

「あの、ちょっとお尋ねてしてもよろしいかしら?」

この急いでいるタイミングで物腰の柔らかい穏やかな喋りで質問されると、少し困る・・・けど、無視は厳禁。

「はい?なんでしょうか?」
「市政宣伝部というのは、どちらになるかしら?」
「えぇと、そこの廊下を右に進んで、突き当りの左側が私たちの部署になります」

とっさに答えたので、「私たち」と言ってしまった。

「あら、あなたは宣伝部さんなのね」
「そうです、誰か面会予定ですか?」
「いいえ、ちょっと相談したいことがあってね」
「わ、私はちょっと急ぎの用で出てしまうので、事務室に行ったら鷹見という職員がいますから、お話してください」

切羽詰まった状況なので、つい大先輩に対応を振ってしまう。ああ、私はそんな大それたキャラじゃないのにぃ。
それじゃ、と言わんばかりにお辞儀をしたのち、急いで階段を駆け下りた。

まだ夏が本格的に始まる前だから気温は高くない。しかし、私はすでに汗だくだった。全力とは言えないものの、高校以来のダッシュをしていたから。
幸いにしてマキノ印刷では未承認原稿を無事回収できた。印刷所の社長さんには何度も頭を下げたが、昔からの縁もあって何事も気にされていなかった。私の恥ずかしい失敗の1ページに刻まれてしまうなぁ。
汗を冷やしつつゆったりとした足取りで庁舎に戻る。まだ冷房が入らない事務所につくと、鷹見先輩が安否確認を行う。

「原稿、回収できた?印刷かけてなかった?」
「大丈夫です、先輩。間に合いました」
「よかった、これならもう大丈夫・・・ではないか」

そう、未承認ということはまだ決済されていない。チラシ自体の納期は明後日金曜日の午後で、月曜日の午後から発送する予定。間に合わない訳ではないけど、ちょっとソワソワする。

「市長の決済はいつ頃帰ってきますか?」
「アタシに聞かれても困るわ」
「そ、そうですよね・・えへへっ」
「あ、そういえば、あさちゃんにちょっと用事を頼みたいの」
「はい?なんでしょうか」

この未承認原稿の件で挽回の機会がほしかったので、気持ち的にはなんでもやります状態で構えていたから好都合。

「数十分前にきた佐治さじさんという方がね、ボランティア活動の宣伝をしたいって相談にきてね」

あの階段付近でぶつかってしまった初老の女性だとすぐに気づいた。

「市民活動センターに登録されているボランティア団体さんだから、広報誌に載せることを検討するって回答しておいたけど、あさちゃんが担当してもいいかなって」
「・・っわかりました!」

実は鷹見さんからこうやって独り立ちのような感じで仕事を任されるのが、一番モチベーションが高まる瞬間だったりする。これで、3回目くらいだけど。


「・・・で、その御方の要望をそのまま受け入れたい、と?」
「は、はい、愚直な活動をされている方々が困っているのであれば、広報という形でお役に立ちたいと思って」
「そんな事言ったらさ、ここに来た人全部同じようにやらないかんよ?」
「そ、それは、今回わざわざ足を運んでいらっしゃったので」
「ここに来れば宣伝してもらえるっていう前提を、作ってほしくないのだけど」
「で、でも、活動自体はすごく良い活動なので・・」
「見たことも体験もしたこと無いボランティア活動をどうやって宣伝するわけ?」

もうこの争いは明らかに負けてしまった。市政宣伝部の課長の渡辺さんは正論でこちらの意欲を削いでくるのが得意。前例が無いことは本当に認めないので、私のような若手からは最も嫌われる存在だと思ってる。
でもたしかに、私は佐治さんという方とぶつかっただけで、何も話をしていない。鷹見先輩も、きっとこうなることを予想して私に回してきただけだろう。負け戦に潔く参戦してしまった自分に対して、負の感情が沸き起こる。

「で、どうすんのさ?」
「渡辺課長の言うことは最もだと思いますので・・」
「そうかそうか、わかってくれるならいいんだ」
「ちゃんと取材をして、佐治さんの活動をしっかり宣伝したいと思います」
「はぁ!?」

なぜ私がこんなに反抗するか。
それは佐治さんが行っているボランティア活動は、あの海辺の清掃だから。

つづく

この作品はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。


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