見出し画像

短編小説|部長のイス #5

5.左遷

「最近、君の厳しさについてウワサをよく聞くのだが、何かあったのかね?」
「厳しさとは何でしょう?自分に正直に行動しているだけですが」
「それならいいのだけど、いくら変革の時代だからといって、君のところは変わりすぎではないかね?」
「そうでしょうか?私は、変わるというより進化を目指していますから」

そうやって、何かを言いたそうな山西専務を追い払った。

5人。
これは、オレが事業企画部の部長に就いてからこの部署を去った人数だ。
2人は、オレが着任してわずか2か月の間。恐らく、オレが来る前からすでに転職活動をしていたと思われる若手担当者だった。引き止める間もなく、潔く去っていった。
残る3人。
下川は海外拠点の不正問題に対処するため、対策チームメンバーの一人として海外統括部に異動させた。4月のことだ。
上河係長は、あの大義の無いプロジェクトに専念させるため営業部に輩出した。5月の終わり頃の話だった。
そして架橋室長は、査定評価制度の見直しに迫る為、2週間前から総務部兼務扱いとなっている。9月には総務部所属を経由して、正式に労働組合所属となる見通しだ。

こうして5人いなくなったワケだが、人員補充は4月の新入社員1人だけだ。事業企画部は総員15名だから、1/3は入れ替わった計算になる。第3者から見れば、部内の有力者をバッサリ切り捨てているようにも、リストラを敢行しているようにも見える。部のメンバーもオレに話しかける回数は明らかに減ってきている。不穏なウワサが立つのも無理もない。
こんな状況下で、事業検討会の課題、販売戦略の見直し、そしてつい先日訪れた仕入先の平井技研の火災事故に対する損害賠償の交渉が立ちはだかっている。オレの態度に目を付けている上司の山西専務と、オレを何かと落とそうとする部下の向谷室長にも、うんざりだ。
ただ目の前の課題に最善策を用いて立ち向かっているのだが、その結果だけで評価されるのは寂しいものだ。
まぁ、会社とはそういうところだけどな。

数日前、1度目の平井技研への訪問には、向谷と調達部の若手を連れて行った。
相手方は仕入先と言っても従業員50名ほどの中小企業で、女性社長兼オーナーの平井氏との話し合いから始まった。最初は、感情的ではなく逆に台本通りのような会話を展開してくるのが不気味だった。

相手方の言い分を聞いていると確かに我々側に非があるようマインドコントロールを受ける。しかし総額3000万の賠償金など払う必要は無い。
こちらも台本通り、商品販売の機会損失分である400万程度の額を提示した。すると、みるみる本性をさらけ出してきた。

「あんたら、大企業のクセにこんな舐めた保証しかできんのかい?」
「ですから、火災の原因となった漏電については貴社の管理責任の範囲であり、建屋や設備についての賠償は負えません」

何度も説明しているが全く納得していない。

「あなたみたいな話が通じない人と話し合っても時間の無駄だわ。もう帰ってよ、弁護士つけるわ」

どうやら訴訟に持ち込みたいらしい。これは交渉決裂の流れである。

「裁判を起こすかどうかは貴社のご判断に委ねますが、問題の解決を長引かせるだけかと思います」
「あなたイチイチうるさいわねぇ!そもそも、昔っからあなたの会社との取引自体、無茶苦茶だったのよ?わかってる?」
「はい、その過去の経緯については知っておりますが」
「だったら、その分もまとめて訴えるわよ!?20年分ぐらいの損失を補填もね!」
「・・・それと本件は関係がありませんので・・・」
「関係あるわよ!なに言ってんの?設備も建屋もなくなったのよ、こっちはどうしていいかわかんないのよ!」
「今回の火災では大変な事態と受け止め、心中お察しいたします。しかし、焼失した箇所は一部分で、他のお取引されている会社様には影響がないと聞いておりますので」
「だからじゃない!あんたとこに弁償して も ら う の!」

全くもって子供じみたオーナーだった。どうにも、建屋と設備の復旧費用が欲しいようだ。ちなみに火災保険等の加入有無について確認したが、保険金は降りているようだった。それを差し引くと、請求額は異様なほど高い。
ここまで善戦はしたが、この女性社長のヒステリックな態度に立ち打ちできず、過剰な疲労感と共に帰社した。

当然だが、会社で待っていたのは限りない罵倒と叱責だった。
裁判沙汰になることは得策ではないと社長の一声もあり、結果として平井技研の要求を全て飲むことになった。3000万は確かに高額だが、当社の保険も使ったので経営が傾くことはない。

しかし、部長と言う肩書こそそのままだが、今後の対応を含め実権は全て向谷室長に移った。

加えて、あらゆる会議体でオレは発言力を失い、向谷の意見が通ることが多くなった。

オレは諦めたわけではないが、周囲は無言で促してくる。
お前は失格だ、と。

「どうした、伊東君、最近元気がないじゃないか?」

血色の良い表情の山西専務が声をかけてくる。落ち込んだ部下を気に掛けることは、上司の振る舞いとしては正しいが嫌味にしか見えない。

「ええ、まぁ、成果が出てませんから」
「成果、ねぇ。上手くいかないときは、少し環境を変える事も必要だねぇ」
「そうですね」

と言った瞬間、新しい罠であることに気づいたが、すでに遅かった。

「そうかそうか、ちょっと社長に相談してみようかの」

そこから社長と山西専務に呼び出されるまでは異常に早かった。

「伊東君、最近上手くいってないと山西専務から聞いたよ」

今日の社長はラスボス的オーラ全開である。

「そうですね。思うように課題を解決できないのが正直なところです」
「それでな、山西専務からも提案があったのだが、少し環境を変えてみるのはどうか、と思ってな」
「実は、研磨材の生産をしている子会社の社長の任期が迫っていて、後継を探しているのだよ」

山西専務も口調を合わせる。
ああもうこれは異動の話だなと確定した。10月末は来年の組織編制を考える時期だからだ。
こんな場面でも、二つの選択肢がオレを攻め立てる。

  1. 素直に異動の話を受ける

  2. まだ現在の職務を全うしたいと宣言する

「子会社ではあるが、次期社長という立場は伊東君のキャリアからして決して悪くはないと思うが、どうかね?」

社長が真剣な眼差しでオレの答えを引きずり出そうとしている。

「・・・そうですね・・・」

しばし考える「フリ」をしていた。なぜなら答えはもう決まっている。

「どうしても、と言うのであれば留まってもよいけど、向谷君には今以上に頑張ってもらうことになるけどいいかね?」

山西専務の追撃はいつも「優しさの中の残酷さ」が浮き出る。

オレは、自分自身に負けた事を後悔しながら、会議室を後にした。


12月5日水曜日。
来年の組織人事の内示が発表された。
当然ながら事業企画部にオレの名前は無い。
転出欄にこう記されている。
「出向 伊東博輔 管理職1級 (→小川産業㈱)」

ちょうど1年。
部長のイスは、人間性、カリスマ性、専門的な知識・スキル、マネジメント力、要領の良さなど、先人たる賢者たちが提唱する「すべき論」は一切必要なかった。
このイスに座り続けるには、いかに他者を使いながら自分の得をするかを貫き通すことに尽きる。
たまたま、噴出した課題とのめぐり合わせが悪かったこともあるかもしれないが、それは負け犬の遠吠えだ。

こうしてオレは小川産業㈱という子会社へ出向する身となった。
従業員は100名もいない中小企業の規模だ。悪い噂はあまり聞かないが、パッとしない印象の会社だった。現在の社長を頂点に、製造部と管理部の2部署しかない。通勤には車で片道70分。単身で暮らす必要はなかったが、少し遠目ではある。

完全なる都落ちの左遷人事。
誰しもそう思ったはずだ。

しかし、オレは楽しみだった。
社内政治に追われることなく、仕事に没頭できると思ったからだ。

この作品はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?