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短編小説|軽銀のクライシス #2

2.淀み

銀山の勤めるコイズミ鍛造株式会社は、中堅の自動車部品メーカーだ。主にはトランスミッションのギアを製造している。ギアは耐久性が求められるので、多くは合金でできている。そのため、金属を溶解する溶解炉や鍛造機などを用いた生産設備を持つ工場が、会社の生命線となっている。ギア以外にも駆動系部品の組付製品もラインナップされている。それらは協力会社(仕入先)から部品を購入し、コイズミ鍛造が組み立てる事で付加価値を高め、製品単価を高く設定できるドル箱のような事業だ。競合他社が多いので安定した受注が取れないのが欠点であるが。

そんなモノづくりの会社だから改善活動も活発である。特に銀山の所属する業務管理部は管理の中枢機能であるため、一つ一つの仕事がマニュアル化されている。つまり、今回良品数の食い違いが発覚した生産管理表の集計や報告についても全てマニュアルがあり、その通りに行われている。このマニュアルは作業のミスを無くし、作業のムダやロスを減らすために作られている。もちろん、業務の引継ぎにも良く使われる。

「生産管理表の入力マニュアルの、手順34にちゃんと書かれていますよね」

追坂はハッキリとした口調で確認を取る。

「ああ、そうだ」

そこには、『仕入先から送付される生産管理表に基づいて入力する』と簡単に書いてある。

「仕入先から送付された生産管理表は・・」
「ここだ。生産管理フォルダの仕入先情報ってフォルダに年単位で保存している」
「データはクラウド化されてないんですね」
「追坂君の会社ではそうだったかもしれないが、うちの会社はまだこんなもんだよ」

銀山は諦めた口ぶりだった。
仕入先の白波工業からはExelファイルで生産管理表がメールで送付されている。そのため、受信したファイルと照合するが、異常は全く見られなかった。同一のものだ。
ここから何がわかるかというと、2年間も銀山は生産管理表の良品数を間違えていたということだった。

「いやいや、そんなわけないよな・・・」

自身を疑うのは当然だった。しかし、物証が何もなく明確に不整合を指摘されているのだから、逃げるすべは当然無い。

「追坂君、キミは何かやったわけじゃないよね?」

銀山が肩に力を入れながらも、落ち着いた口調で確認する。追坂は無言で表情を変えず、首を横に振るだけだった。

2時間進展もなく呆然とデータをポチポチ開いては消してを繰り返すだけだった。しびれを切らした梅木室長が、二人を呼び出す。

「君たち二人、ちょっと会議室に来てくれ。楠下くすした部長が呼んでいる」

会議室に入ると、部長が腕を組んで座っていた。表情は少し不安そうだった。

「まぁ、座りたまえ」

部長の先制攻撃に、銀山と追坂はしおれた感じでイスに座る。

「経緯は梅木室長から聞いた。原因はわからんそうだが、明らかな被害がなかったのが不幸中の幸いだ」

銀山の犯したと思われるミスは、白波工業から送られたデータと良品数が噛み合っていないだけで、実際に白波工業から納品された個数とは一致していた。金銭を伴う取引上の差異がないから、経理的な大きな問題にはならなかったと説明を受けた。

「すいません、でした」

不服そうな銀山だったが、流石に部長にまでこうも言及されると頭を下げるしか無い。

「担当の追坂が気づいたんですよ」

梅木室長が補足をするが、銀山にとっては面白くない展開である。

「やはり、長年同じ仕事を担当させるとミスに気づかなくなる。今回は引き継ぎの過程で気づいたそうだね」
「私は不慣れなものですから、一つ一つを確認していただけで・・」

ジワリジワリと銀山を追い詰める空気が充満し始める。

「で、白波工業とは連絡を取ったのかね?」
「いえ、当社側に落ち度がないかを先に確認していますので」

梅木が答えるが、これが良くなかった。

「ん、なぜだ?納品数と銀山君の入力したデータが合ってるのなら、白波工業側の間違いである可能性が高いじゃないか」

室長の梅木に、他の3人の視線が集まる。

「それもそうですね、では確認しますか」

いつものやる気ないスイッチが入った感じだった。
その時、すかさず追坂が期待に答える。

「それでは、私から連絡します。先方は担当の富山さんでしたよね」

銀山の出番はとっくに失われていた。

生産管理表には複数の「製品数の単位」が記載されている。

仕掛け数。これは製品素材となるアルミインゴッドを鋳造した数である。
加工数。これは鋳造された製品原型を切削加工した数である。
検査数。切削加工が終わった後、不具合がないか検査した数である。
良品数。これは検査後に問題がなかった製品の数となる。

製品を生産するにあたり不良品がなければ、仕掛け数=加工数=検査数=良品数になる。しかし、実際の物理現象では不良が発生する確率はゼロにならず、仕掛け数と良品数には1〜5%程度の差が発生する。これを不良率というのだが、優れた企業は0.01%を下回る。
不良が発生する原因は様々だ。例えば、切削加工をする時、アルミ塊を所定の位置にセットして切削するのだが、セット位置が数ミリずれただけで加工部位もずれることから、検査後は不良と診断される。
あるいは、製品素材であるアルミ塊の内部に僅かな空気が入り込んでいて、切削加工時に空洞が表面に露出することもある。当然ながら精密加工品に空洞などあったら強度不足になるため、検査では不良と診断される。
高い品質管理の裏側では、些細な理由によって発生した不良品が数%存在している。

「富山さん、検査数と良品数の差が11%もあるのですが、なぜでしょうか?」

追坂は電話口で白波工業の富山に質問している。

『製品素材を供給しているアルミ鋳造設備のトラブルで、空洞不良が多いんですよ』
「そうですか。あと、納品数と良品数が10%近く異なっているのですが、これはどういうことでしょうか?」
『え、納品数?どういうことですか?私は出荷情報まで管轄してないので初耳なんですが』
「そうですか、過去2年を遡っても、納品数と良品数がちがってましてね」

追坂の追求は淡々としている。新入りだからこそ、恐れなく迫れるのである。

『そんな話、前任の銀山さんからも問い合わせいただいたこと無いですし、ちょっと私ではわかりません』
「そうですか、わかりました。お忙しい中ありがとうございました」

そっと受話器を下ろす追坂の後ろには、梅木室長と銀山が棒立ちしていた。

「白波工業の生産管理表が正しいとすると、じゃあ納品数との差はどう説明できるのだろう」

銀山がすぐに核心に迫ろうとする。

「銀山君はいつもどのデータを見て入力していたのかい?」

梅木室長が早口で問いただす。

「いや、ちゃんと富山さんのメールに添付されている情報を元に入力してましたよ?」
「でも、その証拠がない」

追坂がぼそっと事実を言う。銀山は眉間にしわを寄せる。しかし、すぐに諦めたような態度で肩の力をダランと抜く。

「まぁ、もういいだろう。引き継ぎが終わったんなら、銀山君は生産管理の仕事を追坂君に全部まかせていいよ。納品数さえ合ってれば問題ないから」

梅木が幕を下ろす。未解決事件は迷宮入り。そう断言できるような結末に、銀山は気分が晴れなかった。

それから数日後。
銀山の先輩にあたる郡山係長が、九州の事業所に異動となった。室長の梅木の右腕だった係長がいなくなることで、同僚の室屋や追坂からは銀山の存在価値があがると持ち上げられていた。
しかし、郡山係長は室屋に業務の引き継ぎをしており、追坂へ業務の引き継ぎを進めていた銀山は、業務を手放しただけのフリーマンの状態になった。その空虚感に、銀山はこの前の生産管理表のミスに対する制裁かと認識していた。
しかし、そんな不安もすぐに吹き飛ぶことになった。

白波工業の富山の突然の退職。
そして、白波工業への銀山の出向辞令。

立て続けに起こった天変地異は、暇だとボヤく隙を一切与えない。
不正の渦は、ゆっくりと新しい紋様を描こうとしていた。

つづく

この作品はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。

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