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短編小説|部長のイス #1

たった数秒前、部下が辞表を提出した。
コレを受け取るのはオレの役目だが、2回目となると驚きはしない。

いつまでたっても成長の兆しが見えない部下。
いつまでたっても現場の惨状に目をつぶる経営層。
いつまでたっても上向かない会社の経営状況。

「またか」と思うようなトラブルの毎日。

これだったらエンマ大王様の下にいるほうが楽かもしれない。

解決策を求めて本屋に足を運んでも、上っ面だけの成功者の話ばかり。
今オレが置かれている状況に、そんな高みの見物をしている奴らをぶち込みたい。大半はきっと逃げ出すだろう。

そんな令和の生き地獄で寿命を削りながら生きている毎日。
そんなオレの進化論は・・・この状況から始まった。

1.虚構の成長

「これはなんだ、お前」
「ですから、午後に使う経営会議の資料ですよ」

あと15分で昼休憩というのに、午後一番で使う資料の最終確認を持ってくる。ちょっとは確認する側の気持ちにもなってほしい。

「なんでこんなギリギリに持ってくるんだ?」
「今さっき出来たところですから」
「確認する側の時間を考えているのか?」
「そもそも納期を具体的に指示していないのは部長のほうでは?」

この部下の名前は下川。
最近の若い連中は平気で自分の棚を上げる。ただ、言ってることは正論が多く、ここでこちらがキレてしまったらそれこそ大問題だ。こんなシーンこそ、上席としての余裕を見せる必要があるなんて・・つまらない会社人生だ。

「わかったわかった、ちょっと内容をかいつまんで教えてくれ」
「はい、今日の議題はライバル他社の品質不正問題についての報告と、当社の確認すべき対応についてですが・・」

オレの名前は、伊東博輔いとうひろすけ、45歳。事業企画部の部長になって4ヶ月目。同期の中では比較的昇格が早かったせいか、何かと恨まれる立場だ。一昨日も、以前の職場である調達部から原材料高騰に伴う販売戦略の見直しについて壮大な宿題を頂いたところだ。
4人家族だが、子供二人はすでに大学生で妻と二人暮らし。趣味は酒とキャンプ。ただし仲間はいない。ソロキャンプがブームではあるが、どうにも寂しく踏ん切りがつかない。

説明を聞いているだけであっという間に昼の時間になった。

「・・・という感じです。部長の出番は特にありませんが、経営会議なので他の役員から指摘があった場合は回答お願いします」

なんとも損な役回りだ。しかしこうやって部下が主体性を持ってくれる事には感謝しなければならない。

「・・・わかった、ありがとう」

と、こんな余裕を見せていたが、この後まんまと一本取られてしまった。
経営会議では退屈な議題と役員達がボルテージを上げる議題の二極化が顕著だ。今回は前者の部類で、他者トラブルを当社と照合したところ問題はない、という筋書き・・・だった。

「・・・というライバル他社の不正問題に関して、事業企画部としては問題ないと結論づけています」

有能な部下が自ら進めてくれる光景に、すっかり油断していた。

「・・・ん?ちょっと待ってほしい」

海外拠点を担当している増渕ますぶち役員が、周囲を気にしながら慎重に発言する。

「この調査結果、国内拠点は良いが、海外拠点の生産品目がやたら古くないか?ほら、北米拠点のアッセンブリ製品など3年前にクローズしているが・・・」

会議室がザワザワし始める。オレも慌てて資料に目を通す。
・・・いかん、古い生産品目の一覧資料を流用したまま「聞き取り調査:問題なし」と調査をせずに捏造していることが瞬時にわかる。

「どうなってるんだね、伊東君」

半笑いの社長が事実確認を迫る。ハッキリ言って、キレる寸前だ。即座にその場で起立し、頭を下げながら大きな声で答える。

「申し訳ありません。内容を精査できていませんでした。再度調査を行い、改めてご報告させてください」

実際は部下の下川にハメられたのだが、この状況で公然と下川を断罪してはならない。責任は常に上司にあるのだ、そうだろう全国のサラリーマンの諸君。
経営会議は若干シラケた感じで散開となった。メンバーが会議室の後片付けをする中、先ほど報告した下川を手招く。
ここで、頭の中では二つの選択肢が現れた。

  1. さっきの報告書について、調査の甘さを𠮟りつける

  2. さっきの報告書について、冷静に状況を聞き取る

当然2を選ぶ人が多いが、この時オレは心の解放を求めていた。だからすんなりと1を選んだ。

「おいっ!さっきのあの報告はなんだっ!?どういう調査をしたんだ!」

それはもう、滅多に怒らないオレだからメンバーは一斉に硬直した。
感情は確かに放出したが、質問内容は間違っていないと自負している。

「す、すいません・・・」

それしか答えがなかった。この様子から、調査の手を抜いただけで言い訳の余地すら残っていない、とオレの長年の勘が教えてくれる。

「答えになってない!どういう調査をしたのか、答えろっ!」

一度抜いた刀はそう簡単には鞘へ戻せない、部下の心情は理解できるのに執拗に責める。

「あの・・時間がなくて・・急いでたので」

この下川は日頃から仕事が雑で遅い。どうにも仕事に対する熱意を感じない事が多く、最近の若者という代表例のような印象だ。

「急いでいたからという理由だけで調査をいい加減にするな!」
「す、すいまんでした!」

この瞬間、オレのマグマは落ち着いた。

自分のデスクに帰る間、怒っている「フリ」を続けた。ある程度威厳を保つためには、こうした「寄せ付けない距離感」も必要だ。
それよりも怒りの感情を長引かせたところでストレスになるだけだから、部下のフォローをどうするか考えている。あれだけ怒りの感情をぶつけられたら不貞腐れるに決まっている。どうやって次の一歩を出させるか・・。

「伊東君」

この声は、増渕役員だ。すぐさま顔を上げ、起立する。

「さっきの経営会議の件、不正問題の調査はうちの海外統括部のメンバーに任せてもらってもよいかな?」

やや小声だ。しかし、嬉しい申し出だが、真意が分からない。

「ええ。かまいませんが、何故?」
「実は副社長から先週末にすでに調査指示があって、ちょっと不味い情報を入手しているんだ」

更に小声になった。続けて増渕役員は真意を話てくれた。

「そこで、品質管理部と対応を協議することになってるから、この件は終わった事にしてほしくてね」

不味い事態が発覚したから、秘密裏に対処しておきたいという魂胆だ。オレはこういうコソコソしたことが・・・大嫌いだ。

「そうですか、わかりました。今日報告したうちの担当をメンバーに入れてください。そうすれば、今言われた事に従います」

増渕役員は非常に困惑した顔色のまま渋々といった様子で了承した。そしてそのまま言葉を発せず、ノシノシと去っていった。

「下川、ちょっとこっち来てくれ」

声を掛けられた部下がオレの顔色を伺いながらやってくる。

「さっきの調査の件、海外統括部が調査するらしいが、お前もメンバーに入って進めてくれ」
「え・・?は、はい」

なんで、という顔をしているので追加で説明した。

「どうも問題があるらしい。お前は海外統括部の連中が黙殺しないよう、調査や対応状況を見ているだけでいい」

2週間後、当社でも品質問題が発見された。
幸いにして市場に迷惑をかけるレベルではないため、対外的に公表するような事態にもならなかった。問題の規模感に救われたが、担当の下川が状況を観察し、コツコツと報告してくれたおかげでもある。オレは彼に最大限の賛辞を贈った。

会社にいれば大なり小なり、捏造したり隠ぺいしたくなる気持ちはわかる。自分の都合に合わせて事を進めたいからだ。
しかしそれを続けていれば、虚構の姿ばかりが成長していく。
人も会社も。
それは全力で止めなければならない、例え悪者になったとしても。

つづく

この作品はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。

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