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短編小説|軽銀のクライシス #1

日曜、夜7時。
多くのサラリーマンが憂鬱を感じる時間。

「明日会社かぁ、行くのダリィなぁ・・・」

ここにいる銀山ぎんやま溶輔ようすけも、その多くのサラリーマンの一人。入社から5年が過ぎると仕事も1人でこなすことができ、時間も金銭的にも余裕が出てくる。おまけに会社への不平不満も出てくる頃である。
そんなどこにでもいる一般従業員が、企業の不正問題の片棒を担ぐことになったら、どんな行動を起こすのだろうか。
それに気づいた時、郷に従って加担し続けるのか?
不正だからと勇気を持って告発するのか?

「そういえばこの前来たあの若いやつ、中々勘が良くて困るぞ」
「はは、そんなに面倒なヤツか?もっとやる気がないはずだが」
「そうか、まぁ手当付けて黙らせておくぞ」
「で、いくらぐらい貯まったか?」
「8500万、ってとこだぜ」
「そろそろ潮時か」
「だな、リスク管理委員会も始まるんだろ?」
「あれは形だけだ。データが一致していればそれ以上は追求のしようがないだろ」

大きな組織に身をゆだねつつ、私腹を肥やそうとするヤツはいつの時代にも存在する。
そんな不正に気付き、正体を暴こうと翻弄されながらもキャリアを築く物語です。

1.食い違い

月曜朝8時。
軽快なピアノの伴奏に合わせて全員が体操する。誰一人、顔はさわやかではない。しかし、誰一人サボっていない。それが終わると、無機質な朝礼が始まる。企業の心得という名の訓示を全員で連呼する。日本企業をよく表したワンシーンである。

「それじゃ、みんな。新しい仲間を紹介する」

年配の男性が全員に注目をさせる。血色の良い若い男性が、コホンと軽く咳払いをする。

「今日からこちらでお世話になります、追坂おうさかと申します。一日も早く皆さんの力になれるようがんばりますので、よろしくお願いします」

歓迎の拍手に包まれるが、大半は、興味がないと言わんばかりの態度ではある。ここにいる銀山も、そのうちの一人。

「え~と、追坂君には仕入先の生産管理を主に担当してもらう。梅木うめき室長のグループで、よろしく頼むよ」

ぼさっとした髪型で眼鏡の分厚い男が少し慌てた感じで返事をする、梅木室長とはこの男性のことだ。追坂は、よろしくと言わんばかりの表情で深く頭を下げた。
銀山と追坂の出会いは、こんな何気ない日常から始まった。

銀山の担当は仕入先の管理だ。
管理と言っても幅広く、
 仕入先が作る製品の生産数の管理=生産管理、
 製品の品質検査=品質管理、
 仕入れ値や場合によっては新製品の発注などの窓口=調達管理
の3つからなる。
さらに仕入先がトラブった時の緊急対応や作業者の調整などの労務管理も経験があった。
そのうち、新入りの追坂は生産管理を担当する。ということは、必然的に銀山の後輩になる。

「梅木さん、追坂君の担当って今朝部長が言ってましたが、生産管理なんすか?」

銀山は慣れた口調で梅木室長に確認をとる。頭をポリポリ搔きながら、梅木も答える。

「うん。銀ちゃんには色々と階段を上ってもらいたいって部長が言っててね。先輩としての振舞に期待しているようだよ」

まんざらでもないなという表情の銀山は、そのまま追坂を手取り足取り教えていくことに前向きになった。

そこから2週間ほどは、文字通り手取り足取りの毎日だった。後輩の面倒を見ながら通常業務をこなすのは今までにない忙しさである。残業もわずかに増え帰宅後はいつもクタクタになっていたが、銀山は心地よい疲労感に充実していた。

そして仕事の概要を覚えてもらったタイミングで、担当する仕入先へ訪問することを銀山は提案した。

「アルミ鋳造の白波工業さんに、挨拶に行こうか」
「わかりました、よろしくお願いします」

流石に新人には業務用車の運転は任せられないと判断し、ハンドルは銀山が握った。白波工業は従業員67名、売上高は5億円くらいの中小企業だ。古くから付き合いのある仕入先で、目立ったトラブルはなく経営も安定しており、かなり優秀な企業だ。自社からは車で15分くらいの距離で、道中に見晴らしの良い堤防沿いを走る。時折地元の紹介をはさみながら、銀山は追坂について距離を詰めようとする。

「・・・ってことは、追坂さんは中途採用なんだね」
「そうです。前いた会社では営業を担当してまして」
「もしかして、オレより年上・・?」
「今年で29になります」
「うげ、まじか。オレより2個上だったんですか」

急に尊敬語が入り混じる。

「いえいえ、お気になさらず。職場では先輩ですから」

堤防沿いを走っていると、左手には大きな河川がゆったり流れている。時折夏の太陽光が反射して眩しい。

「なんで、前の会社退職しちゃったのさ?」

急に言葉遣いを戻す、しっくりくる方を選んだ。

「う~ん・・・」

顎に手を当てて、悩んだ様子で河川をチラ見する。

「え、いや、言いたく無いならオッケーっすよ」
「・・銀山さんは、歯車になる覚悟がありますか?」
「うん?歯車?」

ちょうど堤防を右手に降り、最初の赤信号に引っかかって止まったところだった。

「歯車って、どういう意味?」
「会社っていう組織の中で、従順に働くことができますか、っていう意味です」
「それって、前の会社でなんかあったのさ?」
「僕は、歯車になれなかったんです」

青信号になったので直進する。ここは産業道路で片側3車線で見通しがよく、距離はあるが次の信号を右折したら白波工業が見えてくる。

「まぁ、5年働いて思うのは、意外と自分の思い通りに仕事って進まないとは感じるけどなぁ」

退職理由を聞きたい雰囲気を出しつつも、そこまでの仲ではないことから踏み込むことはなかった。追坂の表情は、少し引き締まった雰囲気だった。

「歯車になれる人は、幸せなんですよ。そういう人が、出世できるんです」
「出世ね~・・」

こうやって追坂を後輩に充てられたということから、銀山は自分の出世を意識し始めていた。ただ、疲れ切った梅木室長や同じグループの郡山こおりやま係長を見ていると、全く興味は湧いていなかった。
右折信号を待ってゆっくり交差点を抜けると、工業地帯のメイン道路に入った。ほどなくして、左手に白波工業とかかれたゲートをくぐり抜ける。

「はい、到着っと。作業服とヘルメットを持ってくれ。あと名刺」

二人は受付を済ませ、案内された応接室に移動した。
今回挨拶するのは、白波工業の富山とみやまという担当者。銀山と同じような業務を担当しているが、本来は品質管理係である。

「どうもお世話になっております」

応接室のドアを軽くノックしたのち、富山が入室した。流行りツーブロックで、筋トレで鍛えているであろうがっちり目の体形。しかし清潔感があり、一流営業マンのような出立ち。

「こちらこそ、面着であうのは久しぶりですね」

銀山もにこやかに挨拶する。

「今日は、後輩というか後任のご紹介を兼ねましてね」
「はじめまして、今月から配属された追坂と申します。以後よろしくお願いします」

こちらこそ、といった二人が互いに名刺交換をする。そのまま応接室のソファに軽く腰かけ、他愛もない会話も進める。

「いや~、銀山さんも後輩がついったってことは、いよいよ昇格かなにか?」
「いえいえ!そんなわけないっすよ~」

銀山の顔はにやけている。

「追坂さんが生産管理を担当ってことですけど、品質とかは銀山さんがそのままですか?」
「うーん、実のところよくわかんなくて」

銀屋の言葉尻は少しづつ柔らかくなる一方、富山の表情はゆっくり険しくなっていった。

「もし変わるんだったら、今の内に挨拶しといたほうがいいですね」

富山はそういうと、スマホで誰かを呼び出していた。ほどなくして、小太りのおじさんが入室してきた。富山は事情を耳元で説明すると、そのおじさんは急ににこやかな表情で名乗りだした。

「なるほどなるほど、いつも大変お世話になっている銀山さんと、後任の追坂さんですかぁ。ワタシは富山の上司で部長の羽根はねと言います」

部長と言う単語に、銀山と追坂は即座に起立して頭を下げる。

「いやいや、かしこまらなくて結構だよ」
「羽根部長、今後は追坂さんとやり取りすることになるので・・」
「わかったわかった。今後とも何卒ご贔屓に」

深く頭を下げた羽根は、そのまま慌ただしく退出した。

「わ、わざわざ部長さんまで・・」

銀山は唖然としていたが、富山は涼しい顔で言葉を返す。

「重要なお方ですから、お二人とも。業務の引継ぎをされるのでしたら、私共も協力しますのでお声掛けください」

応接室を出て、受付窓口のところまで富山が見送りについてきた。いつのまにか手には手土産のようなものを持っている。

「これ、つまらぬものですが・・」

断る理由もなく、銀山は受け取る。そのまま二人は気分よく帰路についた。

白波産業との思い出話を軽快に口にしていた銀山だが、あと数分で帰社するタイミングで追坂が喋り始めた。

「なぜ、向こうの部長さんが来たのでしょうか」
「ん?挨拶しただけじゃねーのか?」

何かを考える雰囲気のまま、追坂は疑問を反復する。

「富山さんの引継ぎに協力するというのも、よく考えたら変な話では」
「なんだ急に?考えすぎじゃないか?」

銀山は発言の意図を全く理解できないまま、白波産業の訪問の結果を梅木室長に報告した。

そこから更に1週間が過ぎた。追坂はすっかり部署になじんでいた。オープンな性格で人当たりも悪くない。梅木室長がまとめるこのグループは比較的暗い雰囲気だったため、新入りが吹かした空気感が新鮮であった。
郡山係長と、唯一の女子社員である室屋むろやが、にこやかに会話している。

「追坂クンのおかげでだいぶ余裕がでてきましたな」
「そうよね。銀ちゃんもちょっと先輩面になってきたしぃ」
「べ、別にいいだろ・・!」

銀山は照れ隠しは、全く隠しきれていない。
すると突然、少し離れたミーティング机で追坂と何やら相談していた梅木室長が銀山を呼び出す。何事かと梅木に近寄った銀山の表情が、みるみる青ざめる。

「・・・銀山君ならわかるだろ、これ」

ミーティングテーブルの上には2枚のA3の用紙がある。一つは見慣れた自社の生産管理表を印刷したものだった。もう一枚も見覚えがある。

「これ、白波工業の生産管理表ですよね」
「それ以外に、気付くことがあるだろう」

梅木室長が諦めたような表情で問いただす。

「生産日報の良品数が、全然違います・・・ね」

ふぅと小さくため息を吐いた後、梅木室長が前かがみになって机に両手を置く。それまで硬直していた追坂が、淡々と話し出す。

「これ、半年前のデータです」

銀山のミスだと言っているようなものだった。

「どうしてこんなことに・・・」
「それはこちらが聞きたい、銀山君」

いつになく険しい表情の室長にたじろくが、銀山は身に覚えがないというジェスチャーで首を横に振っていた。

「半年前のデータだから実際の納入実績と照合できるのだが、銀山君が作った生産管理表の情報と一致していた」
「ということは?」
「銀山君が悪いと断定しているわけではない。ただし、白波工業の作った良品の数が少ないのでどうやって数合わせしているのか、わからない」
「しかし、僕は生産管理表の数はいつも確認していて・・・」
「そうなのか?追坂と引継ぎ初めた先月も、データが食い違っていたぞ」

この会話の間、追坂は銀山とは一切視線を合わせず、じっと机の上の用紙を眺めていただけであった。
しばしの沈黙の後、室長が出口に向かって喋り出す。

「まぁ、納品実績は注文通りだから何も問題ない。だけど、こんなにデータが食い違っているのは不気味すぎる。二人で調べてくれないか?」

単なる誤記という意図のないイージーな線も充分考えられる。腹落ちした銀山は、追坂に過去2年分のデータをまとめるよう指示をした。

判明したのは、24か月分のデータのうち、良品数が食い違っていたのは3月、6月、9月、12月だった。

白波工業とのやり取りでは間違いなく良品数は一致している事を確認している。にわかに信じがたい現象を二人は調査することになった。

これが、不正に加担してることに気づいた、最初の一歩目である。

つづく

この作品はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。

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