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短編小説|軽銀のクライシス #3

3.騙し合い

「出向に際しての概要はこんな感じで、あとはその紙に書いてある通りになります」

銀山は、個室のような会議室で人事部のキレイな女性社員から出向に関する説明を聞いていた。給与もろもろ通勤手当まで、今の会社の条件のまま白波工業で仕事をする。会社としては三流で都落ちではあるが、出向先ではチーフという肩書で係長待遇と示されていた。通勤時間も10分ほどしか変わらず、条件としては悪くない。ヒマを持て余していた今の状況から脱出できる期待感がその顔にはうっすら浮かんでいた。

「何か質問したいことありますか?」

マニュアル通りにしか話をしていない女性社員を前に、特になしと真っ当に答えるだけで説明会は終わった。

呼び出された会議室から自部署に戻る途中、追坂が慌ただしく外出しようとしていた。

「あ、銀山さん、もしかして今日が最後ですか?」
「うん、明日からは白波工業の一員だ」
「私は夜の便で九州に行きますので、もうこれで・・」
「いや、いいよ。気持ちだけでありがたいよ」

たった3か月前、途中入社で右も左も分からない新人だった追坂に、先輩面をして征服感を満喫していた銀山の姿はもうなかった。

翌朝6時30分。
銀山の新しい起床時刻だ。一人暮らしも5年半、散らかった部屋だがこれは平常運転。朝ごはんなど取らずに半分以上寝ている体を無理やり着替えさせ、車ですら運転させる。ただ、早朝の堤防沿いの道はとても爽やかだったから、体はそこで目を覚ましてくれた。
前回来た時の来客駐車場ではなく、従業員駐車場へと進む。アスファルト舗装などされておらず、無味な砂利駐。すでに何台も車があるが、夜勤者のものだろう。あってないような駐車の区画線に目を凝らしながら、止めた時刻は7時3分。そのままシートを倒し再び寝に入る。このルーティンこそ、銀山の通勤渋滞回避術である。
完全には寝入ってない状態のまま、スマホのアラームがなる。時刻は7時35分。今日は初日とあって、早めに事務所へ向かう。ラゲッジルームに入れていた小さ目の段ボールには仕事道具が入っている。それを抱えて、正門受付けで自分を名乗り上げ、迎えを待った。

しばらくして、見覚えのある小太りな人が歩み寄ってきた。

「いやいや、おはよう。銀山くん、だね」

白波工業、管理部の羽根部長である。

「おはようございます。銀山です、これからよろしくお願いします」

明瞭なあいさつとお辞儀の角度で、格上の親会社から来たことをアピールする。ムダかもしれないが、細かいところからやり直そうという決意を抱いているかのようだった。
こうして銀山は白波工業の一員となり、前任の富山の業務をそのまま担当することになった。

一方そのころ、追坂はリスク管理委員会に向けた資料を作成していた。昨日帰宅したのは23時過ぎ。今日もいつもどおり8時には出社して黙々とこなしている。

「おいおい、追坂、無理するなよ・・・」

梅木室長は昨日の勤怠情報を確認しながら制止するが、追坂には聞こえてないようだった。
先日の九州への出張で、移動した郡山係長に残課題の確認や業務の引き継ぎについて聞いていた。無論、九州の事業所を見学するという建前もあった。
そこで追坂が得たのは、ある人物の別の姿だった。

「オレもこんなところに飛ばされたから言うけどさ」

そう郡山は前フリを入れた上で、周囲をキョロキョロ確認して身の安全を確保する。

「梅木室長が、誰かと電話でやり取りしているのを聞いたことがあるんだ」
「どんな話ですか?」

いつになくするどい表情の追坂は迫る。

「クオーターの実績調整とか差額の25とかに対して、ありがとってな」
「それはいつ頃です?」
「ちょうど、キミが入社したあたりだったな」

今日の天気は午後から雨予報だったからか、パラパラと雨が降り出した。工場内にある屋外の休憩用ベンチで神妙な会話をしていた二人は、屋根のあるトラックヤードへ走り込む。体格のいい郡山はすでに息が切れ切れだが、話し続けてくれる。

「それを聞いてしまった時に、あの室長にすごい睨まれてな。特に何も言われなかったけど、なんつーか・・・眼が濁っていたというか」
「そうですか。何か証拠みたいなのは残ってませんか?」
「うーん、すまん。なんもねぇわ」

追坂はその日の記憶を辿りつつ、リスク管理委員会で報告する要点をまとめていた。
追坂が違和感を抱いたのは、銀山が入力していた生産管理表と白波工業が送付していた生産管理表との差異ではなかった。
その差異が明らかになった時、
「納入実績と銀山の生産管理表が一致しているから大きな問題はない」
と即刻断定した楠下部長と梅木室長の言動である。
たしかに納入実績は白波工業へ支払いするための元データだから極めて信頼性が高い。しかし、銀山の入力した生産管理表と一致したからといって、すぐに安心するのはおかしい。銀山が納入実績を丸写しして、業務をサボっていた可能性だってある。

リスク管理委員会とは、総務課が取り仕切るれっきとした内部統制を維持する委員会の一つである。局地的な災害によって金属資源や部品の供給が滞った時の対応や、社内の火災、感染症の多大な拡大(クラスター)で従業員が不足する事態などに開催されるのが主である。

今回報告する流れを作ったのは、追坂からの提案だった。

「仕入先の良品数と納入実績に差があることは、仕入先で不正を働いている懸念があります!会社として状況を把握すべきです」

最初は拒否されたが、内部通報制度を用いて監査役に相談したことで報告が認められた。この一連の強引なやり方に、楠下部長も梅木室長も「面倒なヤツだった」と中途入社させたことを後悔していた。
その1週間後に、白波工業の富山が退職し、銀山の出向辞令が出されていた。偶然にしては、対応がスムーズ過ぎた事に、追坂の疑念は増えるばかりだった。

「できましたよ、リスク管理委員会の資料」
「そうか、ご苦労。でも、やらんでよかったのに」

追坂の明朗な表情を遮るように、室長の梅木は穏やかな表情を浮かべた。

「どういうことですか?」
「報告会資料は、部長と私が作ったものを事務局に提出しているよ」

梅木はさらに和やかな、いや、してやったりな表情を浮かべる。

「え?しかし調査を指示通りやってましたが・・・」
「君たち忙しいでしょ。こういう時は管理職が手を貸すもんだよ」

爽やかな笑顔のまま、それでも追坂の作った資料はしっかりと受け取っていた。

「おっとそれから、リスク管理委員会は出席しなくていいよ。部長と私で対応しておくから」

しばしの間茫然としていた追坂に、室屋から言葉が投げつけられる。

「ねぇ、聞いている追坂クン?忙しすぎじゃない?私達って」

ついこの前まで4人だった担当者が、追坂と室屋の二人になってしまったから、業務負荷は半端ではない。このストレスフルな状況で室屋の愚痴が飛び出すことを先読みして、追坂は刺激しないような言葉を選ぶ。

「人員補充があるとは聞いてますけど・・」
「なんで新入りのあんたがそんな事しっているの?」
「え、いや、室長の話が聞こえてきたので」
「まぁいいわ、来るなら誰でもいい。ちょっとマジで仕事量が多すぎるわ」

そんな状況下でリスク管理委員会の資料を作っていたことを、追坂は言い出せなかった。
せっかくの正義感も、目の前の忙しさでかき消されてしまう。それが会社というものであり、不正が暗躍する絶好の環境なのかもしれないと、追坂は悟っていた。

ーその夜。

「だからぁ、C鋳造じゃなくてD鋳造のほうを回せてって」
「無理言うなよ、これ以上増やしたら流石にバレる」
「今まで大丈夫だから、問題無いはずだ」
「お前、その意味分かってんのか?アルミの材質が違うんだぞ」
「そもそも日本のJIS規格が厳し過ぎるだけだ、あんな国レベルの自己満足に付き合っていたら採算なんて合わない」
「わかった。けど、オレはもう知らんからな」

不穏な会話がうす暗い会議室で行われる。時刻は夜9時過ぎ。会社内は異様な静けさに包まれているから、二人の会話は一層響き渡る。

「そういえばこの前来たあの若いやつ、中々勘が良くて困るぞ」
「はは、そんなに面倒なヤツか?もっとやる気がないはずだが」
「そうか、まぁ手当付けて黙らせておくぞ」
「で、いくらぐらい貯まったか?」
「8500万、ってとこだぜ」
「そろそろ潮時か」
「だな、リスク管理委員会も始まるんだろ?」
「あれは形だけだ。データが一致していればそれ以上は追求のしようがないだろ」

薄暗い会議室は会社の来客用入り口のすぐ左手にあり、夜間は施錠されるから誰も来ない隔離されたような場所になる。日陰を好む者にとっては格好の巣窟に成り得る。
二人組はそのまま会議室を後にする。
音もたてずに。

つづく

この作品はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。

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