’23 すきなものすべて

ぼちぼち1ヶ月前になるけれど、『博士の愛した数式』を観た時に、久しぶりにすごく泣いてしまった。演劇を観てわーっと気持ちが溢れて泣いてしまうのは久しぶりだったので自分でびっくりした。
ラストシーン、大人になったルートが博士と対面して、記憶を失った博士が再び、いつも通り、「君をルートと名付けよう」と頭を撫でてくれる場面は、80分一緒に観劇していれば想像がつく、一番しっくり来るラストで、私もこのセリフで劇が終わるだろうと思っていたのに、いざその言葉を耳にしたらわーっと溢れて、あと何回これを繰り返してもらえるだろうと縋りつきたい気持ちと、串田さんはじめとした俳優さんたちにまた会えるのかなという寂しさと、忘れても忘れても、忘却の向こう側にある変わらない何かを信じられる希望とで、感情に言葉が追いつかなかった。ノートにメモを取りながら見ていたんだけれど、最後の10分間くらいは追いつかなくて、何も書けなくて、でも確かに何か残っている。私は見たそばからそれを忘れてしまうから劇場にノートを持ち込むんだけど、この劇のラストは忘れていない、ということに戸惑いに近いほどの喜びを覚えている。

演劇で泣くほど心を揺さぶってもらえたことがすごく嬉しかったんだけど、演劇を観るときに「御涙頂戴になっちゃってる…?」とか「感動して泣いちゃう系じゃなくてエネルギーで”開く”系が良い」とか「エネルギーを自分は演技にのせられない」とか、いろんな視点…?考え方…?経験、が、その観劇体験を是としない感じもあって、もやもや、としていた。『博士の愛した数式』に限らず、大学に入ってから演劇を観るときは無意識にそれが手前の方にあって、実際映画や小説の「全米が泣いた!」「100%ラストで泣く」的な広告を肯定はしたくないというのもあった。

それはそれで一つ正しいとして、忘れていたけど思い出したのが、自分の中学演劇のこと。私は1年生と3年生の時の大会で役者をやったんだけど、あの2回があったから今も演劇に深い思い入れがあるのだろうなと思った。今日は久しぶりに中学の演劇部の大会の話を書いてみようと思う。

1年生の時は沖縄戦がテーマ、3年生の時は東日本大震災がテーマだった。
(やまもとれい『蝉しぐれー君といた夏ー』、佐藤雅通『シュレーディンガーの猫 ~Our Last Question~』)
どちらも、失うかもしれないこと、失ったこと、寂しさ、悔しさ、それでも前を向きたい、ということは共通していて、私はあの頃に演劇でこういう気持ちを伝えられるのだと思ったのだと思う。私の中学校の演劇部は別に強くなかったけど、当時の3年生が本当にあの大会に賭けていて、地区大会で敗退ではあったが優秀賞はもらえたのが(吹奏楽部で言うところのダメ金にあたるのかな)とても嬉しかった。
自分たちが3年生の時、シュレーディンガーをやりたいと提案したのは自分で、スーパーのフードコートに休みの日に集まって台本を脚色して大会の規定時間に収まるようにしたり、クーラーがない部室で真夏に冬服を着て練習したり、あの夏はあのときしかなかったしできなかったなというのも思い出深い。私は、自分で好きで始めたもの、チアも演劇も全然上手くなかったから、シュレーディンガーもやりたい役はオーディションで後輩に負けちゃってできなかったんだけど、別の端役をもらえて嬉しかったなぁ。端役というわりにはセリフもちゃんと多かったし、その子の正義感とか責任感は、自分が幼い身体の中に持っていたものにかなり近くて、でも当時は自分ではそんな風に思っていなかったから、顧問の先生って中学生のことよく見てるな〜と思う。でも何だろう、主要人物をやりたい気持ちが強すぎて大変だったけど()、最後の講評で、審査員の方に名指しで褒めてもらえたのがとっても嬉しかった。
褒めてもらえた場面の設定は、主人公が他の人物たちに向けて質問をしていって、自分が「YES」だと思ったら挙手をしながら立ち上がる、っていうアクトだった…はず。(分かりづらいよねごめんなさい!)
私の役の子は優等生で明るい女の子で、たまに責任感と正義感で突っ走って、時々視野が狭いけどでもすごく真剣に生きている子だった。「それでも、人には優しくしたい」(人は手を挙げて、という文脈)と主人公が言った時に、私の役の子は強くそう思っていたから、言葉に身体が反応して、「挙手」っていうアクト的には最初にすべき動作より先に「立ち上がる」っていう表現をした…んですよたしか。こんな理屈こねこねしてなかったけど、その方がこの子っぽいなとは思ったのかな。(他の役者と少しでも違う表現をしたいっていう気持ちも正直すごくありました。)
それを、審査員の方がたまたま見ていてくれて、「気持ちが先に出てまず立ち上がった、っていうのがその子らしくてよかったです」と一言褒めてくれた。講評は時間が短くて、脇役のことまで言及してくれることはあまりなかったから(1年生の時も、2,3年生の横にちょこんといるだけの役だったから勿論言及されなかった)、本当に嬉しかった。講評は褒められたら該当者が「ありがとうございます!!」と大きい声返事をする制度だったのに、びっくりして固まっちゃって返事がすごい遅れたのも良い思い出ですね…。恥ずかしいからその時のビデオ消したいけど思い出深くもあってまだ家にあります。笑

なんかすごい思い出語りになっているのだけれど、こういう演劇が自分の好きな演劇だ、とどこかで思っていて、自分の原点に近い部分にあるから、爆発的なエネルギーよりも細かな感情や言葉で、小劇場よりもホールや中〜大劇場で演劇を観るのが好きなのかもしれない。演劇ならば、自分が持たない記憶、経験、忘れてしまうものを書き留めたり思い出したり、忘れて前に進んでいく勇気、また思い出せるよと信じる気持ちを、自分の力で手にしていけると思える、のかな。寂しい、という気持ちは一見か弱くて情けなくて、演劇というエネルギーの表現の場には似つかわしくないのかもしれないけれど、寂しいは本当はとても強い気持ちだ。寂しいは絶対に力になる。過去や故人を恋しく思う気持ちは、未来に何か良いことがあった時、新しい人との出会いに恵まれた時、失ったものを思いがけず取り戻せた時、取り戻せなくても心の穴を何かで埋めることができた時に、必ずその喜びを、幸せを、より強く、より忘れられないものにする一助になると私は思う。演劇には、私は今ここにいるぞと、舞台上にいる人も、観劇した人も、今日のこの芝居を覚えていようと奮闘する人もいる。寂しさを抱いて、私は今ここにいる。ここで演劇の中にいて、外と必死に繋がって生きている。私にとっての演劇はたぶんこんな感じだ。

この記事のタイトルの「すきなものすべて」は、昨年から演劇の脚本自分で書けないかな〜とか思って書き始めて書きかけをいくつか放置している『苗字』を、なんか小説形式で書いてみたいな〜にしてこれまた書きかけのやつ、の仮題です。自分の好きなもの全てをいつか肯定できたらいいし、それらが何なのかなるべく知りたいし、人の好きなものを否定せず、ほーんそういうのが好きなのねええやん〜と言えたらいいよねっていう感じで、すごく自分の今の気持ちっぽくてつけました。今日は、私は演劇の何が好きなのやら、いつの間にか歌舞伎とシェイクスピアが気になってるし、うにゃ、と思っていた自分自身の「すき」に対する、答えに繋がっている内容かもしれないと思ったので。
小説?脚本?『すきなものすべて』、いつか完成させたいよね〜。考えているだけでも豊かだなと思ってしまっているところはあるけれど。まあいつか。

話が色んな方向に行ってしまった!泣いちゃう演劇もいいじゃん、私の原点は寂しさをちゃんと持ってる演劇じゃん、いつか誰かが、私の言葉や何かをわざわざ書き留めてくれたり、共鳴して涙を流してくれたりするようなことがあったらきっと嬉しいね、などなど書き留めてみて、今日はここまで。


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