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進む円安
急激に円安が進んでいる。
ドル円が125円の壁を超えて126円の半ばに達した。こうしたニュースは大きく報じられる事が多い割に、何だかあまりピンとこないという人が大半だろう。
そういう私も、切実な実感を持ってピンと来ているかというと自信がない。
円安の影響が即座に生活に関わる事は通常は無いし、じゃあ幾らなら良いんだという目安は簡単には決められない。価格決定の要素要因は多く、複雑過ぎて適正価格を決められないからこそ、その仕事を市場に任せているのだとも言えるだろう。
市場が決める価格がどれだけ適正かというと、これまた市場特有の事情があって、実需とは別の投機的な思惑の参加者やコンピューターによる自動取引が価格変動に寄与するものだから、市場の出す答えは社会にとっての適正さとは違ったものとなる。
そうなると、もはや何が正しくて何が違っていてという事を考えるのが無意味であり、様々なノイズや邪な事情を含み合わせて、市場が出した答えこそが正しいのだといったような堂々巡りとになる。
市場原理の確かさは揺るぎないものと信じるのがこの社会の掟だから、たとえそれがどんな価格になろうとも何らかの解釈を付けて市場の出した答えに阿ることになる。
何事も行き過ぎは良くないというわけで、円安だって余りにも一方向的に進むのは良くないよねと言われたりするが、どのレベルが行き過ぎなのか明確な答えがないから、そこは市場参加者の腹の探り合いになる。
結果的に値が戻せば、市場は行き過ぎと捉えたのだと読み解くし、円安が止まらなければ、市場はまだ上値を追うつもりだと勘ぐる。
このように市場を擬人化して語るとき、それは結果論の後付け説明に過ぎず、それくらいのことなら寺子屋にあがったばかりのはなたれ小僧にだって言えるわ、ってことになる。
とはいえ、市場価格なんて元来正解の無い問だから、ファンダメンタルズが何とかだとか、テクニカルが何とかだというのも全て結果論。
こうなればこうなるみたいな法則性は、実際のところまずまず機能しない。
だから極端なことを言えば勘の働く世界だ。
ところが、この人間の勘というのが一番役立つものだ。勘の実体は経験の積み重ねだから、人工知能AIが出す答えに明確に説明できる道理が無いのと一緒で、何となくこっちじゃないかというのが案外一番頼りになるというわけだ。
人間もAIばりに凄いということだ。
いやいや旦那、そりゃ逆ですぜ。
AIは人間の安っぽい模造なのだから、人間がAIみたいに凄いのではなく人間の凄さがAIで証明されたってことさ。
じゃあちょっくら俺も相場に手を出してみるかと思ったあなた。
あなたの持っているのは経験による勘ではなくて素人の直感でしかないからビギナーズラックでしか当たりませんぜ。気ぃつけなよ!
おわり
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